第363衝 愁傷の鑑連
欣喜雀躍たる佐嘉武士らは、事情を質される事なく、直ちに始末された。彼らが小田部殿の首を抱えていたためである。奪還した小田部殿の首を、布で包んでやる鑑連は、終始無言であった。
鑑連は内田と小野甥にこの先で戦っているだろう高橋隊の様子を見に行かせた。そして、安全の確保された地にて、主従は二人きりになった。
「備中、ワシは」
「はっ……」
「ワシはだな」
「はい……」
備中には鑑連の無念が痛いほどにワカる。小田部殿の死は、一幹部の死ではない。筑前に配置された城主の死なのである。さらに、彼は筑前の男。この戦いで大友方の他国人が何人死のうと意に介さないだろう人々も、同国人が倒れたとなると、そうはいかないだろう。権限のまとまらぬ筑前の城主たちを鑑連が豪腕でまとめている以上、その死の責任は鑑連にある。
だが備中だってそんなことは良く承知している。そして今、この場には主従二人しかいない。よって備中ははっきりと意見を述べる。
「小田部様は、自身の名誉の為に望んで命を擲ったのだと、存じます……」
小さな風が吹いた。晩夏らしい、寂しげな風である。気がつけば蝉の声も聞こえない。
「そうだな」
鑑連は小田部殿の包みを脇に抱き、顔を上げた。
「その通りだ」
荒平山の山中まで攻め込んできた佐嘉勢は、大将首は奪ったものの、対処に当たった高橋勢により撃退された。小田部殿の死後、城はその子が城主となった。父の戦死に涙していたが、首を奪い返した鑑連へ、丁重に礼を述べるその姿は痛ましいの一言であった。
「救援は間に合わなかった」
由布、内田、小野甥、肥後武士らを前に、鑑連はそう述べた。
「当主は戦死し、その武士団の中核は大打撃、裏切り者がいたことを考えると、以後小田部勢は城に籠りきりになる。よって、戦力外となる」
肥後武士が意見を述べる。
「脊振の防衛戦が突破されたとはいえ一ヶ所だけです。しかも撃退には成功したのです。確かにこの城は危ういですが、これも戸次様が遍く掌握なされば、とりあえずは落ち着くと思うのですが」
鑑連はそれを否定する。
「ここは小田部家の所領だからな。ワシが勝手をするわけにもいかん」
「は……」
食い下がりたい顔でもそれ以上は控えた肥後武士。負けじと、内田も曰く、
「しかし今は緊急時です。小田部様の御嫡男も、否とは言いますまい」
「だろうな。だが知っての通りだ」
そう。鑑連にそんな権限は与えられていないのだ。沈黙が広がりそうになる中、小野甥が前に出る。
「もはや体裁に気を使っている場面ではありますまい。義鎮公でも、義統公でも、はたまた田原常陸様でも良いから、権限分掌を願い出るべきです。本国からの援軍が期待できない今、一体誰が殿の動きに否と申しましょうや」
常にさわやかな小野甥らしからぬ強い口調である。鑑連は、正月前に一度権限を求める使いを豊後に送っている。人事のいざこざや戦続きで曖昧になっていたが、これは解決するべき事案であった。
そこに、岩屋城を守っているはずの鎮理がやってきた。驚いた幹部連等だが、鑑連はさにあらず。
「何か緊急事態か」
片膝ついた鎮理、同席している肥後武士をやや気にしたが、鑑連が一切の反応を示さないため、そのまま口を開く。それは、さらに国家大友を揺るがす一撃となる知らせであった。
「数日前、田原常陸介様、豊後安岐城にてこの世を去られた、とのことです」
陣が急に冴えていく。鑑連立ち上がって曰く、
「田原常陸が死んだ?」
「はい」
「田原常陸介親宏だぞ?」
「はい」
「ワシと同年代の」
「はい」
「老中筆頭をやっている」
「はい」
誰もが声が出ない。日向での大敗の後、田原民部を追い落とし、義鎮公と交渉を為し、とにかくも豊前を押さえていた田原常陸が死んだという。備中の脳裏には、遠い昔の門司撤退行の思い出が急激に蘇ってきていた。
「下手人は?」
「いえ。不審な点はなく、病の末、とのことです」
「病、そうか」
鑑連の目が遠い色をしている。思えば近年、多くの重臣たちが次々にこの世を去っている。昨年の冬は日向で佐伯紀伊や鎮信が、春には高橋殿が、そして夏の終わりに田原常陸だ。次もあるのか。次は誰であり得るか、と考えれば、その重さから言って鑑連の番だと言われても違和感はない。それでも、鑑連は次の事を考えねばならなかった。
「後継者は決まったか」
「正式には未だ、ということですが」
「正式にはだと?」
家督の継承は主君がそれを認めてこそ形となる。鑑連の戸次家家督からの隠居も、立花家家督の継承からの隠居も、承認があればこそである。
「義統……もとい義鎮が認めない、ということか」
未定……田原常陸には養子が居たはずである。かつて豊前馬ヶ岳城で見た少年がそれで、今や成人しているはずだ、と訝しむ備中。
「色々と懸念する声もあるようです」
鎮理の歯切れが良くない。
「鎮理。セバスシォンが田原本家の養子になる、という話があったということだが」
「はい」
「それが義鎮と義統の願いであるならば、一悶着起こるのではないか」
「それは」
「田原常陸の倅を実力で排除して、家族を後釜に据える、ということだ。義統とセバスシォンは不仲だが、田原軍団が手に入るのなら、次男坊も受け容れ、兄に従わざるを得ないということだ」
「は」
どうも鎮理は肥後武士を気にして、口を固くしているようだった。ここで鑑連は断言する。
「甲斐相模守は阿蘇家の御家老だ。こんなことは当然知っていることで、この筑前ではガキだってネタにしている話だ」
そう言われては姿勢を正すしかない鎮理、曰く、
「そのような事が起こるとも思いません」
「そうであろうか。田原の養子は秋月と血で繋がっている。田原本家の裏切り謀反に夜も眠れん心境なのではないか。だからこそ未だ、なのだろう」
「しかし」
「確かに田原常陸が死んでしまった以上、その力も本心も定かではない養子より、自分の子を入れた方がいいとは誰もが考える。違うか?」
鑑連の断言を前に、黙っている鎮理の表情を覗いてみる備中。次男坊の割には元来寡黙であるが、言いたい事を我慢しているようでもある。吉弘家の人々は清廉さが評価されていた分、他者の裏切りにまで理解が進まないのかもしれない。
また、着任以後こういう時に場を和ませていた肥後武士も黙っている。さすがに口を挟む事が困難な話題なのだろう。
鑑連が鎮理を詰問していると、またしても急報が入った。
「申し上げます!佐嘉勢が再び長垂山に集結する動きを見せております!」
「この城を放置してか!」
意外、という声を上げた内田へ、鎮理が説明する。
「小田部殿が亡くなった以上、この城は何時でも攻め落とせる、ということだろう」
「で、では」
「間違いなく、佐賀勢の次の狙いは柑子岳城だ。しかも、救援を妨害するための布陣……しかし、行くしかありません、戸次様」
鎮理の言葉とともに、その場の全員が鑑連の表情を見る。恐ろしいほどに厳粛な表情をしていたが、備中の見立てでは、眼光乏しい、見せかけの威厳があるのみであった。
現状、鑑連の手数は尽きているのであるから。




