第321衝 圧拉の鑑連
「馬鹿じゃないか。さらに洗脳されるに決まっている。ワシが伴天連ならそうする」
「それも、先方が正式に断りを入れたということです」
「クックックッ!二重に恥をかいたということか!」
地の底から響くような嗤い声である。心の底から馬鹿にしているようだ。
「まあ、当然の結果だな。奈多のガキの頭はさぞ沸いているだろうよ」
「老中筆頭へ分与された諸権限が義鎮公に戻されているだけでなく、養子御の件でも悩みが深まれば、その影響力の低下は必至です」
「つまり?」
その時、
「田原民部様に代わる大将の出現もありえるかも……?」
と何者かが呟いた。備中は内田の声だなと感づいたが、その後に続いた大歓声が証拠を覆い隠す。
「殿!ついに殿だ!」
「国家大友最強の武将!殿しかおりません!」
「どうか義統公にお申し出ください!軍団を与えよ、と!」
鑑連はちょっと照れてはいるが、喜んでいる風ではない。懸念があるのだろう。小野甥が騒々しさを抑えて、
「確かに武名では殿は最大の武将ですが……」
「……?」
まさか、言うのか。主人鑑連が義鎮公との関係で難儀していると。備中は身構える。まさか言うのだろうか。田原民部はともかく、佐伯紀伊とも、良好な関係にはないということを。幸いにも違った。
「そうであればこそ、この筑前を守らねばなりません。この立花山城は筑前の中心。ここにいると言うことは、余人に変え難いということです」
熱気の膨張が萎んでいく戸次武士たち。鑑連を見ると、嘘くさい風にやれやれ、という顔を作っている。そして曰く、
「名目上の総大将は義統でこれは不動だ。つまり実務の責任者が誰になるかだが」
「殿以外の有資格者は、佐伯紀伊守様、田原常陸介様、吉弘鎮信様でしょう」
「なら、佐伯になるか」
「はい。田原常陸介様のご登用は、田原民部様を破滅させることになりますから。義鎮公はそこまでの決断はできないでしょう」
「あ、あの。鎮信様は難しいのですか?」
驚くべきことに、この発言は備中ではない。若い武将たちだ。小野甥答えて曰く、
「難しいでしょう」
「な、何故ですか。ご実績もお家柄も、申し分ないのではありませんか」
「私もそう思います。それに殿に鍛えられた方でもありますし」
備中が、だからです、と心中独り言ちると、
「だからだ」
と鑑連が放り投げるように発言。若き戸次武士らは黙ってしまうのであった。
幹部連に消沈したこの集まりを解散させた鑑連、執務室へ小野甥と備中を呼び、話の続きを求める。
「奈多のガキの話の続きだ」
「先ほどご指摘の通り逆効果だったようで、養子御は、義鎮公と義統公のため、吉利支丹として生きる決意を強めたということ」
「これもまあ、度し難いマヌケだな」
「ことここに至っては、田原民部様にとってこの日向攻め、義鎮公の名の下で、かつ義統公の名によって、絶対に成功させねばなりません」
「気負うと人生碌なことにならないものだがな」
「ですが、未だ現職の老中筆頭です」
「義鎮も中途半端なことをしやがる」
鑑連の口調はともかく、表情はすこし温かい。
「妹を離縁され、養子との関係も悪化した今、奈多のガキは、今後を義鎮に期待することはもうできまい。伯父甥の関係にある義統を自身の手で完成させることが最大の目標だろうよ。そしてそれは、義鎮の望みとも合致している。強かなヤツであることは認めてやろう」
田原民部と義統公との間の関係を見守るような言い方だ。不安な甥を伯父が支援する姿は、鑑連が心絆される事の多い、父子の思い遣りに通じるのだろうか。が、その時間も短く、小野甥が鑑連を現実に引き戻す。
「彼の方が義統公を通じてどのような軍団を編成するのか、殿は注視せねばなりません」
「注視」
「お考えください。義統公は父義鎮公の支持で家督を継ぐのです。それを損なう事は避けたいはず。例え伯父貴と言えども、義鎮公が好まなければ重用はできなくなるはずです」
「奈多のガキの代わりの台頭か」
「はい。もはや殿が相手にすべきは田原民部様ではありません。その後であるはずです」
「さ、佐伯紀伊守様か、田原常陸介様か」
呆れたような目で主人に睨まれる備中だが、
「戦は名声を稼ぐ好機です。その二人に限らず、新たな人物が現れるかもしれません」
「そんなヤツがいるとは思えんがな」
国家大友には人材がいない、ということだろうか。お声がかからない者の僻みか、あるいは本心か。
内田が急ぎ足でやって来た。情報を得た時の顔だが、顔色はよろしくない。
「殿、申し上げます。豊後臼杵よりの使者が……」
言い淀む内田。何事だろう。まさか鑑連に出陣を依頼しにきたのだろうか。備中、うっかり輝いた目で鑑連を見てしまう。刹那、目が合った主従、
「……筑前衆を日向戦線へ出発させるよう、義統公の命を携えてきました!」
「と、殿!」
さらに頬が綻んでしまう。
「つ、ついに来ましたね!」
「あ、うん」
悪鬼が豆鉄砲を食らった顔をしている。まさかこんなあっさり戦線参加が成るとは、誰一人思ってもいなかったに違いない。
「内田様、まだなにかあるのでしょうか」
「ま、ワシの名声はやはり大きいのだろう」
「はい、殿!」
「そ、それが……」
「もしかしたら義統は父ほど目が曇っていないのかもな」
「はい!よろしゅうございました!」
「内田様」
「……指定がある。臼杵勢、と」
「本来ワシは安芸勢を平らげるべきと思うが仕方ない。日向、大隅、薩摩を征服してからの、安芸攻めだな!クックックッ!」
「……えっ!」
「内田様、出動は臼杵勢についてですか」
「ああ、そうだ」
「クックッ……」
「戸次家の参加は?」
「……無しだ」
「えっ……」
「これがその書状……備中、殿へ」
「えっ」
「……」
「えっ?」
「い、いいから、ほら」
「……と、殿」
鑑連は無言である。だが、内田の参した書状を渡すと、それを穏やかに受け取り、目を走らせ始める。
「ふんふん」
それどころか相槌を打っている。
「そうかそうか」
書を認めただろう義統公へ頷き返してもいる。
「なるほどな」
読み終えた鑑連、書状を畳んだ。握り潰すように。そして一喝。
「おのれ!」
鑑連怒りの一振りが、備中の頭に命中した。哀れ、ひしゃげた書状は力なく床を転げ、その姿は哀愁をそそる。どしどし城を揺るがせながら去っていった主人の後ろ姿と同じ空気をまとっている。家臣三人、目配せし、同じ思いを胸に懐いた。




