第367衝 物忩の鑑連
秋、立花山城にて、鑑連の指示を待ち続ける戸次家家臣団。だが、鑑連はまだ頑ななまでに無言を貫いている。幹部連、額を寄せ合って相談する。
「……殿は相変わらずか」
「は、はい」
「……そうか」
「御前や御台様とはどうでしたか?」
小野甥のこの質問は、備中が奥に立ち入ることが許されていることによる。
「同じです。怒ったり無視したりはありませんが、いつも良く笑う殿があまりに静かなので御前は不安がっていますし、御台様はここまで何も喋らない事はかつてないことだと」
「深刻ですな」
と言うのは肥後武士である。こいつまだいるのか、という顔をして内田が提案する。
「矍鑠たる殿もご高齢だ。筑前の総大将としての責務の重さは我らにだって計り知れない。ここは一つ、湯にでも浸かって休養してもらうのはどうだろう」
「湯をしばく、か。良いかもしれないけど」
「武蔵寺の辺りは戦場になっています。筑前の名湯というと、武蔵寺の湯が一番です」
「確かに、温泉入浴ほど健全かつ安上がりな愉悦はありませんな」
肥後武士の軽口は内田をカリカリさせる。ふと、武蔵寺の湯を薦野としばいた夜を思い出す森下備中。その薦野は、引き続き鞍手郡で反乱勢相手に暴れまわっている。
「おい備中、他に付近の温泉無かったっけ」
「え、ええと、話では薦野殿の領地付近にあるらしいけど。いや、若宮の湯の方が有名かしら」
「……殿の犬鳴峠越えは、宗像勢を下手に刺激してしまうかもしれん。それに兵にも休息は必要だ」
「確かに。次の戦がいつになるか、ワカらないのでは猶更ですね」
貝のようになった鑑連の停滞についても、発言すら止め、休息を取っているのだと思えば、多少は安心できる。柑子岳城が落城したとはいえ、いや落城した今だからこそ、鑑連は筑前における事実上の総大将になっている。味方や敵はもちろん市井の者ですら、秋月次男坊より、佐嘉勢の頭領よりも、鑑連の動向が気にかかる様子であった。
なお、誰よりも主人の状態を懸念する幹部連は鑑連に束の間の湯治を薦めるが、本人から一切の返答は無く、一同さらに頭を悩ませるのであった。
翌日、敗軍の将である木付殿が立花山城へやって来た。しきりに恐縮し、救援が到達できなかったことについて一切の非難を口にしなかったことから、彼らは同情を持って受け入れられたが、連れてきた供の者は十数名と如何にも少ない。
「木付殿、他の方々は?」
「……筑前での夢を失い、本国豊後へ帰って行った。私の力が足りず、申し訳ない」
臼杵家は日向で当主を喪っている。残った幼主を支えるためにも止むを得ない選択なのだろうが、進出を諦め本国に戻る一門の姿勢から、実に寂寞たる印象を得た森下備中。本領に大友家督を迎え入れ、二代に渡り強力な老中を輩出した臼杵家もこれで本当に終わった、という感想が自然に湧いてきたのだった。
ある日、肥後から志賀前安房守からの使者が来た。が、鑑連は表に出てこないため、幹部連が対応する。曰く、
「肥後にも不穏な空気が流れ始めているため、肥後隊を引き上げる」
というものであった。ただでさえ兵が足りない鑑連から五百の兵を引き上げるのだという。肥後は志賀前安房守の担当領域であるため、鑑連に拒否権は無いが、それにしても唐突な話であった。内田や小野甥が時間稼ぎを試みるも、その使者にもまた権限はないのであった。すっかり筑前大友方の重鎮として振る舞い始めていた肥後武士も、余りに急な指令だ、と不快を隠さないが、
「……その指示は、我が宗運殿のご意向かな」
「はい」
「では、宗麟様の承諾も得ている話なのだろうな」
と鼻から深く息を流した。
「それで、不穏な動きとは?」
「佐嘉勢や薩摩勢に通じる者共がいる、という風評です」
「薩摩勢」
座が騒々しくなる。
「日向で大勝利を得た薩摩勢は獲得した地の確保に専念していると聞くが、遂に動き始めたか」
