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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
耳川以後(1579~)
391/505

第390衝 立直の鑑連

 天正八年、夏の盛り。


 佐嘉勢との和睦の効果は極めて大きく、残された大友領について、静かな秩序が維持されていた。とは言え、筑前を留守にすることまでは出来ない。鑑連は配下の武士へ鍛錬の強化とを命じた。これは文系武士の備中も例外ではなく、もう若くない体に鞭打つハメになる。


 さらに鑑連は、所領をうばわれ困窮する大友方の武士を保護して生活を保障し、軍備の増強とした。その資金源は博多からの上がりと鑑連自身の収入以外にはない。


「殿、こちら肥後からの書状です」

「それで」

「佐嘉勢に与する者、もはや遠慮無し、と」

「甲斐相模守からは来ているか」

「はい。北肥後衆は軒並み佐嘉参りをした、と」

「ワシの調べでは、その甲斐勢も佐嘉参りをしていたはずだ」

「は、はっ」

「もはや肥後からの援軍の期待できんな」

「……」


 鑑連は肥後にも領地を持っているため、その動向の注意を怠ることは許されない。


「チッ」


 筑前にとりあえずの平和を打ち立てたは良いが、事態は悪くなる一方である。


「そ、その……」

「なんだ」

「さ、佐嘉勢は殿と和睦したことを、大いに喧伝しているようでして」

「甲斐の若造がそう言っているのか」

「そ、その……はい」

「あのガキ。肥後の今をワシのせいにするか」

「ち、違います。佐嘉勢が、ということで」


 そこに、内田がやってきた。


「殿。岩屋城から戻りました」

「ご苦労。動きはあるか」

「一見できるものはございません」

「鎮理め。何もしていないということはあるまいな」

「殿にお話があったのであれば、必ず何かをしていると思います。まず、巧妙に進めているのだと」


 鑑連は秋月から得た岩屋城の裏切り者の情報について、万事内田に任せている。秋月殺害を見送ったことへの詫びなのだと、備中は思っている。思えば鑑連の振る舞いに優しい所もなくは無い。


「秋月はワシに裏切り計画をゲロった。ただの凡人ならその時点で計画を引くが、あの若造はバレたことを承知で進めるはずだ」

「裏切りに呼応して城を囲む、という策が一般的ですが」

「そうだな。そしてそれを他人にやらせれば、自分の損害はほとんど無い。そして、上手く行く可能性もなくは無い」

「や、やり手ですね」

「義鎮にもこれくらいの狡猾さがあっても良いのだがな」


 鑑連、ジロリと備中を見る。国埼における戦いの報告をせよ、ということだ。


「先ほど届いたお、小野様の報告ですが……ええと、げ」

「負けたか」

「い、言え。安岐城を落としたそうです」

「ようやくか」

「あれほどの田原家の本拠地が、焼け野原になる日が来るとはな」


 内田が感慨深そうに述べるも、


「備中。その先に何が書いてある」

「ろ、ご老中の木付様が討死、と」

「木付の倅が死んだか」


 また、老中が戦死した。佐伯紀伊守や鎮信に比べると大物感は無いが、木付一門も確かな大友血筋の武士である。そして、この筑前には、柑子岳城を退去した木付殿が残していった木付武士がいる。


「備中。木付に弔文を送れ。木付隊の連中を集めておけ」

「は、はっ」


 これは鑑連にしては珍しい政治的な配慮だろうか。


「だが、もう国埼の戦いは結末が見えたな。残るは鞍掛の城は守るには良いが、将来の展望がある土地ではない。安芸勢の動向は」

「小野様によると、目下、織田勢との戦いにかかりきりとのことです。西を向くことは出来ないだろう、と」

「小野へ返しておけ。諸将の間を動き回って、とっとと田原のガキをつぶし、こちらへ兵力を誘導せよ、とな」

「は、はい」

「備中。他に、情報は?」


 内田に催促され、もう一度書状を再確認する備中。


「えーと、義鎮公が、戦場付近へ出張っている、と」

「クックックッ、戦の終わりが見えてきたから、ということか。本当に臆病なヤツだ」

「あと、親家公ですが」

「そんなヤツ知らんが」

「せ、セバスシォン公ですね。小野様によると、統率力はなかなか見事、とのことです」

「ほう」

「吉利支丹宗門の武士たちの活躍が目立つともあり」

「それだけか?」

「あ、あと、それだけに吉利支丹嫌いの武士たちの不興を買っているとも」

「ああ、クソ」


 鑑連、横を向いて吐き捨てるように曰く、


「戦場で不利になるのは明らかなのに、何故あのグズは吉利支丹宗門に拘るのだろう」


 心当たりはあるようである。


「新しい世を創りたい、という例の戯言か」


 備中も、門番柴田の発言を思い出していた。鑑連は切って捨てるが、新世の創出にかかる可能性を、義鎮公は備えている、と吉利支丹門徒は判断しているのだろう。比して、我らが鑑連はどうだろうか。


「勝っても負けても、新しい世ができるのかもしれません」


 とんちのようになってしまった。案の定、困惑する二人。


「なんだそれは」

「謎かけか?」

「い、いえ。例の柴田殿との話でそんなのがありまして」


 門番柴田の発言を消化しきれていないものの、この先にこそ何かがあるような気がしてならない備中であった。が、つまりそれは理解を示す、ということに他ならない。鑑連が疑惑の凝視を向けてくる。


「貴様、吉利支丹へ宗旨替えなど考えてないと思うが」

「む、無論です」

「本当だな」

「は、はい!」

「ならいいが。その場合はヤツらの言う殉教者にしてやるから、覚えておくように」


 吉利支丹宗門の教えに、必ずしも嫌悪感を抱かない備中、微妙に汗をかく備中。


 薦野が入ってきた。家中の競争相手の登場に、内田は少し嫌な顔をした。


「申し上げます」

「うん」


 鑑連の声に期待感が漂う。今、戦闘面において、鑑連の覚えが最も良い武将が誰かと問えば、戸次家中の者ならば、必ず薦野をその名に上げるだろう。


「宗像大宮司の家来の中に、また不穏な動きをする者どもが現れました」

「やはりな」

「はい。春先の戦い懲りていないようですが、証拠となる書状も抑えました」

「判断力のない裏切り者に、懲罰を加えてやるか」

「ただ、今回は場所がよくありません。鞍手郡吉川を中心に、秋月勢と連絡が行われています」

「若宮に近いな」

「はい」


 若宮には鑑連の元義弟殿がいる。若宮を通りかかった際に見た虹彩を思い出した備中、弾かれたように曰く、


「と、殿!」

「この件、入田勢には一切関わりが無い」


 ピシャリと門が閉じられてしまった。記憶から現れた虹彩も脳裏の闇へ引っ込んでしまう。


「薦野。氏貞にはワシから伝える。今すぐに吉川を蹂躙してこい」

「承知しました」


 薦野が退出しようとする時、


「殿。猫城に続き、宗像領を攻めれば、大宮司殿のお立場が危険ではありませんか」

「氏貞の立場は常に不安定だ」

「これが大きく揺らぐ一押しになった場合、北東にも敵を持つことになってしまいます。せっかく佐嘉勢と和睦した利が、消えます」


 だが、内田の説得は効かない、と相場が決まっている。


「大丈夫、氏貞は裏切らん」

「……はっ」

「それでは」


 淡々と、退出する薦野。備中の胸に一つの思いが去来する。きっと薦野は宗像領に接する地に生まれた者として、鑑連を利用しているのだろう、という感情であった。

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