第381衝 虻蜂の鑑連
「い、一体何があったのだ!」
「はっ!現在、親家公が国東郡に展開を始めておりますが、道中、速水郡における田北大和守様のご領地を接収いたしました!その理由が、田北様ご謀反のため、とのこと!追討命令が発せられていますが、これ以上の詳細は不明です!」
鑑連、床を揺るがして立ち上がり叫んだ。
「馬鹿め!こんな見え見えの罠にハマりおって!」
憤慨の余り、悪鬼面となる鑑連。紫電を放っているようにも見える凄い迫力だ。
罠とは、恐らく安芸勢か秋月勢どちらかが仕掛けたもの、ということなのだろう。ここ一年以上、秋月勢が乱発する虚報に苦しめられてきた鑑連にはよくワカる。
「た、田北殿は今どこにいる!まだ豊前国内か!」
「いいえ!所在不明です!」
「所在不明!」
「田北殿の軍勢は何処へ」
「豊前国内に留まっていますが、田北大和守様ご不在と追討に従い、領地へ帰る者、後を絶たずとのこと!」
これで豊前の田北隊は四散、ということになるのか。それも戦わずして。なんということだろう。
「マズいマズいぞ。田北は出世は遅れているが、あれで人望がある。田北が討たれでもしたら、せっかく結集した豊後勢が疑心暗鬼になってしまう」
鑑連の計画に致命的な損害を与えかねない。これが誰の仕業かはともかく、適格に狙い撃ちしている印象だ。
「小野、いや備中、いやいや小野!」
「はっ」
「すぐ国東郡に入り、セバスシォンに会って田北追討撤回させろ。説得するのだ」
「承知しました。また、義鎮公、義統公がどう関わっているか、調べねばなりますまい。ワカり次第、使者を送ります」
小野甥が広間を出た。大友宗家に顔が聞く小野甥は、こういう時にはうってつけである。
「皆よく聞け」
鑑連の低い声に、幹部連がみな平伏する。
「豊前を抑えていた田北がこうなった以上、田原攻めは長引くかも知れん。ということは、豊後からの援軍到着はさらに遅れる。すなわち、また佐嘉の田舎者どもとの小競り合いがはじまる、ということを肝に銘じておけ!」
「さ、佐賀勢は筑後攻略に手間取っているとのことですが……」
「万を超える勢力を動かせるのだ。万を超えることの無いワシらを相手にな」
つまり、幾らでも二正面作戦は可能、ということだ。田北大和守が豊前を追われたことで、小康状態を支えていた均衡が一つ崩れてしまったようだ。
「なんとしても、田北を豊前に戻さねばならん。備中」
「はっ!」
「例の檄文に対しての返信の状態は」
「は、はい!続々と!」
戸次甥を筆頭に、鑑連に賛同する返事が毎日送られてきている。そう言えば、志賀前安房守からも来ており、全員から返って来るだろう気配だ。
「追加で書を書け。要点を述べる。すなわち」
田北大和守の謀反は敵の罠。
田北が消え、最大の利益を得るのは秋月勢。
戸次鑑連、諫言のため小野和泉を豊後へ送った。
一同、後に続くべし!