「そう言った動きもあるようですが、単純な謀反の気配です」
「疑わしいのは」
「隈部勢、城勢、名和勢です」
「結局、この筑前に援軍を出さなかった連中か。援軍どころか、結集して肥後から志賀殿を追い払い、それぞれの敵対者を始末するつもりだな」
「て、敵対者?」
「恥ずかしながら、肥後の平和は微妙な均衡を志賀殿がご調整、というかご尽力により成り立っているのです。誰もが不仲な隣人を殺してやりたい、と隙を伺っているのですよ」
肥後武士は、肥後の情勢に明るくない備中に説明をする。なるほど、隙を伺うという点では、日向での大敗後直ちに乱れた筑前と同じなのだろう。
「肥後では阿蘇大宮司様や相良殿、赤星殿が国家大友を支えてくれます。四面楚歌の筑前よりは、恵まれています」
備中の不安を、小野甥が払ってくれる。だが、彼らとて国家大友が敗戦を続ければ、旗色を変えざる得ないだろう。日向での大敗後、豊前でも、この筑前でも大友方は大勝利から遠ざかっている。まさにそれこそが肥後での秩序を乱しているのではないか。備中の不安は晴れなかった。
数日後、肥後隊は引き上げを始める。そのため、肥後武士は帰国の挨拶のため、鑑連への謁見を求めたが、相変わらずの引きこもり中であるため、公式には立花家督である誾千代が、援軍の礼と帰国の無事を述べるしかなかった。
立花山城の城門前で肥後武士が準備万端の態で立っている。彼に呼び出され、備中はやって来た。
「ど、どうも」
「備中殿。短い間だがお世話になりました」
「お、恐れ入ります」
阿蘇家の重臣中の重臣が、自分のような陪臣に何の用だろうか、と訝しむが、あまり邪心は無いようである。その表情を見て、そもそも鑑連に心酔していたようだし、憧憬の念が強い純真な人物なのかもしれない、と思い直した備中に肥後武士は、
「ちょっと歩きませんか」
と誘う。備中、恐縮しながらそれに従い、麓までの道を歩き始めた。日々冷たくなる風だが、まだ秋の余韻を残している。
「一つの句を、戸次様にお伝え願いたいのです」
「句ですか」
「ええ、まあ」
何やら照れが入っているようだ。奇妙なヤツ、と備中が心中毒づいていると、肥後武士は道標になっている楠の大木を見上げて、口ずさむ。
秋風も静かになりてわくる野に
「……」
良い声だが、さっぱり意味のワカらない森下備中。この句を鑑連に伝えればよいのだろうか。
「あ、あの……」
「数年前、薩摩人が伊勢参りということで筑州を通過したことがあったと思いますが」
「は、はい」
急に話が展開した。その中に、島津の公子がおり鑑連は暗殺を狙ったが果たせなかった。まさか、そのことをこの肥後武士が知っているのだろうか。
「その後、彼らは伊勢で歓待を受けたようでね。催された連歌の席で詠まれたものだそうです。で、何故私が知っているか、ですが、なんでだと思います?」
「え、い、いや、そ、その……」
まさか阿蘇勢が薩摩勢と繋がっているとでも言うのだろうか。
「肥後の宇土生まれの侍が、その席におり、その侍から聞いたからです」
「は、はあ」
要領を得ないが、肥後武士は続ける。
「肥後とはそういう国です。甲乙相争っているようで、どこかで誰かと誰かが繋がっている。慣れ合い、というのとも違くて、妙に妥協的なのです」
阿蘇家も信用してはならない?という言葉がぼにゃりと歩き始めた備中の脳裏。悩ましいが、今の話、他にどう取れるだろうか。だが、この肥後男から殺気を感じたりはしないのだ。備中、次の言葉を待ち続けたが、この話はそれ以上進まずに、麓にまで至った。そして、陽気な笑顔と謎を残し、肥後武士は帰国していった。
「共に戦えて本当に良かった。戸次様によろしくお伝えください。情勢次第では、また筑前にてお会いできるかもしれません、と。備中殿もお元気で」




