第371衝 朗景の鑑連
鑑連の諮問を受けた時になぜそう回答したか、備中自身も心の整理が付いていた訳ではない。相手が田原右馬頭ならば、大幅な兵力の増強が見込めたし、小野甥が言うように反乱諸将の誰かが相手であれば、筑前の防衛の役に立っただろう。岩屋城の吉弘一門ではどちらも見込めない。
では、得るものもあるとして、それは何か、である。先代の鑑理は義鎮公の妹を正室とし、鎮理はその子である。よって、この婚姻で戸次家は宗家と深く繋がることになる。こういった結縁を有難がる鑑連ではないが、義鎮公と鑑連の間がぎこちない中で、これは大きな利点になるかもしれなかった。つまり、鑑連から宗家への歩み寄り、と見なされれば最良の結果であろう。
「備中、岩屋城へ行くぞ」
「う、内田が破れましたか?」
「クックックッ、内田も指揮の経験を積んでいる。そう簡単には敗北はしない。そうではなく、誾千代の婿取りの件だ」
「も、もう話を進めるのですね」
呆れ顔の鑑連である。
「話を進めるも何も、鎮理の承諾を得ていないだろうが」
「あ、ああ、た、確かに」
鎮理もすっかり鑑連の家来になった気分でいた備中である。だが、断られることはあるまいと思う。
「で、では傅役殿を呼んで参ります」
「いや、まずは意向の確認をする。それからだな」
ということは、難色を示されたり、断られることも考えているのであろうか。鑑連にしては慎重であるように見える。
出発の用意をする備中、ふと視線を感じて、周囲を見ると、誰か廊下の遠くからこちらを視ている。誾千代だ。
「御前……」
備中、近づき平伏しようとするが、視界から外れた次の瞬間、誾千代は身を翻して足早に去っていった。
「あ」
これまでこのようなことがなかった備中。胸に寂しさを覚える。だが、婿取りを歓迎していない、という誾千代の意思表示ではないか。彼女は女であるが紛れもなく立花家督なのであるが、その実態は鑑連無しには維持され得ないということを、幼い身ながら思い知らされたのではないか。普段、かしずく家来たちも、所詮誾千代の後ろに鑑連を見ているだけであるのだから。
誾千代について考えるとき、常に増吟が脳裏に浮かんでいた備中だが、この時はそうではなかった。むしろ、戦争と権力に翻弄される少女の心中を、案じるのみであった。
「備中、遅いぞ」
「し、失礼しました。用意整いました」
「なんだその面は」
「え、えっ」
「ガキに泣かれたような顔だ」
嫌に鋭い鑑連である。
「そうだ備中。貴様の倅だが、藤北から筑前に呼び寄せろ」
「は、はっ?」
「一人でも多くの兵が欲しい」
「はっ。し、しかし倅は鎮連様にお仕えして……」
「鎮連にはワシから行っておく。速やかに呼び寄せろ」
これは断ることはできない、と観念した備中。
「しょ、承知しました」
「だいたい貴様は息子の将来を考えているのか。ワシの下で経験を積ませた方がいいに決まっている」
「は、はい」
「それにもはや豊後は安全な地ではないのだ。何処にいても、危ない時は危ない」
図星を突かれ、またもドキリとさせられる備中であった。
「倅を案じる気持ちもワカらんではないがな」
岩屋城表。
今回、秋月勢は岩屋城、豊満山城の南に位置する小さな山に陣取っている。急ぎ鷲ヶ岳城から戻ってきた鎮理、城外の陣にて迎撃を指揮している。両軍膠着しているが、共に軍勢の乱れはない。ずっと戦い続けているのにどちらも大したもの、と備中感心する。
鑑連はずかずかと陣に入ると、真っ直ぐ鎮理も含め諸将を蹴散らして、たぶん鎮理ようの床几にどっかと腰を下ろした。
「これは戸次様」
「秋月の相手は楽だろう。引いたり逃げたりばかりだからな」
「はい。とは言え、情報によると、豊前にて本国からの援軍を破ったということです。油断はしないつもりです」
鑑連は、事態を嘲弄するように鼻を鳴らした。
「破れたのは朽網の隊だ。老いぼれた武将が堕落した兵を率いていた。誰でも勝てる」
同意せずに頭を下げる鎮理。どうやら鑑連節の復調は伝わったと見える。と、高橋武士らは鑑連と鎮理を残し、スッと陣から出ていった。見事な配慮だが、今度は備中の居心地が悪い。
「膠着しているようだが」
「はい」
「内田の隊もいる。使って活躍させてやれ」
鎮理は少しの間黙った。鑑連がここに来た以上、戸次武士を指揮するのは鑑連なのでは、と思っているのだろうか。
「鎮理」
「はい」
「隠さずに言ってやる。当方は追い詰められている」
「はい」
「すでに西の防衛戦は機能していない。この城を抜かれては、いよいよ最終局面に至るということになる」
「はい」
「無論、ワカっているな」
「はい。この山には古の城跡もあります。今も昔も守りに適しているということでしょう」
鑑連の後ろで初めて知った、という顔をした備中に、
「かつて当国が大陸と戦った頃の名残ということだ」
と補足を入れてくれる鎮理。再度、鑑連に頭を下げて述べる。
「地の利を活かし、力を尽くします」
「守れて当然なのだ。そう考えると、お前には大きな功績がまだ無い」
おや、今日は誾千代の婿取りの相談に来たはずなのに、と備中は緊張を高めていく。
「ここに地の利を見出したのは裏切り者高橋鑑種の功績であって、貴様のものではない」
「はい。無論、承知しております」
「ならば秋月勢をとっとと追い払って来い」
「承知しました。一つ、お願いがございます」
「うん」
「一時的に、内田殿の隊をお貸しください」
「何故だね」
「消極に徹した展開をしているので」
「それはワシの配下を詰っているのかね」
「いいえ。そうせよ、という戸次様の指示が出ていると考えますが」
鋭い。その通りである。が、鑑連返して曰く、
「何故、ワシがそういう指示を出したと考える」
「恐らくですが、私を試す為ではないかと」
鎮理にしては踏み込んできた。鑑連もそう感じたのだろう、途端、悪鬼面になる。
「今更、貴様の何を試すというのだ」
「それを今、考えております」
やはり鎮理は静かなようでいて勘が鋭い。普段攻勢大好きな鑑連が内田を控えさせたことから、何かを感じ取ったに違いない。無論、問われて答える鑑連ではない。
「禅問答をしている猶予はあるまい。とりあえず敵を蹴散らして来い。後ろの心配はするな」
「承知しました。では一時、この城の守りはお任せいたします」
鎮理が陣を出た後、鑑連は呟いた。
「やり難い奴め。鎮信の素直さが懐かしい」
鑑連らしからぬ優しい口調である。悪鬼の追憶に触れ、なんとも癒されるのであった。
その後、鎮理率いる高橋隊は、内田隊の助け無く秋月勢を山から易々と追い払い、小康を得ることに成功した。




