第356衝 煩慮の鑑連
この年の夏に行われた岩屋城を巡る戦いは、数に勝る反乱軍に対し、大友方は果敢に打ち合いを挑み、敵勢を追い払うことに概ね成功した。しかし、
「この締まりの無い戦、なんとかならないものか。決着にもっていけん」
「敵は逃げてばかり。まあ、楽でいいかもな」
「呑気なことを。それでも死人は出るんだ。いつまでもこんな事を繰り返していられんぞ」
昨年末から戦い通しの戸次隊、疲労の蓄積が無視できなくなってきた。鑑連は武蔵寺の温泉で、将兵が負傷と疲労を癒す事を許可するが、今やそこが最前線なのだ。緊張しながら浸かる湯で、回復などたかが知れていたが、されど湯治である。兵たちは束の間の休息を逃さなかった。
本調子ではない主人鑑連の側で気苦労の多い森下備中も、癒しを求めた。ただし、自身の貧弱な体に劣等意識がある為、夜、月明かりを頼りに湯に浸かる。すると、先客がいた。
「げ」
「あ」
薦野が苦手な備中、くるりと後ろを向くが、
「備中殿、そりゃあんまりでしょう。まあ、どうぞ」
「い、いえ。用事を思い出しまして」
「もう夜ですよ。さあどうぞ」
しぶしぶ湯に浸かる備中。比して若く活動的なこの武士と、話題も無い。
無言の行が苦痛として進む中、備中は湯の音に集中し、考えを巡らせて時を忘れてみる。それは鑑連を悩ます佐嘉勢の戦略について、である。
当初、柑子岳城攻めは陽動だったという。さらに立花山城攻めも陽動で、この岩屋城攻めすら陽動だという。しかし鎮理は、柑子岳城が敵の真の狙い、と言う。それが大当たりだとしても、もはや岩屋城の高橋勢を連れ出すことは出来ないだろう、危険過ぎて。荒平山城や鷲ヶ岳城の大友方勢力も同様だ。
となると、鑑連は遂に追い詰められた、ということになるし、やはり佐嘉勢の狙いは最初から鑑連その人にあったことがいよいよ明白になる。
佐嘉の頭領龍造寺山城守という人物のことを、統率力に優れ戦に強い、ということ以外、備中は良く知らない。だが、国家大友へはともかく、鑑連に強い恨みは持ってはいないと考えている。かつて、馬を贈ってきたこともあるのだ。それならば、鎮理が示唆した和睦も、選択肢の一つではないか。国家大友としては、佐嘉勢に揺さぶりをかけられなければ、とりあえず満足であるはずなのだから。例えば肥前一国に封じる事等。
「良い案だと思いますよ」
「えっ」
しまった。独り言ちていたようだった。恐れ入り縮こまる備中だが、
「筑前の争いはとどのつまり豊後と安芸の戦なのです。佐嘉勢も秋月勢も、安芸の代理人にすぎませんから、これ以上の動揺を避けるなら利を喰わせて彼らを懐柔するべきである、との考えに至るのは通常のことでしょう。もっとも、ご自身に絶対の自信をお持ちの殿には許し難い事でしょうが」
「は、はあ」
直接薦野から多くの言葉を聞くのは初めての備中。少し感心して、マヌケな返事が出てしまう。
「豊後の方にはワカらないかもしれないが、筑前は長年他国人を主と戴いてきたから、利を喰らうことに抵抗がないのです」
「そ、それは謀反人たちにとって、国家大友が不倶戴天の仇であっても、ですか」
「つまり?」
「国家大友は、その、あ、秋月種実にとっては父と兄の仇、原田入道にとっては息子の仇、筑紫殿にとっては父の仇……」
「彼ら自身はともかく、その下にいる者たちは、利だけですよ。そこには理念も道徳も無い。誰かが弱い立場にある時、酷い仕打ちをすること、弱者をいたぶり尽くすこと、いじめ、切り捨て、強きを助け弱きをくじく、これが武士の世の慣いです。だからこそ、国家大友は色々あっても勝ち続けてきたのです。それが」
「そ、それが一変した、と言うのですか」
「ええ」
「な、何故ですか」
薦野は自嘲的に笑った。
「何故でしょうね」
薦野の話が止まった。また無言の行が続くが、もはや苦痛では無い備中。薦野の発言を考え続けていたからである。
武士は何故、薦野の指摘するような非道に手を染めるのか、無論生き残るためであろうが、かつての如く鑑連自身、非道と無縁では無い。直近では、国家大友を守る為に奮闘しているため、その印象が薄まっているが、冷酷極まり無い判断もとれるのだ。
国家大友にどうしても従えない謀反人たちも、鑑連には従えることもあるのではないか。あるいは鑑連がその考えに至り、独歩した場合、筑前の勢力図も一変する。
隣の薦野を意識して、今度は口を閉じている事を確認した備中だが、薦野は鑑連にそれを期待しているのだろうか。戦えば勝つ鑑連が、秋月、筑紫、原田の利を認めれば、国家大友は致命傷を負うが、鑑連の力は温存されるだろう。あるいは、それを薦めてみるべきか。
薦野は目を瞑って湯に浸っている。その顔を見ていると、備中は己が考えを否定したくなる。鑑連と十数年の付き合いしかない薦野にはワカらないことが、自分にはワカっている、はずである、と期待したいという思いとともに。
すると、薦野が目を瞑ったまま言った。
「まあ、勝てば良いのですよ。細かいことは良く、肝要なのはそれです」
「……」
「そうすれば全て解決します」
「殿は昨年末から勝ち続けているはずですが……」
「一つの戦い毎には。しかし、長い目で見た戦いの決着はまだですからね」
「……」
「頑張りましょうね、備中殿」
戦闘に勝利しても、戦争に勝利したことにはならない。本国の支援を受けられない鑑連の苦しみはそこにあるはずだった。薦野はそれがワカっているようだが、それにしてもどこか素っ気無い。彼が心中自分を下に見ていたとしても、だ。
「……で、ではお先に」
先に湯から出た備中、確信に近い直感に到達した。それは、薦野は自分の所領が第一なのであって、鑑連に心酔しているわけではないのだ、というものだ。仮に鑑連が筑前を追いやられることになっても、薦野は筑前に残り続けるだろう。だが、今は不快は感じない。それはただ、故郷への愛が勝っているというだけのことなのだから。
それから数日後、佐嘉勢が再び筑前に侵入した、という報せが入る。小野甥が諸将へ説明を行う。
「原田勢が怡土郡を、筑紫勢が早良郡に侵入を開始しました。例の如く、佐嘉勢は表立ってはいませんが、どちらにもその幹部達の姿が目撃されています」
「もう何度目かな。こういう報せ」
「それで、数はどの程度ですか」
「どちら側も、五千を超える数です」
「原田や筑紫だけで集められる兵力じゃない」
「龍造寺隆信め、正々堂々としていないな」
湯治が効いたのか、みなに士気が戻りつつあるようだった。
大友方は観世音寺の陣をまとめ、西の荒平山城方面へ向かった。太宰府方面の防衛を引き続き担う鎮理は残る。
道中、鑑連の表情は相変わらず冴えない。備中は主人の苦悩を思いつつも、鑑連と鎮理の間に見た奇瑞がその解決の一助になるとしてこれを提案するにはどう振舞うべきか、を考え始めるのであった。




