第377衝 恩讐の鑑連
その数日後、鑑連の元義兄弟である入田丹後守が立花山城にやってきた。
「新年明けましておめでとうございます。そして、お久しぶりです。鑑連殿」
鑑連に対して、鑑連殿、と呼べる人物がまだ居たのか、と戸次家家臣団一同、ゴクリと息を飲む。そして、これが噂の義兄弟殿か、と好奇の目で詮索する。
「この度、国家大友より、過日の咎めに関しご寛恕賜りました。その上で、筑前国鞍手郡、若宮の地の代官たるを命じられました。若宮はこの立花山城と犬鳴山を挟んで隣同士。まずは鑑連殿にご挨拶をと、まかりこした次第です」
慇懃だが無礼には感じない口調に思える。それに入田家は大友血筋の家柄。さすがというのか、抑制が効いた育ちの良さを感じさせる。恐らく、鑑連以外は。主人は笑ってはいないが、嗤ってもいないのだ。
そんな鑑連、刺の無い口調で語りかける。
「入田殿。これまで大変だったろう」
当たり障り無いが、事実大変であったはずだ。元義兄弟殿は、先代義鑑公に対する政変の際に、父など一族を殺され、全てを失ったのだ。その顔つきは苦労を味わった人特有の風貌を備えている。
元義兄弟殿とて、三十年前の陰謀に鑑連も加担していたことについて、聞き及んでいるに違いない。どのような気持ちでこの場にいるのだろうか、と備中は不謹慎にも想像力が刺激されるのである。
「今日の日を思えば、諸国を放浪した過去の苦労も忘れることができます」
元義兄弟殿の発言に云々頷く鑑連。備中、嫌な予感しかしない。
「過去の話とは言え、入田丹後守殿はお気の毒なご最期であった」
お悔やみする、というように嘆息する鑑連だが、お悔やみする、とは言っていないことに、悪鬼の近習たるもの、留意するべきである。そろそろ前ご正室の話も出てきそうだ。
それにしても、かつてここまで見る者一同手に汗握る場面があったであろうか。あったような気もする備中だが、過去の行状について責任を回避する鑑連ではない。元義兄弟殿が詰問あったとしても、派手に跳ね返すに違いない、きっと。
とは言え、冷静に考えてみればこの場で丁々発止が始まることは無いのではないか。この面会が、過去の遺恨を流しての顔合わせ、ということであれば、事件はこの後の会食の場においてこそ相応しい。
「本日はご老中木付美濃守様からの書状を持参いたしました」
「うん」
鑑連の視線を受け、書状を受け取るために腰を上げる備中。視線を下げながら近寄り、書状を受け取りつつ思い出す。確か元義兄弟殿は、義実、と名乗っていたはず。義の字は先代義鑑公からの賜りものだろうが、それが前に付いている。入田一門のかつての栄華が知れるというものだ。だが、急転直下、流浪の日々を送り、ここに居る。ようやく、寄託するものでない生活の糧を掴んだのだ。これを手放すまい、と国家大友への献身の思い、強いのかもしれない。
ならば、いたずらに敵対するのも考えものである、との考えを目に込め、備中は一瞬鑑連の顔を見て、文書を取り次いだ。迫力はあるものの、理性は保たれている表情だ。この意が伝わっていれば良いが、と思ってみる。
が、鑑連はその場では書状を確認しない。何も発することなく、鎮座している。無言の空気が流れる。ついに元義兄弟殿も、
「では、失礼いたします」
と下がるしかなくなった。会食の席も設けられなかった。
「殿」
「小野、貴様はこの件について口を挟むことは許さん」
取り付く島も無い鑑連のようだが、
「では備中殿なら?」
「えっ」
「許す。言ってみろ」
「備中殿」
「えっ、えっ?」
まるで先を見越したような小野の回しにお猿の如く泡を拭く備中。手拭いで口元を押さえた後、恐る恐る口を開く。
「入田殿ですが、その、お、思った程は害意が無いのかな、と」
「それで」
鑑連は許すと言ったが、逆鱗に触れる危険性もある。備中は薄氷を進むように言葉を絞り出す。
「や、山を越えた先の地に入るのは、殿への牽制よりも、朽網殿への支援なのではないかと、思い始めています」
「確かに、ヤツらは叔父甥の関係ではある。しかし、朽網は生き残るためにイヌになった男だ。抹殺された兄の子を贔屓にするかな」
鑑連が冷静でホッとする備中。小野甥が手を挙げる。
「殿、よろしいですか」
「ダメだ。備中」
「は、はい」
「……」
小野甥の視線を受けて、備中の口は勝手に開く。
「そのあの。く、朽網殿への支援としても、最前線の地に送り込まれているということが、その、誰のご意向か、これはワカりません」
「なんだって?義鎮しかおるまい」
「私も最初はそう思ったのですが、お、恐らくご自身で志願されたのではないかと……国家大友の危機に、さすがの義鎮公もそんなことは為さらないはずです」
鑑連は吐き捨てる。
「あいつはやるヤツだ」
「相手がと、殿でなければ」
ちょっと考えた鑑連、
「まあそうかもな」
と頷く。素直な時の主人は実に良い、と喜ぶ備中に、鑑連反論する。
「志願。しかし、あいつはそんな度胸のあるヤツじゃない。父親に甘やかされたボンボンだ。覚えているか?義実、ヤツの名だ」
「は、はい」
「先代、いや義統から数えれば先々代の大友家督が与えたんだ。それは寵愛ここに極まれり、と言ったものでな。未だにその名を捨てていない。実に不愉快な名だ」
確かに、元義兄弟殿について考えを深める時は、このことを良く考えないと行けないかもしれない。
「今は出家時の法名を名乗っているようですが」
「貴様に発言を許したつもりはない。備中」
「し、しかし渡世に揉まれたお顔つきだったように思いました」
「同感ですな」
「おい」
爽やか侍が話に入りたがっている。中々、可愛いところもある、と備中独り言ちずに続ける。
「お。恐らく、ご自身の腕によって、一門の再興をお考えなのではないでしょうか。そうでなければ、あの方が若宮の地に入る理由がありません。今の国家大友にあって、最も危険な地なのですから」
「殿に近いという点でも、ですね」
「叩き出すぞ」
「私は備中殿にお話しているのですが」
悪鬼面が現れた。しかし、小野甥の発言が止まらない。
「ご存じですか?入田殿は妹御を義鎮公の側女として差し出したそうです」
「なに!」
備中も問い返したが、鑑連の声にかき消される。
「そこまでするのです。国家大友で在りし日々を取り戻したいのでしょう」
「そんな話は初めて聞いたぞ」
が、小野甥、鑑連を無視し備中へ話しかける。
「先ほど、我が手の者が持ち帰った話です」
さすが、やり手の小野甥である。一味以上違う。自分はと言えば、鑑連の前正室、入田の方についての発言すら、主人にできないのである。
「備中殿、我らが殿に、入田殿を活用できる御器量があることを、期待するとしましょうか。そうすればこれまでの劣勢に対して、多少の挽回にはなると考えています。では失礼」
「貴様、おい。話は終わっていないぞ」
退出する小野甥を追って、鑑連が出て行った。備中は思う。誾千代の婿取りをみな忘れていないといいな、と。




