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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
弘治年間(〜1558)
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第36話 哄笑の鑑連

 森下備中、豊後の国の街道を南へ進む。佐伯領を目指してひたすらに進んでいるのだ。朝倉の陣での会話を何度も思い返し、馬へ怒りの鞭を振るう。



「備中。佐伯の元へ行って、降伏を勧めてこい」

「こ、降伏でございますか」

「そうだ」

「し、しかし、降伏するでしょうか。討伐の対象なのです。死ぬ思いで反撃するのでは……」

「当然だな。反撃の体制もすぐに整えるだろうよ。だが、この大軍が南下するのだ。勝利に彩られた士気高い軍……これを前に奴らが降伏しないとも断言できん」

「……」

「なんだ」

「わ、私が」

「そうだ、貴様がだよ。紀伊守とは面識があるだろうが。それにいくらか親しかったな。向こうも貴様の事は戸次の中では一番見知っているはずだ」


 確かに肥後討伐の折に知己を得ているが、それにしても、下手をすれば殺されてしまう。思わず諂い笑いをして備中主人に縋る。


「ご、護衛の衛士の方はどなたが」


 鑑連、悪鬼面になり呆れて曰く、


「愚か者。貴様如きにそんなものつけるか。一人で行ってこい。ああ、石宗が持ってきた弾劾状を忘れるなよ。必ず、本人に、貴様の手から渡すのだ。これは必ずそういたすように」


 殺されてしまうかもしれない、とは思っても吐けないのが武士である。そんな弱音を漏らせば、この武士全盛の世で武士として生きていけない。真っ青な顔で退出する備中に、気の毒そうな顔をした内田が肩を叩く。元気付けてくれているのだろうか。だが、出てきた言葉は次の通り。


「遺産の整理は任せてくれ。遺族には良く言っておく」


 弱々しい笑顔で内田を見つめる備中。無理に作ったぎこちない笑顔で、肩に置かれた手を無言で払った。



 出発の際の馬は由布が用意してくれた。死出の者への労いなのだろうか。が、そうではないようで、由布は言葉で力づけてくれる。


「……危険な役目ではあるが、お前が戸次家で最も紀伊守に知られている事は間違いない。それに降伏の使者を出したというだけで、大友家は佐伯家との間の君臣の義理を果たした形になる。討伐の是非はあれ、誰かが行かねばならない。ワカるな」


 常に無く饒舌な由布に、先の感謝もあり笑顔を見せた備中。それはあまりにも弱々しく頼りないものだったためか、由布はさらに続けて、


「……抜擢されたと考えろ……また会うのを楽しみにしている」


 不安な時に何よりの言葉だった。しかし、そうなのだろうか?逆の考えもできるではないか。つまり、主人鑑連にとって、森下備中は仮に殺されたとして構わない、その程度の家臣なのだという……晴れぬ憂鬱を胸に、備中は出発していた。



 豊後の最南端、栂牟礼城(現佐伯市)。


「おや、備中ではないか。久しぶりだ。ははは、肥後攻めが懐かしいな」


 使者を出迎えた佐伯紀伊守は友好的であり、謀反の訴えは誤りではないか、との確信を深めてしまったのが備中としてはまずかった。これでは以後の所作に同情を織り込んでしまいそうだ。


「だが戸次家の面々は、筑前に出張っていたのではなかったのかね。こんな遠くまで、どうしたのだ」


 大変に気が重い。せめて、と無言で、書を程ずる備中。目を落とし、渡された書状が弾劾状だとワカると、プルプル手を慄わしはじめる佐伯紀伊守。備中をカッと睨み叫んだ。


「なぜ我らが反逆者になるのだ!」

「はっ!」

「森下備中、何故だ!」

「ははっ!」


 いくら主人の謀略の結果だろうが、また佐伯紀伊守が人格者であろうが、その存念を伝えることは出来ない。証拠があっての事ではないし、それを伝えたからといって、紀伊守の立場が良くなる訳がないからだ。


