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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
耳川以後(1579~)
386/505

第385衝 思断の鑑連

「申し上げます!佐嘉勢、原田勢とともに荒平山城を急襲し、城を奪われました!」


 この急報に、さして驚かない幹部連。


「ついにか」

「小田部勢は」

「城や所領を逃れ、こちらへ向かっております!」

「そうか。小田部勢には気の毒なことだ。せめて温かく迎えてやらねばな」


 前年、小田部の頭領が討死し、柑子岳城が落とされた以上、西筑前の防衛戦はすでに瓦解していた。さらに、敵だらけの今、兵力の集中配置も難しい。よって、いずれは、という共通する意識があった。


「佐嘉勢の主力はまだ筑後にかかりきりということだが」

「柳川の篭城も半年を越えていますな」

「その意味では、荒平山もこの一年以上、ずっと圧されていたのだ。よくぞ持ったもの」


 そして、最後にはこの思いで共通する。


「本国から援軍さえ来てくれれば……」


 その本国は目下、内乱中である。そして、鑑連もその内乱へと突っ走る方角を推進した一人である。前から筑前への援軍は少なかったが、内乱以後、パタリと途絶えたている。鑑連自身が招いた事態とも言えた。


 この批判的感想に到達しているのは、自分以外には誰かいるだろうか、と考えてみる備中。恐らく

今も豊後で活動中の小野甥か、あとは実は怜悧な薦野、この二名の顔が思い浮かんだ備中。


 が、他にもいた。


「備中殿、備中殿」

「あ」


 増吟が廊下を小走りに駆けてくる。


「今日はどうしたのですか」

「立花家督様にご挨拶をと思い、参上しました」


 備中、露骨に顔を歪めると、増吟は微笑んで曰く、


「そんな顔をしなくても。まあ、もう一つ用事があって来たんですよ」

「それは殿に?」

「そうです。お取次頂けますか」


 増吟は鑑連の執務室に入ることが許されている。共に向かう道すがら、廊下の先から誾千代が歩いて来た。傅役も居る。増吟、その場で正座して恭しく挨拶する。


「ご機嫌うるわしゅうござい、いやいや、その、余りうるわしゅうないようですね」


 最近、芳しくない誾千代の機嫌をすぐ読み取った増吟に驚いた備中。これすなわち血のなせる業なのか。


 といって誾千代にとって増吟は名付け親の一人でしかないのだろう。挨拶もそこそこに、少女は横を向いて去って行った。傅役が追いかけていく。


「まあ、難しい年頃ですからな」


 増吟は朗らかに微笑むのみである。



「戸次様、失礼いたします」

「おお、今日は如何した」

「はい。実は手紙を届けに参りました」

「手紙。では、佐嘉の大将からの手紙かな」

「さすがは戸次様。その通りです」

「なに!」


 冗談めかしていた鑑連の口調が変わった。それどころか、部屋の空気も変わる。障子の向こうで仕事中の内田が、刀をいつでも抜ける体勢をとった気配がした。


「経緯はこうです。我があばら屋に龍造寺山城守殿のお使者が。呼ばれて佐嘉のお城に出向いたところ、直接この文書をお届けせよ、と預かって参りました」


 増吟が差し出した書状を急ぎ鑑連へ渡した備中も気になる中身だが、想像はつく。先日、荒平山城が落ち、筑前早良郡の戦いに目処がついた以上、和睦を、と言うのだろう。佐嘉勢は、筑後攻略に手間取っているということでもある。


 いつもの如く、光の速さで書状を読んだ鑑連、増吟へ笑顔を向けた。備中、あ、これはマズい笑顔だ、と感じる。


「まあ遠路お疲れだろう。ゆっくりして行ってもらいたい。年頃となった誾千代に、御坊の教えを説いてもらいたいしな」

「戸次様」


 さっ、と平伏した増吟の鋭い声が遮った。


「戸次様。拙僧は戸次様の御味方です」


 笑顔の鑑連。


「それを知って、龍造寺殿は拙僧を寄越したのです」


 鑑連は笑顔のままだ。笑い声まで出している。


「拙僧は如何なる謀にも関わりませんが、戸次様の御用命なら話は別です。恩義があります故」


 鑑連は笑顔のまま固まっている。


「誰がなんと言おうと、筑前の実質的な支配者は戸次様です。そして、日の出の勢いの龍造寺殿とて全てが順調に進んでいるわけではないのです」


 笑いとはすなわち攻めである、という者もいる。


「この書を手に、龍造寺殿はふと溢しました。戦って負かせる事ができない相手と、これ以上事を構えたくない、と」


 鑑連がビクッと痙攣した。備中の見立てでは、敵からの賞賛を受けたことによるはずだ。


「こんな話も溢していました。龍造寺家には家中随一の武士がいるが、その人物も戸次様に策を見破られ引き下がるしかなかった、と」


 備中はなんとなく、第二次佐嘉攻めの際に、川上の陣に突貫して来た佐嘉武士を思い出す。鑑連がまたもや反応した。


「それにこの和睦が為れば、原田勢や筑紫勢と戦いになったとしても、佐嘉勢の戦線参加をある程度防ぐことにもなります。龍造寺殿の本音はいい加減筑前の戦いを止め、筑後と肥後に専念したい、ということです」


 なるほど。肥前の地から世間を見れば、筑後と肥後が気にかかるのだろう。やはりこの増吟は只者ではなく、こと道理を説かせればあの石宗よりも上手だ、と納得の備中。


 だが、鑑連はそうではない。これまで佐嘉勢との和睦を進言されたことは一度ではない。小野甥、鎮理と、鑑連に対して引かない、ある意味で誠実な者達ほどそれを主張して来た。


 それが今や、破戒俗物坊主に説かれているのである。自分の判断に絶対の自信を持つ鑑連にとっては苦しいに違いない。


「和睦などできん」

「戸次様」

「ワシの意地ばかりではない。西筑前を全てよこせ、というだろう。秋月が跋扈する郡についても、正式に手放せ、ともいうはずだ。ワシの一存では決められん」


 確かにその通りだ。鑑連は、義鎮公や国家大友に反発しながらも、その規範を大きく逸脱することはなかった。その行いが、鑑連自身が盛り上げて来た国家大友を揺るがすことになる、と主人が確信していたからだと備中は思うが、


「本国は内乱の真っ只中。援軍は来ない。大友宗家の方々には、筑前について考える余裕がない。すでに筑前は見捨てられているのです」

「うぬ」


 ギリギリ、と鑑連の歯軋りが響いた。


「公的にはともかく、筑前における大友方の指導者は、事実上戸次様以外に存在しません。この国に踏ん張る国家大友の方々を、救済する義務と責任を、戸次様は有しているはず。故に、誰もが戸次様を尊敬しているのです」


 だが抑揚の聞いた、増吟の上手い一言が、どうやら鑑連の胸を突いたようであった。鑑連はしばしの沈黙の後、もう一度、佐賀の頭領からの書を見直した。そして、


「備中。返信の用意だ」

「は、ははっ!」


 急ぎ硯と筆を取り出す。


「内田」

「はっ」

「この場にはお前と備中、そして御坊のみでいい。人を遠ざけ、誰も近寄らせるな」

「はっ!」


 内田が隣から廊下へ出た後、人の気配が全くしなくなった。そして鑑連から佐嘉の龍造寺へ向けた、返事の口述が始まった。

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