第390衝 立直の鑑連
天正八年、夏の盛り。
佐嘉勢との和睦の効果は極めて大きく、残された大友領について、静かな秩序が維持されていた。とは言え、筑前を留守にすることまでは出来ない。鑑連は配下の武士へ鍛錬の強化とを命じた。これは文系武士の備中も例外ではなく、もう若くない体に鞭打つハメになる。
さらに鑑連は、所領をうばわれ困窮する大友方の武士を保護して生活を保障し、軍備の増強とした。その資金源は博多からの上がりと鑑連自身の収入以外にはない。
「殿、こちら肥後からの書状です」
「それで」
「佐嘉勢に与する者、もはや遠慮無し、と」
「甲斐相模守からは来ているか」
「はい。北肥後衆は軒並み佐嘉参りをした、と」
「ワシの調べでは、その甲斐勢も佐嘉参りをしていたはずだ」
「は、はっ」
「もはや肥後からの援軍の期待できんな」
「……」
鑑連は肥後にも領地を持っているため、その動向の注意を怠ることは許されない。
「チッ」
筑前にとりあえずの平和を打ち立てたは良いが、事態は悪くなる一方である。
「そ、その……」
「なんだ」
「さ、佐嘉勢は殿と和睦したことを、大いに喧伝しているようでして」
「甲斐の若造がそう言っているのか」
「そ、その……はい」
「あのガキ。肥後の今をワシのせいにするか」
「ち、違います。佐嘉勢が、ということで」
そこに、内田がやってきた。
「殿。岩屋城から戻りました」
「ご苦労。動きはあるか」
「一見できるものはございません」
「鎮理め。何もしていないということはあるまいな」
「殿にお話があったのであれば、必ず何かをしていると思います。まず、巧妙に進めているのだと」
鑑連は秋月から得た岩屋城の裏切り者の情報について、万事内田に任せている。秋月殺害を見送ったことへの詫びなのだと、備中は思っている。思えば鑑連の振る舞いに優しい所もなくは無い。
「秋月はワシに裏切り計画をゲロった。ただの凡人ならその時点で計画を引くが、あの若造はバレたことを承知で進めるはずだ」
「裏切りに呼応して城を囲む、という策が一般的ですが」
「そうだな。そしてそれを他人にやらせれば、自分の損害はほとんど無い。そして、上手く行く可能性もなくは無い」
「や、やり手ですね」
「義鎮にもこれくらいの狡猾さがあっても良いのだがな」
鑑連、ジロリと備中を見る。国埼における戦いの報告をせよ、ということだ。
「先ほど届いたお、小野様の報告ですが……ええと、げ」
「負けたか」
「い、言え。安岐城を落としたそうです」
「ようやくか」
「あれほどの田原家の本拠地が、焼け野原になる日が来るとはな」
内田が感慨深そうに述べるも、
「備中。その先に何が書いてある」
「ろ、ご老中の木付様が討死、と」
「木付の倅が死んだか」
また、老中が戦死した。佐伯紀伊守や鎮信に比べると大物感は無いが、木付一門も確かな大友血筋の武士である。そして、この筑前には、柑子岳城を退去した木付殿が残していった木付武士がいる。
「備中。木付に弔文を送れ。木付隊の連中を集めておけ」
「は、はっ」
これは鑑連にしては珍しい政治的な配慮だろうか。
「だが、もう国埼の戦いは結末が見えたな。残るは鞍掛の城は守るには良いが、将来の展望がある土地ではない。安芸勢の動向は」
「小野様によると、目下、織田勢との戦いにかかりきりとのことです。西を向くことは出来ないだろう、と」
「小野へ返しておけ。諸将の間を動き回って、とっとと田原のガキをつぶし、こちらへ兵力を誘導せよ、とな」
「は、はい」
「備中。他に、情報は?」
内田に催促され、もう一度書状を再確認する備中。
「えーと、義鎮公が、戦場付近へ出張っている、と」
「クックックッ、戦の終わりが見えてきたから、ということか。本当に臆病なヤツだ」
「あと、親家公ですが」
「そんなヤツ知らんが」
「せ、セバスシォン公ですね。小野様によると、統率力はなかなか見事、とのことです」
「ほう」
「吉利支丹宗門の武士たちの活躍が目立つともあり」
「それだけか?」
「あ、あと、それだけに吉利支丹嫌いの武士たちの不興を買っているとも」
「ああ、クソ」
鑑連、横を向いて吐き捨てるように曰く、
「戦場で不利になるのは明らかなのに、何故あのグズは吉利支丹宗門に拘るのだろう」
心当たりはあるようである。
「新しい世を創りたい、という例の戯言か」
備中も、門番柴田の発言を思い出していた。鑑連は切って捨てるが、新世の創出にかかる可能性を、義鎮公は備えている、と吉利支丹門徒は判断しているのだろう。比して、我らが鑑連はどうだろうか。
「勝っても負けても、新しい世ができるのかもしれません」
とんちのようになってしまった。案の定、困惑する二人。
「なんだそれは」
「謎かけか?」
「い、いえ。例の柴田殿との話でそんなのがありまして」
門番柴田の発言を消化しきれていないものの、この先にこそ何かがあるような気がしてならない備中であった。が、つまりそれは理解を示す、ということに他ならない。鑑連が疑惑の凝視を向けてくる。
「貴様、吉利支丹へ宗旨替えなど考えてないと思うが」
「む、無論です」
「本当だな」
「は、はい!」
「ならいいが。その場合はヤツらの言う殉教者にしてやるから、覚えておくように」
吉利支丹宗門の教えに、必ずしも嫌悪感を抱かない備中、微妙に汗をかく備中。
薦野が入ってきた。家中の競争相手の登場に、内田は少し嫌な顔をした。
「申し上げます」
「うん」
鑑連の声に期待感が漂う。今、戦闘面において、鑑連の覚えが最も良い武将が誰かと問えば、戸次家中の者ならば、必ず薦野をその名に上げるだろう。
「宗像大宮司の家来の中に、また不穏な動きをする者どもが現れました」
「やはりな」
「はい。春先の戦い懲りていないようですが、証拠となる書状も抑えました」
「判断力のない裏切り者に、懲罰を加えてやるか」
「ただ、今回は場所がよくありません。鞍手郡吉川を中心に、秋月勢と連絡が行われています」
「若宮に近いな」
「はい」
若宮には鑑連の元義弟殿がいる。若宮を通りかかった際に見た虹彩を思い出した備中、弾かれたように曰く、
「と、殿!」
「この件、入田勢には一切関わりが無い」
ピシャリと門が閉じられてしまった。記憶から現れた虹彩も脳裏の闇へ引っ込んでしまう。
「薦野。氏貞にはワシから伝える。今すぐに吉川を蹂躙してこい」
「承知しました」
薦野が退出しようとする時、
「殿。猫城に続き、宗像領を攻めれば、大宮司殿のお立場が危険ではありませんか」
「氏貞の立場は常に不安定だ」
「これが大きく揺らぐ一押しになった場合、北東にも敵を持つことになってしまいます。せっかく佐嘉勢と和睦した利が、消えます」
だが、内田の説得は効かない、と相場が決まっている。
「大丈夫、氏貞は裏切らん」
「……はっ」
「それでは」
淡々と、退出する薦野。備中の胸に一つの思いが去来する。きっと薦野は宗像領に接する地に生まれた者として、鑑連を利用しているのだろう、という感情であった。