「殿、この者捕らえて、血祭りにあげてくれましょう」


 まずい。物騒なことを言いはじめる佐伯家臣団。そして何も言ってくれない紀伊守。ほら、殺される旗が上がった。ブツブツ独り言ちはじめる備中。


「ついにここで生を終えるか……しかし、しかしだ!」


 説得の一つもせずに死ねるか。それに怯えてばかりでは、彼らの心を刺激するだけ。佐伯家臣団、迎撃の話をし始める。


「ここは要害の地、城の状態も良く、今は民草どもの支持もあります。戦いましょう。籠城しても、耐えられます!」

「そうだ!それに我らには海がある!幾らでも戦える!」

「殿、日向土持家に援軍を依頼しましょう。大友勢を城前へ誘い込み、日向路と船を活用して背後に兵を回し、袋の鼠とするのです」


 中々本格的な戦術だ。もはや迎撃ではなく殲滅ですな、と意見したくなったが、唐突にクルリと備中へ向き直った佐伯家臣団。


「話を聞いたからには、しばらくこの城に滞在していただきますぞ、お使者の方」


 まずいまずい。勇気を振り絞るのだ。そうだ。こんな時こそ、主人鑑連の無頼な性格を真似るのだ。そう力んでみると、ふと、石宗の顔も浮かんだ。よし、あの笑い声だ。


「ハッハッハッ!」


 ぎょっとする佐伯家臣団。沈黙が流れる。やはり笑い慣れていないから様にならない。だが、口火を切った以上は続けねば。


「ハッハッハッ!無理でしょう!この手の事は、きっとあの周到な吉岡越前様が根回し済み。日向勢も動けぬようになっているはずです」

「な、なんだと」

「ハハハッ!此度ここに送られる前に、三十年前に行われた大友家によるこの城への攻撃を学んできました。それに習えば、すでに反撃の手立て、尽きているに違いないのです」


 紀伊守、反論する。


「三十年前とは違う!私は無軌道な政をしていないぞ!あの時とは違う!」

「私もそう存じます!」


 それは備中怒涛の同意であった。この気迫に押され、辰……と沈黙する佐伯家一同。こんな時、沈黙が最も怖いのだ、と備中武者の如く震える。


「なら、なぜ当地に来られた」

「め、命令によって参りました」


 沈黙に押されて情け無い本音が漏れた、と恥ずかしくなる。


「つまり、備中殿は佐伯が無実、信じてくれるのか」

「恐れながら、僭越なる事は何も申しあげることできません。しかし、此度の騒動、佐伯様にも、非、ございます」


 主君を非難され、激発する佐伯家臣団。


「どこにだ!」

「義鎮公及びあらゆる決裁権を持つ老中衆に、大いなる疑いを持たれてしまった事です!」


 さらに叫ぶ佐伯家臣団。


「下衆の勘繰りだろう!」

「権力持てば、不穏分子を始末して義鎮公の覚えをめでたくする、そう思うもまた然り!」


 思わず叫び返してしまった備中。それは自身独特の激情の発露であり、石宗流の笑い声よりも、場を鎮めた。このちっぽけな雷に撃たれた佐伯紀伊守、嘆息して口を開いた。


「……つまり私は敗れたのか。大友家督を取り巻く権力闘争に」


 さすがに、はい!とは言えない。顔を伏せるしかできない備中であった。だがこの場にあって、沈黙は同意である。


 重々しい沈黙が場を満たし続ける。佐伯家臣団も、今や沈痛に目を伏せるのみ。夏の音である蝉の声が無情の態で響いている。



 しばらくの後、佐伯紀伊守は口を開いた。


「私と家族は豊後を出る」


 その言葉と共に、皆が顔を上げた。


「それで万事が治るならば、仕方がないだろう。他に手はない」

「殿、ご再考下さい!戦えば、道が拓けるかもしれません!」

「三十年前、同じく謀反の疑義により攻撃された佐伯は灰となった。幼少であったとは言え、あの日の事は忘れられん。同じ事は避けねばならない。それに攻めてくるのはあの戸次鑑連だ。殺戮破壊火付、容赦はすまいよ。抵抗すればこの三十年が全て無となる。私と家族が去れば、お前達も降伏できる。内乱は……回避できる」


 翻意を強く促す家臣団とそれを諌める紀伊守の声を聞き、よかった、これで戦は回避されたと確信を持てた備中。ふう、と一点息吐いて、簡易な挨拶を行って退出を乞う。紀伊守はいささか諦めが混じった瞳を伴って、口を継いだ。


「備中が来てくれて良かった。戸次様には私が出奔した旨、急ぎ伝えてくれ。頼む」


 これは本音であろう。なぜなら、この言葉を賜った備中は、心に激しい喜びを感じたのだから。これで殺されなくて済みそうだ、という事ではない。彼自身が認めている人物から、頼られた事が大いなる喜びであった。主人鑑連への復命という任務を与えてくれた紀伊守に心の底から感謝をする森下備中。紀伊守、片膝つく備中に向き直り、言った。


「備中、いつかまた会おう」


 晴れ晴れとしてる、とは言い難いが、決意した男の顔がそこにはあった。


「ああ、それから」


 備中、顔を上げた。紀伊守、笑って曰く、


「さっきのあの笑い声。あれはやめた方がいい。そなたには似合わない。あの角隈の真似など、もうしないことだ」


 バレていたか、と備中は苦笑しながら承知して退出した。



 北へ馬を飛ばす備中は思いに耽る。清廉な佐伯紀伊守の振る舞いは、きっといつの日か、他国の立派な大名によって重宝されるのだろう。本来、国家大友がそう遇する事が最も望ましいのだが、主人鑑連が栄達していく過程でそれは困難なのだろう、と。


 なんにせよ、戦は回避された。佐伯紀伊守の前途に祥多かれと、空へブツブツ文言を唱え、備中は鑑連との合流を急いだ。強烈な昂揚感に突き動かされて。

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