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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
耳川以後(1579~)
346/505

第345衝 惰気の鑑連

 危機の年となった天正七年も、季節が夏に移ろうとしている。備中は、鑑連が実はかなり気にしている本国豊後の情勢について、懸命に情報を収集し、それを作戦資料として提示する。


「報告によりますと、豊後宇佐宮の衆が、寺社奉行殿の乱暴な采配に耐えかねて、義統公へ嘆願書をだした件について、いささかの混乱が発生したとのことです」

「混乱。つまり、奈多のガキに関する文句をつけてくるな、ということか」

「は、はい。寺社奉行殿は田原民部様の御舎弟故、宇佐の衆も相当勇気を振り絞ったものと思われますが……」

「時期が悪いな。義統は吉利支丹から距離を置き始めていたはずだな」

「は、はい。噂でも広まっております」

「吉利支丹勢を切り離し、田原常陸も言うことを聞かない今、義統の頼りは伯父貴の奈多のガキという事になる。そんな時に限って……いや、だからこその訴えなのかもな」

「ちゃんとしてくれないと、強訴に及ぶぞ、ということでしょうか」

「クックックッ、義統でなくとも不快になるだろうよ。ただし、この件を義鎮がどう捉えているかで事情が変わる。ワシからして、義鎮と義統、建前にしてもどちらに伺いを立てればいいのか、迷っているのだからな」

「日向から帰国された義鎮公は、ほぼ津久見の館に籠り切りということで、同じように困る者多数ということです」

「実際家督を譲られているのは間違いないのだからな。義統も損な役回りだ」


 鑑連の口調からは、義統公に対する悪意や嫌悪と言った感情の揺れは感じられない。むしろ、心の底から気の毒に思っている様子である。


「それから、これは殿にも関わってくるような話ですが……彦山衆に関しても、混乱が生じています」

「聞いている。秋月が自分の子を座主に押し込もうとした件について、義鎮が横槍を入れて倅をねじ込もうとした件だろう。義鎮にしては珍しく仕事をしていると思ったのだがな」

「結局失敗し、彦山衆は座主を自分たちで選出する、ということになり、義鎮公が甚く憤慨されているらしい……と」

「あいつ、吉利支丹宗門のくせに、よそへ口を挟んでいいのか」

「ど、どうなのでしょうか。し、しかしこの問題は小さいようですが、意外にも気にしている方が多く……」

「小さくはない。こんな事が原因で彦山と国家大友との関係に亀裂が走れば、戦になるかもしれん。しかも、彦山は地理的に秋月勢に弱い。不愉快な国家大友をとっちめるために、秋月勢を利用する、というような事を、秋月なら考えてもよさそうだな」

「で、では対処を!」

「何ができる?」

「えっ」

「縣で神社仏閣を焼き払い、豊後でも社領を没収して吉利支丹に与え、ただでさえ評判が悪いのに、これ以上評判を貶めるようなことはお控えください、と言うのか?」

「ま、まあ、その」

「それに、義鎮が口を差しはさんだだけで、家督は義統だろ。義統が父上お控えください、と言えばいいではないか」

「ち、父と子で言い難いことがあるのだとすれば、だ、誰かがちゅ、仲介と言いますが、そ、その言わねばならないのだとすれば……」

「ワシはやらんぞ。知ったことではない」


 冷たくつき放つ鑑連である。心底、義鎮公の政治の不手際にうんざりしているのかもしれないが、


「し、しかし彦山が敵に回れば、その後始末を殿が命じられてしまうかもしれません」

「豊前の担当は田原常陸と田北大和守だろ。ワシの前にあの連中がやるさ」

「秋月を利するだけではありませんか」

「知るか」


 どうしたことだろう。春の戦いの後から、妙に鑑連の気迫が間延びしている。ぬるま湯的と言うべきか。佐嘉勢の脅威を前に、意欲を喪失しているのだろうか。困難に対する権限が小さすぎて何もかも投げ出したい気持ちなのか。それとも、それらを全てひっくるめて国家大友への失望が極まったのか。


 とは言っても、鑑連は不利な状況にあっても剛腕で有利な環境を構築してきたはずである。先の危機を切り抜ける事ができたのは、大津留隊を旗下に従え、高橋隊を顎で使い、小田部隊にも影響を及ぼして、自身が描く戦略目標を追求したためである。大友家承認の代官を蔑ろにして、宗像大宮司を懐柔すらした。


 やはり、鑑連は事業を途中で投げ出すような人ではない。という事は、今、その頭脳を占めているのは、敵の急先鋒たる秋月ではない、ということなのだろうか。高橋鑑種の勢力を吸収した秋月勢は、今や恐るべし敵へと著しい成長を遂げた。


 何処となく虚ろな鑑連を注視していると、誰かが歩いてやって来る。この軽い足取りは、誾千代であろう。十一歳の少女が現れた。立花の家督を継し者としての自覚のためか、戦争続きの父を見て緊張を絶やさないのか、お転婆な振る舞いは影を潜めている。


「誾千代」


 幼い頃の愛らしさが、堂々たる振る舞いに変化したことは、懐かれていた備中としては寂しい限りである。もはや、備中を見て、微笑み返す事はほとんどない。息子だけで、娘を持たぬ備中だが、その出自の厄介さを含めてこの少女が背負い込んでいる運命の重さには同情している。よって誾千代から、卑屈すぎる、態度がなっていないと叱責をされる事があっても、へいこら阿るのみである。一方の鑑連は、愛娘が下郎を罵っても嗤うばかりで、


「もっと叱って良い。誾千代、そなたは家督であり立花山城城主なのだから」

「なんなら稽古をつけてやればいい。備中はただでさえ、訓練が足りていないのだ。良い歳をして」

「誾千代。そなたが目を光らせていれば、当家は安泰だな」


とひたすらに甘やかすのみ。ここに至り、誾千代はこの父にのみ笑顔を向けるのであった。

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