第366衝 無言の鑑連
撤退をする、ということは柑子岳城については、後は自身でなんとかされたし、という事である。その意味では、鎮理の言う通り、趨勢は決まっていた。これ以上、鑑連に出来ることは無く、佐嘉勢は総力を上げての攻城に取り掛かるだろう。
また、鑑連とて撤退の際の敵追撃への警戒を怠るわけにはいかない。前年の日向攻めにおいて、大友方は追撃戦で決定的なとどめを刺されていた。
言い合いはあっても、戦場における鑑連との息はかなり合う小野甥が合流する。曰く、
「敵追撃は私が払います。殿は由布殿との合流をお急ぎください」
戦略目標未達を恥じているのだろうか、鑑連は何も言わずじまいである。長垂山に戻り、由布隊と合流した時も、一切の言葉を発しなかった。
「……備中」
「ゆ、由布様。後支えお見事です」
「……殿は何も仰せでないが、城に到達できなかったか」
「はい……」
「……このまま立花山城に戻るのだと思うが、下には原田勢がまだいる。気を引き締めろ、と私から皆に伝えておく」
「……はっ!」
大友方がそのまま長垂山を東に下ると、由布の言葉通り、退路を塞いでいた原田勢の追撃を受け、またまたまた松原沿いの戦いとなる。先の戦いでの鬱憤が溜まっていた大友方は反転攻勢に転じ、鑑連が無言の中でも由布の的確な指示もあり、これを難なく撃破した。そして博多を横切って、立花山城へ帰還した。その後も、鑑連は無言を貫いた。
数日後、佐嘉勢に包囲されていた柑子岳城が降伏した旨の知らせが、立花山城へ届いた。
博多の人々が噂している、と聞こえてくる。
「柑子岳城が奪われたという!」
「博多を監視する城が減ったのだ。いいことだ」
「愚かなり。この博多が佐嘉勢と豊後勢の境になるかもしれん。そうすれば町がまた燃えることになる」
「……」
「……」
「いつでも逃げれる用意はしておこうか」
広間にて、幹部達が集まっている。内田、由布、小野甥、備中。そして鎮理と肥後武士も居る。
「戸次様のご様子はいかがかな」
「相変わらずです。何も仰せでは無く、池の鯉に餌を撒く日々です」
「そうか……」
本当に心配していそうな肥後武士に対して、小野甥の言葉にはトゲがある。
「佐嘉勢を打ち破れなかった事が、余程の衝撃だったのだろう」
「だが、何もかも不利な状況で、ここまで維持できただけ奇跡ではないか」
「同感です」
無念と限界を吐露する内田に同意する肥後武士。続けて曰く、
「しかし、戸次様はそうお考えではないのでしょう」
「も、もっとやれたのではないかと?」
「いや……うーん、どうですかな」
筑前滞陣中、場の盛り上げ役だったこの肥後武士の性格も、鑑連の無言を解くには至らない。気落ちする一同に、鎮理が情報を伝える。
「柑子岳城の詳細がワカった。惨事にもならず、全員城から退去することが認められたという」
「なんと」
嘆息するばかりの一同だが、この報には驚き入って曰く、
「佐嘉勢の大将は、慈悲深い」
「特別にそういう評判のある人物でもなかったはずですが、意外です」
「まだ我らにも、皆殺しにされない価値はある、ということでしょう。つまり、以後の経略において、寛容だという評判が、佐嘉勢の武器になるやも」
「城主の木付殿も捕虜となることを求められず、完全な退去のみの条件だった。木付殿はこちらに向かっているということだ」
「よ、よかった」
「……ああ」
城は救いきれなかったが、城主以下多数が生きている。小田部殿戦死後、少しは明るい話題であった。
「で、城を出る臼杵家の武士達がどれだけ筑前に残るかですが……」
「さすがに怡土、志摩に留まることは許されていない。土地を失った者達は、本国豊後に戻るしかない」
「どれだけの者達が我が方の助けにはなってくれるかですが」
「この城を目指しているのは木付殿の御家来だけということだ」
鑑連と臼杵一門の確執が小さければ、このような結果にはならなかったかもしれない、とは一同口には出さずして心に去来する思いである。
「これで原田入道は、大内家滅亡後の悲願を達成したということですね」
「だが自力ではない。佐嘉勢他の力を借りてではないか」
「それでも、彼らにとって憎しみの対象でしかなかった臼杵勢を追いやることが叶ったのです。大したものではありませんか」
ずっと皮肉な調子でいる小野甥に、みな眉をひそめる。普段の爽やかさも残っているため、爽やかに冷笑的という形容し難い態度である。
「八年」
「えっ?」
唐突な小野甥、続けて曰く、
「佐嘉勢との戦いは、彼らが安芸勢と同調した事に端を発します。昂じて佐嘉城の包囲が催されましたが、休戦を得たのみだった、ということですね。それが八年前の事」
「八年の休戦期間……」
佐嘉勢は八年の間、ずっと牙を研ぎ続けていたのだろう。比して、大友方はどうか。権力闘争に宗門争いと、内部でいがみ合い続けていただけではないか。八年もの間、時が過ぎるを任せていただけだとすれば、闘志と怨念を抱え続けていた反乱軍に対して幾重にも劣っていたことになる。
「長く続く戦では、大義や正義の主張は決定打にはなり得ず、人心を収斂した者が勝利者となりますが、国家大友はもはやその力を失っているのかもしれません」
小野甥は深く嘆いているのだろう。今山の戦いにおける失敗後、大友宗家から鑑連の下に移ったのも、国家大友の繁栄とその奉仕を願ったからに違いないというのに。ふと、備中も同調して曰く、
「去年の今時分、薩摩攻めの話などをしておりましたが、今やそれも遥か遠くの夢の如し、か」
沈黙が広がった。しまった、と発言してから後悔する備中。内田は口惜しそうだし、肥後武士も困った顔をしている。無言の由布が静謐のまま、嗜めているようでもあった。
そこに高橋武士がやって来て、鎮理に耳打ちをした。寡黙かつ冷静な鎮理の表情はいつも平静であるため、心中は読み取れない。そんな事を備中が考えていると、鎮理、一同に向き直って曰く、
「また筑紫勢が動き始めているようだ。私は一度、岩屋城へ戻る」
平服しながら、備中は鎮理が持つ目的や真の戦略などを考えてみる。自信に張り手を食らわせた鑑連の消沈を前に、独自に行動する事を求められるとしたら、どうするだろうか。臼杵一門らと同じように、本国豊後へ帰国するだろうか。田原常陸が亡くなった今、国家大友を率いるに足る老中は、日向攻めの失敗があるとしても田原民部しかいない、という事を理由に鑑連から逃げることができるだろう。
気がつくと、場が静まり返っている。鎮理が自分をジッと見ている事に気がついた備中、さらに深く平伏する。すると鎮理曰く、
「困難においては疑い合うより信じ合いたいものだな」
心を読まれたか、と驚いて顔を上げると、鎮理は少し微笑んでいた。




