第32衝 出撃の鑑連
筑前秋月攻めが始まった。豊後の北西の出入り口、日田(現日田市)に軍勢を集結させた総大将戸次鑑連が号令により、大友勢は一気に筑後川を西に進み始めた。
「集結した軍勢、万を超えるぞ。秋月どころか、不穏分子全てを討伐したとてまだ余る軍勢だ、なあ備中」
「ははっ」
「無論、それとてワシが率いればの話だがね、クックックッ!」
豪語哄笑する鑑連。事実、この大軍を前に、抵抗する土豪らは居ない。皆、大人しく城門を開き、大友家への忠誠を再確認してくる。
「備中」
休息中の陣営で話しかけてきたのは、老中吉岡である。なにやら地味な供を連れているが、
「本来なら私に話かけるような方ではないのに」
と口には出さず備中片膝つく。
「息災のようでなにより。鑑連殿へ取次いでくれるかね」
「かしこまりました」
そそくさと案内する備中に、吉岡は話しかけ続ける。
「我が家の門番が良く話しているよ。戸次家には良心が残されていると」
「良心、ですか」
「そうだ。備中、そなたの事さ。あの鑑連殿の側に仕えて耐えられるなど、良心が無ければ到底無理だろう、だと。ま、儂も同感だがね」
「……はっ」
自身の苦労を知る人々が他家にいる。嬉しさともどかしさが相混じるこの気持ちを、戸次の者は誰が知る。そして、礼を言わねばならない事を思い出す備中。振り返り平伏して、口上を述べる。
「この度の戦役、総大将の地位に主人鑑連を抜擢して下さったのは吉岡様だと、主人が繰り返し申しておりました。家中一同に代わりまして、栄誉の機会を頂いた事感謝いたします」
老中吉岡、ため息の如き穏やかな声とともに笑った。
「はあああ……鑑連殿には借りがあったのでね。返すのが遅くなって、儂も背筋が寒くなってきた、それだけのことだよ」
いやあ、この方は器が違うなあ、とウキウキしながら案内する備中。笑顔で鑑連の陣幕に入ったところ、
「備中、何をニヤついている」
と飛んできた鋭い一言。鑑連である。戦いを前に高揚しっぱなしのようで、常に無い落ち着きが、欠けらも失せてしまっている。
「吉岡越前守様、ご案内いたしました」
「そうかそうか、これは吉岡殿ようこそ。備中、後は良いから下がっていろ」
「はっ」
退出する備中に言葉をかける吉岡。
「ご苦労様。この戦い、頑張れよ」
嬉しいが主人鑑連の手前、ここで元気な声を出しては後で何を言われるか知れたものではない。無言で礼をし、退出した。そして備中、寝所にて麻布を被り、嬉しさで笑顔が止まらぬまま、身悶えして眠る。
翌日、鑑連の機嫌がすこぶるよろしくない。隊を率いる幹部たちも気にしているが、
「おかしいな。悪い報告がなにかあったか」
「ないよ。秋月勢に与するもの皆無だ」
「なら何であんなに怒っているの、殿は」
「備中、知らないか」
こんな時だけ声をかけてくる幹部連に、備中は上下の身分を弁えて、丁寧に返す。ワカりません、と。備中が知らないのであればどうしようもないか、と言いながら去っていく幹部連を見て、
「うーん、そんなに私が殿の心を把握していると思われているのか。心外だな」
と呟く。そんな自分を妬ましげに睨む内田の瞳に、備中は気がつかない。これまで尊敬を得る事少なく、嫉視の感情など自分が抱くもので他人が自分に向けるものではなかったからだが、
「ああ、内田」
と声を掛けてもプイッとそっぽをむかれてしまう事になる。これでは近習としての仕事が大変し難いのであった。
進軍中、鑑連が備中を呼ぶ。
「ワシの隣まで来い」
「はっ……?はっ」
馬を寄せる。そんな備中を、さらに憎々しげに見つめる内田を由布が見ていたのだが、この主従は気がつかない。ところで話の内容は、
「貴様、昨日妖怪を連れてきおって」
「えっ」
「吉岡ジジイの事だ」
「はっ!此度の殿ご抜擢の決定者だと……」
「そんな事は知っているんだよ貴様。そうではない、あの妖怪、ワシに厄介者を押し付けてきたのだぞ」
「厄介者、ですか?」
「吉弘だ。貴様知っていたワケではあるまいな」
「な、何のことだか……」
「チッ、だろうな」
うわ、すごい舌打ちだ……なんでこんな目に遭わねばならないのか。さすがにむかっ腹が立ってきたぞ。
「吉岡隊所属のまま、我が隊に編入せよ、との事だ」
「吉弘様、をですか」
「妖怪め……ワシの功績を奪うつもりか……そうはさせんぞ」
何やら話が噛み合わない。が、どうやら愚痴をこぼしているだけのよう。であればはいはい聞いてふんふん頷いていればよかろう。ということで、備中はその通りにした。この勘は的中し、一頻り文句を溢した鑑連は、夜更けには備中を解放した。この手の技術は、備中ならではだろう。
麗しの筑後川は右岸を下りつつ、途中で右に、つまり進路を北に向ける。筑前に入った。
敵の居城、古処山城を前にして、戸次隊、軍議を開く。
「最前線を担当するのは一門隊、内田隊だ。存分に働けよ」
これも一つの抜擢である。戸次叔父と戸次弟が礼を述べる。
「ははっ、先陣は武者の誉れ、しっかりと努めましょう」
「うん、そうかそうか」
指名され、感激した内田も思いを素直に吐露した。
「殿の期待に必ずや応えてみせます!」
「うん、うん」
が、そんな鑑連の表情に隠された残酷な笑みを見逃さずにいた森下備中。なにやら嫌な予感がした。が、それに言及するワケにも行かない。飛び跳ね歩行で陣幕を出る内田を見送るしかなかった。
こうして、秋月討伐戦が始まった。




