第326衝 頬笑の鑑連
それから数日後、石宗からという書状が珍しくも備中宛に届いた。
「げっ」
それによると、現在石宗は神仏を敬う人々による隊を編成して、日向入りしており、その筆致曰く、
「ははっ、鑑連殿が動かぬなら、お前だけでも有志を募って日向入りすべし。某が有効に使ってやろう」
「現在、縣に邪宗の都が建設されている。凄まじい速さだ。よってこれを掣肘し、佐土原では連中に好き勝手させないためにも、某は働いているのだ」
「義鎮公の宗旨替えがあってから、国家大友は分裂するばかり。だが、田原民部殿が日向を平定し、薩摩勢を屈服させることになれば、割れた国論も安寧を取り戻すだろう。そのための某の活躍に、お前もぜひ参加しろ!はっはっはっ!」
というような事が記されていた。とりあえず、従順な近習として、この書状を鑑連へ提出する備中。
「ちっ、あんな流れ者風情が自由に動け、高貴なるワシがこの地に縛り付けられているとは」
日向攻めが本格化し、義鎮公の奇特が著しい今、鑑連の心は東ではなく、南を向いている。
「で、備中君は日向に行くのかね?」
「い、いえ!滅相もない」
鑑連の視線が痛いが、行け、といっているのか、行くの?と言っているのかはよくワカらない。日向に行けば、確かに、鑑連が欲する情報を得る事ができ、主人の為にもなるだろう。しかし……
「で、できれば行きたくないな、と」
「ワシの為に働かないと?」
「ち、違います!い、石宗殿の傘下で活動することになると、殿にもご迷惑がかかるのではないかと」
「ヤツと徒党を組む気はワシにはないが、利用しても良いとは考えている」
「よ、義鎮公と面会されるためにですね」
「そうだ」
「し、しかし……」
やはり石宗は不快な破戒僧であって、田原常陸や今は亡き吉弘殿とは違う。単純に、危地に赴くのにあれと一緒は嫌だ、という感情が優先している備中であった。が、鑑連は拘らなかった。
「ま、ワシの第一の目的は義鎮であって、日向の戦場ではない。貴様一人では義鎮に会うことも適うまい」
「あ」
鑑連はそう言うと、石宗の書状に火をつけ、灰とした。
「このことは忘れて構わん。いや、貴様の他にもこんな書状を受ける可能性のあるヤツはいるか?」
「ど、どうでしょうか。もしかしたら左衛門が」
「あいつ、昔はともかく、最近は石宗の事を嫌っていたはずだぞ」
「石宗殿としたら、私はついでで、左衛門が本命なのかもしれません」
立場的に、内田はもう長らく近習筆頭である。
「内田、どうなんだ」
「え!」
物陰から内田が現れた。どうやら聞き耳を立てていたらしく、バツが悪そうだ。
「じ、実は私にも石宗からの書が……」
「見せてみろ」
「はっ」
内田の手から書をひったくり、備中にも見えるように広げる鑑連。石宗節全開だが、多少抑揚は聞いている文面だ。
「クックックッ、備中貴様の言うとおり、内田が本命のようだな」
「ぎょ、御意」
「内田。どうしたい?」
「わ、私は……」
目がぐるぐる泳いでいる内田だが、意を決して曰く、
「殿が立花山城を動くことができぬ今、私が日向に行けば、殿のお役に立てることもあるかと存じます」
「いいだろう。日向に向かうことを許す」
「はい!」
簡単に許可が下りた。意外に思う備中だが、鑑連は一つだけ制約を付けた。
「貴様は顔も知れている。よって強く留意するべきこととして、ワシの名代であると認識されてはならない」
「承知しております」
「御仏への信仰厚い一武者としての参加だ。命に危険がある時以外、ワシの名を一切出してはならん」
「あ、ありがたき幸せ」
「今回、藤北勢も日向へ入るらしいが、鎮連が近づいてきても知らんぷりをしておけ」
「はっ」
「えっ!」
