第372衝 龍攘の鑑連
岩屋城、広間。
戦場から戻った鎮理と、押し掛けてきた鑑連は二人きりで話をしている。備中は以前と同じく、外で控えている。話が聞こえてくる。
「秋月どもはどうだった」
「当初はともかく、すぐ逃げに転じました。いつも通りです」
「だろうな」
「謀反人ども共通の戦法になっています」
「だが、こんなことを続けられてはワシらは消耗するだけだ。この一年、ずっとそうだったのだが」
足音の気配から、鑑連が鎮理に迫り、凝視で締め付けていることがワカる。曰く、
「理由は果たして、それだけだと思うかね」
「もう一つあると考えます」
「それは?」
「敵の連携が乱れていることによるものかと」
「よし、ワシに説明してみろ」
これはまさしく高慢に踏ん反り返った時特有の鑑連の動き。元に戻って本当に良かった、と安心の備中である。怡土、志摩喪失による悪影響はすでに見えず。そんなことよりも話が長くなりそうだが、コレ婿取り相談前の面接試験なのだよね、と無言で問答する備中。
「筑前の謀反人共は大なり小なり安芸勢からの隠然たる支援を受けています。国家大友と正面から激突することは彼らにとっても得策でないからですが、かくも慎重な安芸勢が明確に支援している相手こそが、佐嘉勢です。永禄の佐嘉攻略の時も、我々は安芸勢の妨害に苦しめられましたから、その関係は相変わらずということです」
普段物静かな鎮理が流暢に語る姿並びに静謐な語り口は、聞く者の胸に良く染みる。
「安芸勢からの資金により佐嘉勢は肥前で勢力を拡大し、今それは縦横に用いられています。彼ら最大の強みであり、結果、我らは怡土郡、志摩郡から退かざるを得なかったのです」
「で、その連携が乱れているとでも?」
「はい。佐嘉勢の軍事行動は原田勢には禍福をもたらしました。次は筑紫勢、ということになりますが、その攻勢は緻密で、行き当たりばったりではない。一方の秋月勢は、盟友たる高橋鑑種殿が急死したことで、その領域を一手に掴むことになりました」
「これは偶然か否か」
「いずれにせよ、秋月種実は、安芸勢や佐嘉勢が考えていた以上の速さで、勢力を膨張させている。これは間違いのないことでしょう。そしてこのような事は必ず不信を招くものです」
「なるほど」
「よって、今後、西の佐嘉勢と東の秋月勢の連携について、少なくとも戦場の内側では、過度に恐れる必要は無いと考えます。ようやく個別に対応する好機がやってきたと言えます」
「だが、佐嘉勢も秋月勢も、危機になれば再度連帯を強めよう」
「それをさせぬ為に、我らと佐嘉勢との和睦は必須と存じます」
驚いた備中。鎮理は小野甥と同じ考えに達していたということだった。
「和睦」
「この一年、我らは余りに多くの敵との対峙を強いられました。他方、敵の連携は完璧では無いにせよ、我らを苦しめる程度には機能していました。体勢を立て直す猶予すら与えない程に。このままでは我ら無理を強いられ、結果どこかが破綻する。小田部殿のご最期はその例とも言えます」
珍しく饒舌な鎮理である。であればこそ、これは極めて重大かつ真剣な上申のはず。筑前における戦略について、鑑連の承諾が無ければ何事も上手く動かない。鑑連が義鎮公に対して葛藤を抱いているように、鎮理もまた同じなのかもしれない。
「なにより我々には、時間の猶予がありません」
ご検討を、と謙虚に頭を下げる鎮理。対する鑑連はすぐさま反論して曰く、
「勝手に和睦をすれば、義鎮辺りが謀反だと言い立てるかもしれん。これについてどう考える?」
「本当にそうお感じになりますか?」
「なに」
無礼な質問返しが、一瞬鑑連を悪鬼面にした。だが鎮理は立ち止まらない。
