第337衝 陣笠の鑑連
安芸勢の豊前上陸の報が入り次第、内田、小野甥、備中は情報収集に飛び、甲斐あって、はや五日後にはその全容を掴むに至った。
「殿、事態が掴めてきました」
「それで田原常陸は、やはり安芸勢と結んだのか」
そんなことになれば今の豊後は壊滅であるが、幸いにも悲惨は避けられそうである。
「いいえ、安芸勢とは何事も結んではいない様子」
「そうか」
あの精強で数も多い安芸勢が主敵とならないだけで、幹部連もホッと一息である。小野甥は続ける。
「それで豊前に入った安芸勢ですが、これは田原常陸様によって引き抜かれた一隊のようです」
「引き抜き!」
そんな事をいとも容易に行なってしまうとは、やはり田原常陸という人物は只者ではない。
「引き抜かれたその人物は杉伯耆守」
「伯耆守だぁ?」
鑑連と被っており、やはりこれは良くない兆し、と不吉を感じる備中。
「かつて、備中殿はお会いになった事がある方ですよ」
「はっ……」
この情報をつい先刻知ったばかりの森下備中は記憶を探索中である。鑑連は頭をヒネる備中を無視して続ける。
「豊前松山城のガキか」
「はい。もう二十四、五になっているはずですが、安芸では色々苦労が絶えなかったようです」
「そこを、田原常陸に目をつけられたと?」
「というより、同じ陣営に属する秋月種実と険悪な関係であったようです。杉家自身は大内時代の豊前守護代の末裔で、大都会山口に対する豊前第一の家格でしたが、今は安芸郡山への第一人者は秋月種実ですから」
「大都会山口も炎上してからは振るわんしな」
家格と現実を巡る栄枯盛衰に、幹部連はみな一様に理解できる、といった表情だ。
「安芸勢に寵愛される秋月次男坊と、真逆の男か」
「豊後と安芸の間で、さぞ苦労したんだろうが」
「守護代家の没落か。しかし、今や将軍家が没落しているのだ。いささかの時代錯誤があるな」
幹部たちは杉に対して微温的だが、容赦なき鑑連は違う。
「田原常陸め、カスを摑まされたのではないか」
他に言い方が無いものか、と備中も、また恐らく列席者全員思ったはずである。鑑連はそんな空気を一切気に留めず続ける。
「杉が率いる数は?」
「およそ二千。ですが、物資に窮乏する貧乏武士が多く、お世辞にも精強な武士団とは言えません」
「クックックッ。貧乏が板に付くと、武士は強くなるのだがな」
「この二千が、蓑島城に入ったそうです」
備中、かつて田原常陸と眺めた風景を思い出す。それは、明るい海を背景に半島の先に膨らんだ山城が載っている、豊前の美しい風景である。
「杉に対する田原常陸の口上としては、父祖の地と栄光を取り戻す好機を与える、というものだろうな」
鑑連の言う通り、他にはないだろう。
「つまり、豊後国東郡から豊前京都郡までが、田原常陸の領域になったということか」
「田原常陸様は、まだ謀反を宣言したわけではありませんので、形式的には変わらず国家大友に属しています」
「事実上は」
「その通りかもしれません。ただし、そういった領有の問題とは別に、安芸勢を刺激せずにはいられますまい」
「そうだ。杉隊は安芸勢にとっては反乱なのだ」
東の播磨で織田勢と戦う安芸勢にとっては、少数と言えども不快感は強いだろう。鑑連は不敵な笑みを浮かべて曰く、
「なら簡単だ。田原常陸とその杉のガキを犠牲に、安芸と豊後で和睦すればよい」
冷酷な発言である。どうも、鑑連は田原常陸を救済するつもりがなく、これは固いようだ。だが、鑑連のそんな思いを覆そうと、小野甥はまだまだ頑張っている。
「日向で大敗する前の国家大友ならいざ知らず、今の豊後勢では足元を見られるだけでしょう。つまり、対等な和睦は成立し得ません」
「ふん」
ここまで田原常陸の動向に対して何を為すか、結論が出ていない。豊前には田北大和の勢力もいるはずだが、田原常陸側と見られているのか、話題にも上がらない。そこで備中、提案をしてみる。
「と、殿」
「田北大和の隊は豊前安定最後の切札だ」
どうやら顔に出ていたらしい。心を暴かれた備中が恥じらい頬を染めていると、小野甥が捕捉してくれる。
「備中殿。田北大和様の国家大友への忠誠は疑いありませんよ」
「最悪の事態になれば、田北大和が田原常陸討伐の先鋒を務めることになるな」
「殿、その通りです」
小野甥は、そうなる前に国家大友最高の武将の名望を手に会ってわだかまりを解いてみよ、という顔で鑑連を見ている。備中ですらワカるのだ。鑑連もワカっているはずだが、無視をしている。依然頑固だが、所詮この問題は義鎮公と田原常陸の問題であり、自分自身が立ち入るべきでは無い、と健全な事を考えているのかもしれない、とぼにゃりと考える備中であった。
と、そこに情報が飛び込んできた。
「申し上げます!宝満山城の高橋様、国東郡の吉弘家御一門を守るためとの理由で、兵を豊後へ派兵した模様!」
広間が騒然となる。
「あのガキ、勝手なことしやがって」
若い武士が増えて来たこともあり、鑑連にとってはガキばかりの昨今、この悪口が頻発するが、兄鎮信の遺領には鎮理にとっての親族がいるのだ。小野甥も、
「甥御を助けるのです。当然の行いでしょう」
と鑑連を嗜める。が、
「馬鹿め。これで筑前の守りが薄くなるだろうが。すると秋月、筑紫等のカスどもが動く。そりゃ、岩谷城はともかく、宝満山城は守りも堅いから多少の兵が減っても良いだろうが、大局にあるのは筑前の防衛だぞ」
「と、殿を当てにしているのでしょうか」
「だとすれば、良い性格をしている、ということだ。死んだ兄貴よりな」
鑑連の顔が少し翳った。やはり、鎮信の死が悲しいのだろう。
「ワシを当てにするにしてもだ。ワシが南に兵を送れば、西の原田が動く。ヤツめ、小田部や大津留よりも、甥っ子を優先するとは」
「殿のこと故、それら全てお破りになる、という計画だとすれば」
「そんな計画は破綻する。そもそも兵が足りんのだ」
鑑連は口で文句を垂れているが、さほど怒ってはいない。その姿から、備中には、鎮理が行動の結果にある結果が一つ見えた気がした。それは、筑前の軍権を鑑連が掌中に収める既成事実が到来するのでは、ということだ。
「鎮理殿は、田原常陸殿の行いが、豊後豊前に乱を招く、と考えたが故の行動でしょう。この事について、殿は同調されますか」
「む」
「今や吉弘家を支える事ができるのは、鎮理殿しか無く、派兵は無理からぬこと。誰もがそう思うことでしょう」
田原常陸の調略によって戦が起こるか、それとも義鎮公の譲歩により国家大友の衰退が避けられるか、いずれにしても市井の注目する大舞台に、鑑連の姿は無いのであった。
それより数日後、鑑連が危惧した通り、秋月勢・筑紫勢が再び行動を開始した。だがその動きは、誰にとっても意外なものであった。




