第349衝 能率の鑑連
夏、うだるが如くの筑前早良の陣。脊振の山々を眺めれば、原田勢犇く姿が見える。この最前線で、鑑連は小田部、大津留ら大友方の将と作戦を練っている。その間、外で侍る森下備中。
電撃的に兵を動かした鑑連、どうやら小田部説得の有無に関わらず、行動することを決めていたようだった。備中を荒平山城に送り込んだ時から、作戦は始まっていたのだろう。それでも小野甥は、
「備中殿の人徳が頑なだった心を動かしたのですね」
皮肉か、本音か。小野甥のことだから両方だろうが、生来の気質からとりあえず謙遜しておく備中。
「お、小野様の下準備があったればこ」
「原田勢が動き始めたぞ!」
上がった大声にかき消された文系武士の弱声。
筑前怡土郡の雄を示す三つ引き両の旗指物が峠の山から続々と下りてくる。これは、鑑連の雷のような速さに、触発されてのことだろう。まずは主導権を取り戻せたかな、と備中、陣より漏れ聞こえてくる鑑連、小田部、大津留の声に耳を澄ます。それによると、
「では手筈通りに」
「承知した」
「しかし、田畑が荒らされますな……」
「その補償は豊後が必ず行う。今回は辛抱だ」
「大打撃を与えるには、山から彼らを引き離すしかない」
「とはいえ、成功するとも限らない……」
特に後ろ向きなのは大津留殿のようだ。対していつもの鑑連節でそれを黙らせる我が主人だった。
「無論、敵方に寝返って貰っても結構だがね。その時はワシがしかと相手をしよう」
大友方も展開を開始した。小集団が早良の野に分散していく。
西も、東も、南も脊振の山が立つ閉ざされたこの地での戦いは、様子見から始まった。静かな小競り合いは起きているが、大規模なものでは全くない。その様子を、本陣の物見台から見物する備中。大友方の揺るぎ無き大将である鑑連が、兵を分散配置した意図を考えてみる。
「我々大友方には時間は無いはずで、それでも兵を分散させて、小競り合いのみ。その理由は……やっぱり誘っているのかな。しかし……」
鑑連や小野甥の考えでは、今、まさに敵が囲んでいる柑子岳城攻めこそ陽動だという。消極的な分散配置のままいれば、陽動が見抜かれた、と判断した敵により、佐嘉勢の攻勢を招くだけでは無いだろうか。鑑連とて、佐嘉勢本隊でないにせよ、出来るだけ戦いたくない相手であるはずだった。
攻め込んできている敵が積極的な攻勢にでない理由についても備中にはワカらなかったが、
「背後で輪を閉じる機会を見計らっているのかな」
と整理しておくことにした。が、見る者が見ればワカる事もあるらしい。由布が鑑連に報告する。
「……敵もこちらと同じく分散しましたが、意図は持って動いています」
「北にズレて行っているな」
「佐嘉勢を意識した動きで間違いないでしょう」
「予想通りだ。小田部隊は」
「……そろそろかと」
「由布」
鑑連は由布の眼を見た。それは、常に敬意を欠かさなかった戸次隊の屋台骨と、魂を共にするためであるかのようだ。
「この戦い負けるわけには行かん。原田勢を撃滅し、山の向こう側へ押し戻さねば、筑前に穴が開く。穴からは佐嘉の連中が絶え間なく侵入してくるだろう。絶対にそれだけは阻止せねばならん」
備中は素直に驚いた。鑑連はこんな台詞を吐くまでに、追い詰められているのだろうか。由布は微動だにせず、静かに鑑連の顔を見ている。鑑連と共に戦場を生き抜き、もう五十を超えたその顔は、壮年の精悍さに溢れており、備中思わず見惚れていた。
「申し上げます!小田部隊、北へ退き始めました!」
その報を受けた鑑連は由布と共に物見台に駆け上った。恐る恐る備中も後に続き、眺めてみると、分散していた敵が纏まりつつあるようだ。北に退いた小田部勢へ追撃をかける様子に見えた。
「……ここまでは想定通り。後はお任せいたします」
「では行け」
「……はっ」
物見台を降りた由布は、控えていた兵に大きな旗を掲げさせた。続いて戦場のあちこちで同じような旗が上がった。そして、備中には、ほぼ全ての戸次隊が前進を開始したように見えた。
「備中」
「はっ」
「肥後からの援軍が大津留の陣に居る。あの連中に、ワシらについてくるよう伝えてこい」
「はい!」
「ワシもこのまま前進する。貴様は肥後勢と共に追ってくるように」
「承知しました!」
大津留の陣。
「というワケでして」
「遂に大攻勢ですか!そうかそうか!では我らも行きましょう!」
調子の良い声で明るく笑う隊長。が、大津留殿が止める。
「待ってほしい。私は佐嘉勢が降りてくる場合、押し留める役目だ。少しでも兵が欲しい」
「は、はい」
「甲斐勢を送り出すことは打ち合わせには無かった」
と言われても備中は困ってしまう。が、主人の命令を果たさねば、自分自身の身が危うい。説得を試みる。
「今、引いた小田部隊と追う戸次隊で理想的な挟撃が完成しようとしています。我が主人としては、肥後の皆様のお力を持って、それを完成させようというつもりなのだと……」
語尾が弱気になった。いかんいかん。
「ぷはっ!そ、そう、主人鑑連急遽か、考えたのかと!」
「しかしなあ」
何やらハッキリせずまごつく大津留殿。備中の知識ではこの殿は、義鎮公の近習衆として立身し、筑前の城主として取り上げられたというが、派手な戦功著しい方では無い。亡き吉弘殿よりは出世しなかった元近習は、人生守りに入っているのだろうか。側の肥後勢隊長も、眉を釣り上げた笑みを表して困ったフリをしている。きっとどっちでもいいのだろう。いい加減な男のようだが、
「ではこうしよう。我が隊の半分を大津留殿にお預けする。私は残り半分で戸次殿を追う。うん、それがいいな。そうしましょう」
と強引な口調で言い切って、逡巡する大津留殿に二の句を継がせなかった。そして部下を呼ぶと、何やら命じて、
「ではお使者、参りますか」
「は、はい」
「大津留殿、何かあればすぐにお知らせ下さい。飛んでやってきますから」
肥後人の軽口に、大津留殿は苦い顔をしたまま、ため息をつくのみであった。
甲斐勢はすでに部隊は分けたようだった。あっという間の再編成、中々のお手並、と感心する備中であったが道中、種明かしを受ける。
「いやなに、私の直参と、そうでない連中を分けただけです。五百人の内の半数は、志賀安房守が集めてきた寄せ集めですから」
「は、はあ」
黙っていれば良い事を明らかにするなど、人が良いのか悪いのか、いずれにせよ苦手な種類の人物だ、と胃に痛みを感じる備中であった。