「今一度、義鎮公と戸次様ご自身で共に歩んだ日々に、思いを致して頂きたいのです。悪しきことだけでなく、きっと良き思い出もあるはず」
まさに清流が胸に染みるが如し。備中、幾度も主人に致して頂きたかったことだが、実現には至らなかった。
「和睦など一時的で、国家大友に対して失うものの方が多いだろう」
それが一歩進んだ気がした。それもこの静謐なる武将の人徳によるのだとすれば、父や兄とは異なった人格の持ち主なのだろう。鑑連と義鎮公の和解に期待したくなる備中であった。
「鎮理」
「はい」
鑑連の口調が何やら優しい。これは通ったか。
「貴様がワシに望むことは何かね」
「はい。国家大友を支える大黒柱として、みなを統率して頂きたく」
国家大友の民が鑑連に望む事は共通している。
「その為には、貴様の言う通り、改めて義鎮と関係を深めねばなるまい」
「私もそう思います。まずは互いに信じ合うこと、肝要です」
本当に、清廉武士の真心が悪鬼を改心させるかもしれない。感動的な場面を想像する備中だが、一瞬、鑑連の目が光った。嫌な予感がする。
「如何なる手段によって?」
「あらゆる手段で」
「では、鎮理。貴様の長男をワシに寄越せ」
うわ来た、と胸が震えた備中。余りにも強引な話題の直角的変更に、頭を抱えたくなるが、鑑連の希望が直截的に伝わるという利点もあるはず、と未来志向に舵をきる。
鎮理はおどろき、とまどっているようだ。
清廉な人物を困惑させた鑑連の不謹慎な突撃を前に、何やら恥らしい気になり、備中は瞼を固く閉じて俯いた。
沈黙が続いている。鎮理は黙っている。鑑連も黙っているが、龍虎相搏とはかけ離れているこの状況。耐えがたい沈黙が意味するものは何か。
鎮理にとり、ここは思案のしどころだ。鑑連にとっては、攻め方を間違えれば泥沼となる局面だ。果たしてこの差し合い、狼狽した側が先に動いた。
「戸次様」
「うん」
「しばらく、時間を頂きたいのですが」
「時間?」
「はい」
「ワシらには時間が足りないはず。これは貴様の言う通りだが」
「はい」
「貴様は義鎮と血で繋がっている。故に他の誰よりも国家大友の安寧を願っている。そうだな?」
「はい」
「ならば躊躇う必要はあるまい。現在、ワシの後継者は立花山城にいる娘だ。それを貴様の倅と引き換えにくれてやると言っているのだ。一にも二にも、喜ばしい話ではないのかね」
「仰る通りです。しかし、私の一存では決められません」
「それは、貴様の子らが義鎮の姪孫だからか」
「はい。義鎮公のご裁可を得なければなりません」
「義鎮のことは考えるな。貴様自身はどう考える」
「はい。私は」
鎮理の言葉が止まった。世の汚濁から限りなく遠いかのような振舞いが、周囲の人を常に感心させるこの鎮理ですら、返事に困ってしまう。悪鬼鑑連の為せる業だ。
今後、鑑連は国家大友を守るだろうが、どのように動くかについては、誰にも全く予想できないはずである。身近に居れば居るほど、悪鬼の行動理念が見えなくなる。鑑連と苦楽を共にさせられてきた吉弘家の人間であれば、痛感しているはずだった。
この鎮理の悩みが、この時になって初めて理解できた森下備中。鑑連の下に我が子を送り出し悪鬼の養子としても、将来その子と対峙するようなことになっては堪らない、と苦悩しているに違いない。子を思う父の因循、自身も子を持つ備中には良くワカる。
しかし鑑連も、鎮理が感じた苦悩がワカっているのかもしれない。鎮理には幸にして、本国豊後からの使者が岩屋城を訪ねて来た。それだけが理由ではないだろうが、ともかく鑑連はそれ以上の催促を控えたのであった。




