第383衝 分岐の鑑連
田北大和守が消えたことで、彼が統率していた集団はとりあえず解散した。国家大友の命令、現在田原右馬頭を攻めるセバスシォン公の旗下へ入れ、は半ば無視されることとなった。
他方、鑑連が懸念していた通り、筑前豊前の国境が騒がしくなる。
「それもこれも、田原の養子をまだ片付けていないせいだ。能無しどもめ」
と、鑑連は憤慨する。確かに、冬に戦いが始まって三ヶ月経つが、まだ勝報は聞こえず、早々の解決は望めそうもない。
「あ、秋月勢が動き出すかもしれませんね」
そして案の定、秋月種実が蠢動を始めた。
「えっ。こ、これは本当ですか。承知しました。すぐに殿にお知らせします」
鑑連の執務室へ走る備中。途中、誾千代が立って傅役と会話をしていた。
片膝付く備中。が、誾千代は何も言わずに去った。傅役も同様だ。
「何かあったのかな……」
心当たりは無いが、もたらされた情報こそ重大な性質を持っている、と小走り再開の備中。
「殿。こ、こちらを」
「書状か。誰からだ」
「にゅ、入田殿のお使者からです」
怪訝かつ不審な表情で書を受け取り、目を走らせた鑑連。あっという間に読み終えて曰く、
「薦野」
「はっ」
「えっ」
隣の部屋から薦野が出てきた。鑑連のこんなに近くで仕事を任されているのか、ちぇっ、とちょっと胸が痛む備中。
「若宮に入った入田の動向に、不審な点はあるか」
「いいえ。ご老中朽網様とのやりとりは頻繁に行なっているようですが、秋月と戦う宗像勢の助力などをするなど、大友方として不審な点はございません」
「その入田がワシに知らせてきた。最近、宗像勢が遠賀郡にある城を反乱軍から奪ったのだが、その城主が秋月勢と呼応して謀反を企てているようだ、とな。どう思う」
薦野は先年、遠賀郡から遠出して攻めてきた謀反勢を打ち破る功績を挙げている。立花山城より東方の第一人者となっているからこその諮問だろう。
「入田殿が殿に知らせたということは、対応について仰いでいるということ。であれば、鞍手郡の城主達に対応させるが吉、と存じます。鷹取山城主など如何でしょうか」
「だが豊前北部から大友方が消えつつある今、鞍手郡の守りを軽視してもよいのかね?」
「豊前の反乱勢が動き出すのはまだ先でしょう。田原右馬頭様の一件が片付くまでは」
「様子見か」
なにやら高度な会話をしていて、備中が入り込む余地がない。置物と化した備中、咳き込むこともできない。が、一つの可能性を提示する。
「あ、あるいは入田殿が殿と共に出陣をしたい、関係を改善したいという意思表示ということは」
「ありえん」
「ひえっ」
鉄扇を鳴らしてピシャリと締めた鑑連に、薦野が続ける。
「今、殿と宗像家は良好な関係にあります。宗像家の内紛に容喙する、それも選択肢の一つですが、入田殿が情報源である以上、殿のご方針に従い、ここは警戒をするべきです。つまり、殿ではなく国家大友の他の人がやるべきだ、と」
「罠だと思うのか」
「十中八九というより、確実に。秋月種実の斡旋で間違いないかと」
そう言われると何もいいようのない備中。鑑連はしばらく考えた後、
「よし。それで行こう。備中」
「は、はい」
「鷹取山城の森に会い、入田の言う城を攻めるように伝えろ」
「か、かしこまりました」
正直、鞍手郡方面の仕事をこなしたことは少ない備中。自分で良いの?という視線を薦野に投げると、
「それなりに大きな話ですから、備中殿が適任だと私も思います」
若造め、と心の中で毒吐く備中。鑑連が嗤ったので、心の容を読まれたか、とドキマギしながら
退出した。
立花山城を出て犬鳴峠を越え鞍手郡に入る。天正六年を境に治安が極度に悪くなっており、薦野が護衛をつけてくれた。が、無言な男だ。
道中、若宮を通り、入田殿について思いを馳せる備中。情報提供者は鑑連の元義兄弟殿なのだ。一言会って、礼を述べた方が良いのだろうか。
「……」
悩んで岐路で佇んでいると、薦野の家来が備中を凝視している。もしや薦野が遣わした監視役だろうか。試しに若宮荘の所務所へ足を向けてみる。すると、
「森下様。方角が異なるようですが」
と諌止が入った。
「……」
戸次家中での立場こそ自分が上だからイラつく備中。ふと思う。日頃家臣に諌止されることの少ない鑑連だが、今は豊後で活動中の小野甥は違う。こういう感情を抱いているのか、としみじみする。備中、確認の為、もう一度足を向けてみると、
「森下様」
上司の気持ちがワカった気がした備中であった。そして、己も鑑連へ諌言めいた事を言っているのかも、と。
考え込みながら進行方向を戻した備中、視線の端に、虹色の暈が見えた気がした。
鞍手郡をさらに進む備中。途中見る村々には戦いの爪痕がそこかしこに残っている。燃え朽ちた建物、荒れ放題の田畑、そして遠目に眺める熊のような顔をしたイカつい百姓達。武装しているようで、荘園の心は荒廃している様子だ。備中、そんな風景の中に立ち、最近覚えた教養を口に気取ってみる。
人知れぬ 思ひのみこそわびしけれ
我が嘆きをば我のみぞ知る
春の風が吹く。カッコ良さに酔いしれていると、護衛が欠伸をした。薦野家とはどうにも相性が悪い、と独り言ちた。一行、直方川を渡る。
筑前国・鞍手郡・鷹取山城(現直方市)
「……というわけでして、我が主人、戸次伯耆守の意向をお伝えしました」
「う、承りましたが、ここは筑前の端。なかなか情勢厳しく……」
困ったように汗を拭ってみせる城主。よく見れば手拭いは湿っていない。
「い、いざというときは立花山城から援軍を送るから心配ご無用、とのことです」
「ああ、援軍も、今は敵に勝る略奪三昧するんですよ……」
薦野隊の評判は芳しくないようだ。実績の陰には人知れぬ裏があるのかもしれない。
「そ、そう言えば。この辺りであれば、ご老中の朽網様の後詰も受けられるはず」
「後詰が来ても、敵に勝てねば意味がないでしょう」
つまり、朽網勢は頼りない。鑑連が聞いたら喜びそうな愚痴だが、辺境を守る武士は苦悩しているようだ。これは説得の甲斐あり、と見た備中、
「わ、我が主人戸次鑑連は、約束は守ります」
「しかし城が落ちれば仕方ない。柑子岳城はそれで落ちたでしょ」
言葉に詰まる備中。ああ言えばこう言う相手の言質を掴むにはどうすればよいか。ふと、今は亡き石宗の声を思い出し、蛇の道は蛇、と思い至って曰く、
「宗像大宮司様と……」
「えっ」
「主人鑑連は宗像大宮司様と和睦され、親戚の関係にあります。ここで不協力なのであれば、殿は薦野隊が乱暴を止めたりはせんでしょう」
「い、いや。協力しない、とは……」
「天正七年を戦い抜いた猛者揃い。お気の毒なことです」
「ちょ、ちょっとお使者の方」
「では、私はこれで帰ります」
「ま、待ってください!」
「はっはっはっ!」
こうして備中は首尾良く役目を果たすことができた。護衛が備中を見る目が、少し変わったような気がした。
帰り道、また若宮を通った備中、視線の端に、虹暈の光がまだ見えていた。