「すぐに用意いたします!」
これなら文章を優しく整える必要もない。
「急げよ」
鑑連の近習衆、気合で書状を作成し、前の檄文を送った先へすぐに使者を飛ばした。
「鎮理にも諫言させよう。内田」
「はっ!では出発します!」
命令があればそれだけで幸せな内田、国家大友の危機ではあるが、元気良く岩屋城へ向け出立する。城から南へ早駆ける内田の姿を見ながら、ようやく落ち着いた様子の鑑連が呟いた。
「秋月の次の手はなんだ」
「……」
この冬、秋月勢の活動は活発では無い。鑑連の調略により、宗像勢が大友方として活動していることも理由だが、安芸勢の支援が減り、活動の余地が減少しているためである。
「殿、申し上げます」
珍しく吃らなかった備中。鑑連の無言に押されて曰く、
「今、秋月も悩んでいるはずです。なぜなら、安芸勢を頼ることができず、佐嘉勢との仲だって必ずしも順調ではなく、肥後では親薩摩勢の力が増しています。田原右馬頭は縁者のため見捨てることもできない。と殿と戦えば負ける。軽々に動くこともできず、辛抱する時なのだと思います」
鑑連の背中は、そんなことはワカっている、と言っているようだ。
「佐嘉勢と秋月勢の間に綱引きは必ず存在します。利害が一致しているから協力できているだけで、ええと、その、それが破綻すれば、あの、ええ……」
しまった。考えがまとまっていなかった。頭と口が追いつかず、急に吃り始めてしまう。
というより、佐賀勢と和睦をしては?という言葉が口から出ることを嫌がっているためこうなっているのだ。言えばきっと、怖い凝視が飛んでくる。
だが鑑連は檄文に書いていた。諫言を恐れるな、と。よしならば。いやしかし、あれは大友宗家に対してのものであって、鑑連は別、ということはないだろうか。
ええい、ままよ!と意を決した備中、無言のまま外を睨む鑑連へ向けて口を開いて曰く、
「申し上げます!肥後にて戦いがありました!」
時宜悪く、近習が飛び込んできて、そう叫んだ。備中の勇気はかき消された。
「甲斐相模守様からの書状が到着しました!」
「あいつか。見せろ」
書状を手に、心無しか顔が緩んだ鑑連。相手にしていないように見えて、昨年の苦境を共に過ごした肥後武士に感謝しているのかもしれない。鑑連なりに。
「とりあえず朗報だな。肥後で戦いが起きたが、大友方が勝利した」
「おお!良かった!」
「だがこんな戦いが起こるのだ。肥後も内乱突入だ。薩摩勢と佐嘉勢が入り乱れることになる」
「し、志賀様が肥後を離れたことが大きかったのでしょうか」
「ふん。変わらんさ」
「な、なるほど」
志賀前安房守を突き放した鑑連。この二人は不仲のようにもワカりあっているようにも見える。
「ヤツは、肥後で仕事をしない、という仕事をギリギリいっぱい果たしたとも言える。肥後で真面目に仕事をすれば、命を失うだけだからな」
その言葉に、かつての菊地の殿や小原遠江の末路を思い出す備中。
「遅かれ早かれではあろうが、阿蘇大宮司家がこちらの味方である。しばらくは大丈夫だろう」
「そ、そのご家老である甲斐相模守様は、我らと筑前で戦い抜いた言わばせ、戦友!ぜひとも頼りにしたいものです」
「どうかな」
「き、厳しいでしょうか」
「あいつは甘い。人が良すぎる。上っ面の下に悪意があるかと警戒していが、何もなかった」
鑑連の人物評がいささか辛いようだが、
「ヤツの親父のがよっぽど悪党だ。そして、こんな時は悪党の方が信頼できる」
「殿は、甲斐殿のお父君をご存知なのですね」
何を言っていると、いう顔になった鑑連曰く、
「何を言っている。三十年前、肥後で貴様も会ったろうが。あの生意気で態度の悪い阿蘇家の使者だよ」
「ああ……あ!」
備中、荒くれ武者のことを思い出した。
「今の阿蘇大宮司家はあの親子が仕切っている。覚えておけ」
「は、はい」
過去に会った人物が大物になっている、これは喜ばしい、と頷いた備中。だが、肥後の名目上の押えが、志賀前安房守から阿蘇大宮司家に変わった意味は大きいのでは、と懸念せざるをえない。国家大友は肥後直接支配までも失い、内乱に突入していくのだから。
九州を巡るこの大戦略に、鑑連も関わっている。悪しき結果を招かねば良いが、と神仏に願掛けするのは備中一人ではないはずであった。




