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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
天正六年(1578)
325/505

第324衝 決意の鑑連

 義鎮公の宗旨替えが大きな衝撃とともに伝えられた数日後。鑑連が偽伴天連と面会をした数日後。鑑連は、幹部連を集めて、戸次家の今後の方針を発表した。


「ワシは決めた。義鎮と対決するぞ」

「と、殿」


 義鎮公が宗旨替えをした途端にこれでは敵対的に過ぎるのではないか、と幹部連は一様に心配そうな表情になる。下手したら内乱ではないか。だが、鑑連は自信満々である。


「先般、偽伴天連との会談の中で吉利支丹宗門の危険性が理解できた」

「あれは偽者……ということは吉利支丹の宗旨はデタラメであったのでは」

「偽者には違いない。末次屋が真の伴天連を庇う為にでっち上げた若造だが、正真正銘の南蛮人で吉利支丹ではあるのだろう。あれが演じた伴天連の考え方については曲解せずに評価するべきだろう。よって、その存在については理解できた。存在は認めてやってもよい」


 どうやら、恐れ知らずの仕込みを行った博多商人に対して、本当に怒っているわけではないようだ。


「この際、宗旨などはどうでもよい。結果、ワシとは相容れんということだ」

「そ、それは」

「連中は政に口を挟む。これは許されざる行為である。特に連中が要人の宗旨替えを狙ってきている以上、容喙は裏の目的とも言える。この行いを認める訳にはいかん」


 鑑連が元気を取り戻し嬉しい備中だが、その原動力は闘争心によるのだとつくづく思うのだ。小野甥が前に出て曰く、


「義鎮公は、日向征服の暁には吉利支丹宗門へ所領として与える、という噂があります」

「どこからの噂だ?」

「公の近習衆から」

「同じような話が鎮信やクソ坊主からも来ている。事実なのだろうな」

「吉利支丹宗門が日向に暮らせば、それで混乱は収まる、という見方もあります」

「そんなわけあるか。日向の征服など問題ではない。吉利支丹宗門を封じたとしても、連中はまたあちこちへ移住し、勢力を広げるだろう。よって、ワシはこれを断固防ぐつもりだ」

「なるほど」


 鑑連、段々と理解をしてきた幹部連を満足気に睥睨する。


「吉利支丹宗門に所領が与えられれば、ワシらの食い扶持が減る。断固拒否で行くぞ」

「はっ」

「い、いかが対処いたしますか」


 主人鑑連に吉利支丹宗門を追放するだけの力があるとは思えない備中。力の種類が違うのだが、


「かつて、義鎮が京から来た女にハマったことがあったが、基本はその時と同じだ」


 備中の頭上に光明が差した。


「で、では殿が義鎮公と直接会談を……!」


 ふん、と鼻を鳴らす鑑連である。だが、これまで義鎮公との不仲から必要以上の対顔を蔑ろにしてきた鑑連とは思えない発言、これは奇跡だ、と感動が止まらない備中。


「ヤツにワシのありがたい直言をお見舞いしてやろう……クックックッ!」

「殿」

「なんだ」


 ここで、小野甥がさらに前に出る。


「なさる話の内容は、吉利支丹へのお肩入れを断念させるものとなりましょう。すると、殿は田原民部殿、石宗殿と同じ側に立つことになります。よろしいのですか」

「小野殿、同じ立場とは?」

「不明惰弱の徒になるぞ、ということか?」

「奈多家の方々の側に立つということです」

「同じではないか。貴様、ワシの話を聞いていないのか?ワシは吉利支丹の存在は認める。ただ義鎮からは遠ざけるのだ。存在すら認めることのできないヤツらとは違う。そこまで頭に血は上っていない」

「しかし、他者はそうは見ないでしょう。特に、抑圧されてきた宗教勢力は、殿を救世者と見なすに違いありません。これまで殿は彼らと適切な距離をとってこられたと私は考えますが、その利が損なわれます」


 普段爽やかで冷静な小野甥にしては、言葉に力が篭っている。これはよほどの懸念なのだろう。


「神人仏僧どもの浮石沈木に煩わされることは、殿にとって初めての障害となるのでは。叡僧を殺し、今、一向宗と死闘を繰り広げる織田右府の苦労がワカることでしょう」

「小野、勘違いするなよ。ワシは義鎮に吉利支丹への思いのみを棄てろ、と説教をするのだ。吉利支丹宗門と事を構えるのではない」

「吉利支丹門徒からすれば、同じことでしょう。つまり、坊主たちの畜生道を殿御自ら切り拓くということです。この戦いは双方、断固、断固、断固、となる。終わりなき戦いになるかもしれません」

「望むところよ。ワシの人生、戦いが全てだ」

「それで国家大友を損なってしまっては、元も子もありません。宗派の争いで京の都が灰塵に帰した事を、忘れてはなりません」

「義鎮を放置しても同じことでだろうが!」


 二人の空気が険悪になってきた。小野甥は決して激発しないが、鑑連は瞬間破裂する。幹部連がハラハラしながら両者のやり取りを見守っていると、近習衆の一人が情報を携えてやってきた。


「殿、申し上げます。先頃、日向で薩摩勢の反撃があった模様です」

「反撃。というと、豊後方が敗れたのか」

「はっ。日向中部の山に石ノ城(現宮崎県児湯郡木城町)という城があります。三位入道様豊後ご避難の後も、伊東家の旗を掲げて戦い続けていたのですが、先日薩摩勢の大軍が押し寄せたことで、ついに城を捨て縣へ退いたとのことです」

「薩摩勢の数は」

「およそ一万」


 幹部連の間にもどよめきが広がる。


「一万とは……多いな」

「佐嘉勢も、万までは届かなかったが」


 通常、国家大友が日向に展開できる兵力はおよそ二万、強いて三万、ギリギリいっぱい、最終兵器である鑑連まで動員して五万と言ったところである。一万という数は多いが、薩摩勢は大隅を征し、日向をほぼ手中に入れていたのだ。十分にあり得る数である、という認識の顔を幹部連は皆している。


「薩摩勢を率いるのは、当主か?」

「いえ。当主の従兄弟にあたる右馬頭という者です」

「従兄弟ね」


 鑑連は瞬きもせずに顎を撫で続けた。しばらくの後に曰く、


「伊東勢を破ったのは弟、筑後の関所を破ったのは別の弟、そして今回は従兄弟か。一族の結束が強いのだな。皆、生き延びている」


 父、弟、叔父、従兄弟と多くが死に至った大友宗家とは大違いである、とこれもまた鑑連及び幹部連共通の認識である。一族の結束が強いことはかけがえのない美徳だ。


「薩摩勢もとい島津家が薩摩全土を制圧したのはいつの頃だったか」

「永禄十二年頃のはずです」

「そも庶流の一族が宗家を継承していたはずだ。よって、新興勢力と見做すべきだな。クックックッ、吉利支丹と同じようなものだ」


 ふと備中は、島津家の勢いは、興隆期にあった大友家と同じだ、と感じた。百年程前に庶流にあたる親家公が大友宗家を継承し、今の義鎮公・義統公まで連なっている。満つれば欠けるのみ、とするならば、国家大友の前途に不吉あるを感じるのだ。


 それを鑑連に伝えようか。伝えるにしても、一対一で話をする時に限る、と備中は判断した。また、鑑連の高嗤いを聞いていると、国家大友はまだ満ちていない予感もまた、自覚するのであった。

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