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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
弘治年間(〜1558)
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第37衝 加判の鑑連

「ついにここまで来たぞ!」


 そう叫んでいるワケではない。だが、顔にはそう朱書きされているように見えるのだ。面前に座る臼杵家の使者は、気がついているだろうか。


 備中の目に映る、老中として書状に判を添える鑑連。注視せねばワカらないが、その手は実に微細ながら振動している。緊張によって、では無い。どこまでも歓喜のためだ。ほら、印鑑を握る手が汗を握っている。風吹けば、皮膚を伝う汗が蒸発していく。その様が見えるではないか。力みすぎてか、印がヒビ入るような音も、耳に聞こえた。印鑑がグッ、と書状に落とされた。音でワカるのだ。沈む、沈む、満足に沈む様に、色が滲んでいく……押力から解放された印鑑が、そっと持ち上げられる。まるで切腹した者の腹に残りし小刀を、介錯人がそっと引き抜いてやるように、優しく、丁寧に。跡には朱影が残った。それは美しく、権力を弄ぶ者の願いが込められているようであった。彼は立派な権力者たりたい、という。だが、この言葉には含蓄があって、そうあるためには、平然と残酷に手を染める天性の素質が不可欠なのだ。


「備中」

「……はえっ、はっ!」


 恐ろしい声が飛んで、一気に現実に引き戻された森下備中。鑑連のドスの効いた声に促され、書状を受け、整えた後に臼杵殿へ献じた。


「これが権威備えし悦びか!」


 また鑑連の声なき声が、森下備中の耳に飛び込んでくる。満足一杯の表情はまるで悪鬼である。備中の知る限り、主人鑑連は数多くの人々を生贄に、ここまでのし上がって来ている。見れば見るほど悪鬼面、修羅の如き厳しさが浮かび上がってくる。


 思えば、主人鑑連は名門の生まれであっても、有力権門の人ではない。自分の独力で、ここまで這い上がって来たのだ。称うべきはこの向上心。しかし、と備中考える。


 先代大友義鑑公は義鎮公をそそのかす事で死に追いやられた。伴って、近習の多くが始末された。義父入田親誠はその為の犠牲に供された。その娘である妻も離縁追放だ。義鎮公の叔父にあたる菊池の殿を独断で殺した。小原遠江守に疑いをかけ貶め、追随者たちと共に反乱に追いやり死に至らしめた。そして佐伯紀伊守。無抵抗に逃走した彼だって、今後いつ殺されるかしれたものではない。


 主人鑑連が操る義鎮公も罪深い。気に入らないというだけで、一万田兄弟とその徒党を殺害したという。大内家を継いだ弟を、領土欲しさに見殺しにしたという。極めつけとして、その振る舞いに憤った秋月家を攻め滅ぼした。


 だがこれらの殺人に正当性を与え、許可し、事後の調整を為す者がいるのだ。


 それは主人が妖怪、と口悪く言う吉岡越前守である、と備中は考えている。備中はあの余裕たっぷりな笑顔の裏にある底知れぬ悪意を感じ取り始めていた。だが、妖怪はなんのためにそんなこと。吉岡長増は欲望が深い人間ではないという評判はある。質素で倹約家だし、邸宅構えも一般的だ。家臣の数も極端に多いわけではない。


「権勢欲か」


 最大限権力を動かすためには、贅沢も威勢も不要なのだと考えているのだとしたら、恐るべき怪物である。妖怪どころではない。最も欲が深いからこそ、忍従にも耐えられるのだろう。老中衆最怖は、彼のお方か。


 それに比べれば、今、この席で主人鑑連と対面している臼杵殿は険がない。柔らかな気を放っている。


「ありがとうございます。戸次殿、今後ともどうぞよろしくお願いします」


 鑑連より年上で、老中としても先輩なのに、しっかりと礼節を尽くしている。大したお方だ、と備中、感心する事しきり。



 仕事が終わり、戸次邸の主だった者達が寝静まった後、月明かりの下、森下備中は独り今の老中衆を書き出してみる。


 田北鑑生 筆頭、豊前北部担当

 吉岡長増 豊後北部、豊前南部担当

 臼杵鑑続 筑前、筑後担当

 雄城治景 数合わせ担当

 志賀親守 豊後南郡、肥後担当

 戸次鑑連 粛正担当


 田北、吉岡、臼杵、志賀、戸次と大友家の血筋の家が、五家。その外は、老いて影響力のない雄城様のみ。今や小原家は滅び、その後任最有力であった佐伯家は追放となった。雄城様退任の後、六番目の老中加入、あるのだろうな、と誰がその有資格者か、候補者を考えてみる森下備中。


 やはり大友の血筋に連なり、先の内乱や戦いでも重用されていた今をときめく高橋様か。貴人中の貴人とも言うべき麗しい立ち姿を、備中は忘れられない。


 あるいは、実績は少なくとも、同じく抜擢されていた吉弘様か。こちらの方が義鎮公には近い。


 思えば、それは主人鑑連の後輩になるのだ。前者には舌打ちをし、後者を危険な最前線へ誘導した主人鑑連は、どちらかを支援するのだろうか。そもそも後輩の指導教育など鑑連にできるのか。それとも、無害な雄城様の引退を留め続けるのか。


「殿なら無害な方の残留のため、根回しをするのだろうなあ」


 だが、この予想は大きく外れることとなる。その時備中は、付き合いの長い主人鑑連の真の恐ろしさは底知れない、と怯え震えるのだ。

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