第344衝 弾出の鑑連
天正七年の春、筑前を縦横に駆け回った戸次隊は、当座の活動目的を果たしたと判断し、立花山城へ戻った。
戦は決着を見なかった。よって、以後も続くだろう。しばしの休息の中、戸次武士武士各自は武事に一層の磨きをかけるため、各励んでいる。鑑連も、小筒の点検をしているが、備中はどうしても気になる話を鑑連へ持っていく。
「と、殿。よろしいでしょうか」
「なんだ」
備中の頭の中は、丸に一つ柏の紋でいっぱいになっている。
「宗像勢のことか」
「や、やはりお気づきで……」
鞍手郡、穂波郡の秋月勢とそれに味方する城や村々を焼き払う中、宗像家の家紋を
身につけている武士は幾人もいた。とは言え、鑑連が宗像郡を攻めるのは困難だろう。せっかくこちら側に立ってくれている味方を、敵に追いやるような真似は、鑑連にはできないはずだ。しかしまた、無策でいる人の良さとも無縁であるはずだった。鑑連の処置を待つ備中。
「貴様の考えは?」
思わぬ質問返しにたじろぐ備中だが、
「氏貞と対面し、誓紙を預かったのは貴様だからな」
確かにその通りである。だが、宗像家の内実について詳細を承知している訳ではないし、この時期、それは不可能である。あの時の大宮司の表情や仕草を振り返り、直感で答えるしかない。そして出てきた答えは、
「……宗像大宮司様は殿のお味方であるはずです」
苦労人の兄が、薄幸の妹の身を案じない訳がない、と備中は思うのだった。
「では、氏貞の意向に背いた者が、あの場に駆け付けた、ということか」
「あ、秋月種実は、あの毛利元就より薫陶を受けている、という話もあります。安芸勢のように、とまでは行かないとしても、似たような、卑劣で容赦ない調略をしかけるくらいは朝飯前なのかもしれません」
「なら、氏貞に対してはどうする」
仮に、秋月勢とのやり取りを禁止しても、実効力は無いだろう。それならば、一つしかない。
「鞍手郡における宗像大宮司の権益を増やし、秋月勢に対抗させるというのは……」
鑑連は思索に入ったのか、沈黙している。小筒を整備する手も止まった。元々、大宮司妹が鑑連に嫁いできた時に、鑑連はその持参金として宗像領の荘園を合法的に奪っている。そしてその代償として、鞍手郡の土地を国家大友に支払わせている。国家大友を悪し様に罵ることもある鑑連だが、思えばやりたい放題やっている一面もある。
今、鑑連の執務室に居るのは、二人だけである。鑑連は、由布を責任者として、内田、小野甥、薦野らは隊の整備、補給、増強に努めさせている。日向での大敗から約半年が経過したが、反乱軍との戦いに決着はつかなかったことからも、次の戦いは近いはずである。
そこに使者が飛び込んで来た。近年、使者が飛び込んでくる頻度が実に増えているが、この時の報は余りにも唐突な内容であった。
「申し上げます!先般より豊前田川郡に攻め入っていた高橋鑑種、病に倒れ、急遽戻った小倉城にてこの世を去った、とのことです!」
国家大友を相手に、策略謀略情報戦を繰り広げ、敗北した後も鑑連顔負けの電撃作戦を成功させた、我々の主敵の一人が死んだという。
備中は、かつて豊後府内で目撃した貴人の最期としては、余りにもかけ離れた報に、目元が熱くなる。自分の容赦ない主人が認めた数少ない人物でもあったのだ。
鑑連は使者に尋ねて曰く、
「高橋には倅がいたな。ヤツの軍団を継ぐのはコイツではあるまい」
えっ、そうなの?と驚いた備中。使者は肯定して曰く、
「はい!現在香春岳城に入っている高橋元種という者が、跡取として名乗りを上げているとのこと!」
「秋月の子だったな」
備中は、鑑連が秋月次男坊と蔑まなかった事に注目した。
「はい!高橋鑑種の実子は半ば人質として安芸郡山に居る上に、生前の高橋家は秋月種実の弟と子、それぞれ二重に養子縁組を交わしていたとのこと!全て、安芸勢の承認を得た秋月種実の企みと考えられます!」
「高橋元種の年齢は」
「しかとは不明ですが、十歳にも満たないという噂です」
「ならば、後見人は秋月か、その弟かになる。せっかく高橋が征服した豊前の領域だが、そっくり秋月の支配地になったという訳だな」
ということは、田原常陸と田北大和守の当面の敵は、秋月勢に絞られる、ということになる。使者が下がった後、備中は恐る恐る、しかし決意を持って提案する。
「殿」
吃らずに発声した下郎を何事かと凝視する鑑連。哀れ備中の勇気はこれで萎んだが、
「こ、こ、これで秋月勢は豊前攻略に専念するのではないでしょうか」
「だから」
「さ、先ほどの宗像家への話も含めて、背後というか、ひ、東を固めて、筑紫勢と原田勢を攻める好機では……そのないかと……」
「佐嘉勢の事を忘れてるぞ」
「ち、筑前の大友方の兵を全て加えれば……」
「それでも、万を超える数にはならんし、ワシにはそれだけの権限が与えられていない」
「で、では義鎮公に分掌願いを!」
「その義鎮が今何をしているか、報告は入ってきているか?」
「い、いや、その。感状等は義統公が作成されているようですが……あっ」
「なんだ」
「本国からの報告に、その義統公が吉利支丹宗門から距離を取り始めたとの報があったことを思い出しました」
「ワシも読んだ奴だな。つまり、義鎮か、倅の義統か、ワシはどちらに伺いを立てればよいのか、という問題だ。本来は形式上とは言え家督を継承した義統であるべきだが、ゴミのような宗派の問題もある。義統を追いやることになってはたまらん」
「で、では義鎮公に!」
「クックックッ、義鎮が今一番見たくないものは、ワシからの書状だろうよ」
なぜ、とは備中は尋ねなかった。鑑連と義鎮公の長い関係の末、今日の日があるのだから。それにしても備中の気がかりは、鑑連からいつもの積極性が見られないことである。永禄期、安芸勢との戦い最盛期には、自ら進んで状況を変えるように活動したものだったのに。六十七歳という年齢が、積極性を失わせたのだろうか。
いずれにせよ、高橋鑑種の急死という節目に、鑑連は軍事行動を起こすことは無かった。しかし、宗像大宮司に対してのみは、備中が提案したその領域の拡大を認めたのである。結果、良い知らせも入る。
「申し上げます。鞍手郡にて若宮から吉川に進出した宗像勢が、出没を止めない秋月勢と戦闘状態に入りました」
備中は提言が上首尾に進み、喜びを感じる以前に事態の悪化を食い止めることができて、ホッとした気持ちになる。そんな自分への主人の視線を感じるが、いつもの嫌味や皮肉が飛んでこないため、それがどのような感情に拠っているのかはワカらないままなのであった。