鑑連の発言に驚く備中。主従の感動の場面に水を差した備中を、咎める内田。
「なんだよ備中」
「あ、あの甥御様も日向に出征されるのですか」
「義鎮公も出陣しているんだ。当然、戸次家家督の甥御様も出るよ」
「し、知らなかった」
戸次弟の嫡男で、鑑連から戸次家家督を継承した甥の鎮連の下には、備中の倅が出仕している。
「貴様の倅の事か?」
「い、いえ。そんなことは」
「別に隠さなくていい。となると、これが初陣になるな」
「ええと、は、はい」
「殿、備中の息子放任を叱ってください。私は何度となく倅を手元に置いて養育するべきだと言っているのですが」
「ふん。息子をどう扱うも、親が決めればいいことだ」
「は」
「日向攻めは困難な戦にはなるまい。義鎮が日向入りして、伊東残党は立ち上がったし、薩摩勢も数が多いとはいえ、義鎮の扱う兵数はもっと多い。いつものヘマ以上のよほどのヘマをしても、勝利は固い」
「あ、ありがとうございます」
「おい、ワシは貴様の倅は気の毒だと言っているのだ。この程度の戦では、功績の立てようがないからな」
「は、はっ」
「ワシの指揮下にあってこそ、兵どもも輝くというものだ!それがないのであれば、致し方ない。クックックッ!」
鑑連の嗤い声に送り出された内田は、僅かな手勢とともに日向へ出立した。だだ、彼はなにより石宗に会わなければならず、反吉利支丹に凝り固まった人々の間で情報収集をしなければならない。これから同僚が被るだろう労苦に、心を寄せる備中であった。
また、遠い日向の地で初陣を迎える倅の活躍と無事を、ささやかに祈るのだが、ふと思う。その願いを、八幡大菩薩へ捧げるべきか、吉利支丹宗門の神へ捧げるべきか。そもそも、信仰とは一体なんなのか、どうあるべきなのか、疑問が次々に湧いてくる。
内田が出発して数日後、破戒僧増吟が鑑連に目通りを願いにやって来た。この厄介者にはなるべく会いたくない備中だが、鑑連からは気前よく通すように言われているため、仕方なく案内する。その道中、信仰の謎について、備中は問いかけてみる。
「ほう、備中殿は、吉利支丹宗門にご興味が?」
「そ、そういう訳ではないんです。ただ、宗旨替えした義鎮公は、願掛けする神様をそう簡単に切り替える事ができるのだろうか、と思って」
「そりゃ、できますよ」
増吟はあっけらかんと笑って曰く、
「今まさしくこの時に利益を与えてくれるのなら、義鎮公に限らず、そうできるはずです。それこそ備中殿も。いかがです?」
「わ、私は……」
「まあ、備中殿には、戸次伯耆守鑑連様という絶対の生き神のようなお方がいますから、あんまり悩む必要なんてないんですよ」
「そ、そうかな」
「そうそう。そうですとも。戸次様にお祈りしておけば、間違いないでしょう」
思いもよらない、あっけらかんさに自身の悩みが軽くなったと感じた備中。鑑連がこの破戒僧を買っている理由が、なんとなく理解できた。その上で、同じく破戒僧の石宗についてどう思うか問うてみると、
「まあ、私は仏僧だろうが神人だろうが、それこそ吉利支丹だろうが、人間死ねばどうなるかワカっているので。でも、その石宗殿はそうではないようですな」
「そ、それはつまり?」
「その方の苦難は深まる一方でしょう。ま、関わり合いを避けた方が無難ですな」
増吟がやって来ると、鑑連は必ず誾千代を呼ぶため、広間は明るい笑声に包まれた。この破戒僧は達観ぶりを毎度すこぶる示すが、それは命の危機を感じていないためであろう。つまり、鑑連を信用しているということだ。この考えに至り、備中は自身が増吟に抱いていた不快感が小さくなっていることに気が付き、笑顔の輪を邪念無く眺める事ができるようになっていた。




