第361衝 楽遊の鑑連
久々に鑑連の嗤い声を耳にし、僥倖だと胸が躍る森下備中。主人の顔色を窺ってみる。鎮理を屈服させたことに満足を得ているようにも見える。
「備中」
「は、はい」
「鎮理の日々の動向を探れ」
「えっ!」
どういうことだろう。先日の会食で殴りまでして屈服させた相手を疑っているのだろうか。
「何をしているのか。または何をしていないのか、何を考えているのか。何なら貴様の下にいる者をワシの名で送りこんでも良い」
「あ、あの……」
「反論は許さん。やれ」
「……はっ」
何を考えているかは謎だが、従う他は無い。が、備中にはとっておきの閃きというか、心当たりがあった。
季節は夏から秋に変わりつつある。秋月勢を追い払った直後、別行動を取っていた小野甥が鑑連の本体と合流した。
「敗退した補給部隊の物資ですが、救える物はもあり、柑子岳城の木付殿へお届けいたしました」
「ご苦労。木付の様子は」
「怡土郡、志摩郡でも裏切る者相次いでおり、慰撫にてんてこまいのようです。それよりも殿、急ぎ早良郡へお戻りください」
「形勢不利なのか」
うんざりした様子の鑑連に対し、小野甥は真剣に述べる。
「小田部殿が裏切った配下の城を奪還すべく、準備を始めています」
佐嘉勢が立花山城を狙った初夏の戦いで敵を手引きした城のことだろう。結果陽動であったとはいえ、鑑連は原田勢への決定打を逃している。そして、小田部殿は自分の領域で起きた不始末を深く悔いていた様子だった。
「小田部殿は不名誉を雪ぐつもりですが、恐らく敵は待ち構えています」
「敵の数は五千を超えるとは言え、筑紫のガキ相手なら……いや、佐嘉勢が主体となってきたか」
「はい。筑紫勢はすでに、佐嘉勢の一部隊に成り果てています。それに、我々が打ち破った原田勢が動かない今、その方面に展開していた佐嘉勢が早良郡に向かうことも考えねばなりません」
「で、では敵の勢力は最大一万……」
どう考えても大友方の手勢では足りない。
「小田部に攻撃を止めさせる事はできるか」
「無理だと考えます。殿を置いて他の者では」
「愚か者が。備中、小田部に使者を出せ。決して勝手な行動をとるなとな」
「は、ははっ」
だが、筑前に踏ん張る大友方の実質的な総大将である鑑連は行くしか無い。守護でも、守護代でも無く、公式には他の城主と同じ権限しか持たない鑑連だが、その個性によって味方を集約している以上、逃げる事は許されないからだ。鑑連は鎮理を呼ぶ。
「これから早良郡に向かう。高橋隊からも半数連れて行く」
「はっ」
「鎮理、お前が率いるか?」
「いえ。当家の家老を」
「フン、いいだろう」
備中は、鎮理の日々の動向を探るため、格好の人間を見つけだしていた。破戒僧増吟である。鎮理の後ろにピッタリ控えている。多量の銀が必要になるが、費用に見合った信頼はあった。増吟は備中を見つけ視線を合合わせると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。どきどきしながらも備中はフイと目を逸らした。
「申し上げます、肥後から援軍が到着しました!」
「なんだと」
こんな時に援軍とは喜ばしい限りであるが、
「数は」
「五百!」
「チッ」
はしたなくも舌打を披露してしまう鑑連であった。近くにいた肥後武士が苦笑いを浮かべて曰く、
「ああ、その。肥後でも不穏な動きがあるようで、志賀様もご苦労なさっているとのことです」
肥後を抑える志賀殿が手練れであることは確かだろうが、大領を任せられている阿蘇家からの援軍が合わせて五百と五百を合わせて千では、如何にも残念であるのは間違いない。
「甲斐相模守殿。五千の兵の五分の一でも大助かりだ」
「申し訳ありません。本当に」
素直に頭を下げる肥後武士。身分の問題もあるのだろうが、鑑連はこの人物に対しては当たりが柔らかい。吉弘家の人々と比べると驚くべきことではある。こうして多少の兵の参加を得た、大友方は早良郡へ向けて出陣した。
鑑連は騎馬隊を先行させ、歩行勢にも速い進軍を求めた。
道中、鑑連は自ら率いる本体を増強するため、鷲ヶ岳城にも人を遣る。この城を守る大津留隊の状況を確認する意味合いもあったが、進軍速度は緩めなかった。
そして御笠木峠(現那珂川市)に入った時、先行させていた騎馬が戻ってきて曰く、
「申し上げます!小田部隊、すでに佐嘉勢に対して攻撃を仕掛け、合戦になっているとのこと!」
内田が激昂したように叫ぶ。
「殿が出陣するなと釘を刺しただろう!」
「は、はっ!」
騎馬武者に怒っても仕方ない。鑑連静かに尋ねる。
「状況は」
「はっ!小田部様は寝返った城を取り戻しましたが、佐嘉勢の反応も速く、待ち伏せていた様子!そして小田部隊と佐嘉勢では兵数が違います!」
「その寝返り者は?」
「討ち果たした、との由!」
「目的を果たして気が抜けた小田部は当てにはできん。ワシらもその城に突入するぞ」
が、内田が止める。
「私は反対です!殿が城に入った後、必ず包囲されるはず!万が一殿が佐嘉勢に敗れれば、筑前は終わりです!」
小野甥もそれに同調する。
「小田部様は汚名を雪ぐべく、自らを死地に送ったのです。殿、内田殿の言う通り、国家大友を守護することをお考えください」
だが備中は知っていた。鑑連は、人に意見されたからと言って、自身の考えを翻すような男ではない。容易ならざる男曰く、
「内田、ワシが戦いで敗れると思うのか」
「い、いいえ」
「小野、戦場で下らん事を口にするな」
「……」
「備中」
「いっ!は、ははっ!」
「ボケボケするな。今、強行してきたワシらは戦列が伸びている。貴様はここに留まり後から来る連中を荒平山へ誘導しろ」
「えっ、はい!」
「嬉しそうだな。激戦地から外れてここに居残るのがそんなに良い事か」
「い、いいえ。やはり殿はこうでなくては、と思っておりました」
積極的な鑑連を見ることができた嬉しさのあまり、本当の事を口走ってしまった森下備中。少し目が大きくなった鑑連、鼻を鳴らすと何も言わずに馬に鞭をくれ、戦地へ向かっていった。備中には主人が少し照れているようにも見えた。
鑑連が行く以上、家臣たちも従わざるを得ない。内田は主人を殺させないため、小野甥は不快な表情を押し殺して馬を走らせた。
残った備中、峠にて早良の地を臨む。正面右手には荒平山が、左手には鑑連が救援に向かった山城がある。場所を変えてよくよく見れば、山陰に佐嘉勢の日足紋が並んで見えた。その後、鑑連が飛び込んでいったからだろうか、整列していた幟旗が散っていく様がよく見えるのであった。




