第320衝 唾棄の鑑連
「土持が斬られた」
「いや、腹を切ったという話も。でも、強制されたのなら同じことか」
「土持家はこれで御家断絶か。酷いことだが、戦国の世の倣い。仕方ないことだ」
土持家当主が処断された話は、あっという間に国家大友を駆け巡った。それだけ、この戦役は注目をされていたということである。無論、我らが鑑連も同様だ。小野甥と備中に報告を求める、曰く、
「市井は土持の死を悼み、同情しています」
「戦に敗れれば死ぬ。それだけのことなのだがな」
「一方で、土持を斬った別の効果も出ています。日向北部の諸族が、軒並み服属を申し入れてきているとのこと」
「土持の助命に懸命だったらしい佐伯隊の士気は?落ちていなければいいがね、クックックッ」
備中もその話を心に留めていた。義弟とはいえ、敗れた敵将を殺さず助命を願うとは、武士の鏡、言葉など要らぬ美しさである。が、義鎮公はそれを容れなかった。佐伯紀伊守の心中想像に難くない。
「佐伯隊の士気は不明ながら、佐伯様は義弟殿を見殺しにしたわけではありません。むしろ、心優しい方という評価が高まっていますよ。佐伯様が当地に居れば、縣も平穏を取り戻すでしょう」
「篦ッ」
虫唾が走ったらしい鑑連は、世の模範となるべき武士のあるべき道が本当に嫌いなのだろう。飛んだ空唾とともに、話が変わる。
「佐土原には、例の島津の公子が入城したということです」
「例の?」
「先般、始末し損ねたヤツだ」
ということは、無事お伊勢参りを果たしたのだろう。この時世に伊勢まで詣でるとは、薩摩武士の心に純真さを感じる備中である。
「佐土原は日向の中心です。そこに公子を入れたとなると、その意図は明らかでしょう」
「この若いのは、島津家中での序列はさほど高くないと聞いていたが」
「それでも現当主の弟です」
「血筋の者が佐土原の城主を務めるのだ。当方も大友血筋の武士で相手をせねばなるまいな」
「た、田原民部様ですか」
「真の血筋者ではないがな。必ずそうなるだろう」
「鎮信様、朽網様、吉岡様、田北様と血筋の武士は他にも揃っています。この誰でも無く、近年遠ざけられている田原民部様が最前線に出る……そんなことがあるでしょうか」
「義統が奈多のガキを頼る以上、そうなるさ」
「あ……そうでした」
備中は、義統公の存在をすっかり失念していた。
「それより備中。誰か忘れていないか?」
「えっ、ええと……」
「殿のことですね。無論、みな忘れていませんよ」
「そうか、ならいい」
小野甥の助け舟に心底感謝する備中。しかし、鑑連に日向出陣のお声は未だかからない。小野甥が続けて曰く、
「縣の南に細島という良湊があり、その更に南に美々津という美名すこぶる湊があります」
「わ、我が方がすでに支配下に置いている領域ですね」
「そこまで達したか。意外に速いな」
「一連の行動について、方々の評価は高いようです。なかなか、いやなかなか、と」
「す、凄いですね!」
「田原民部殿と佐伯紀伊守の間での連携は大変上手く行っているようですね」
備中、年甲斐もなく関心の声を上げると、鑑連が睨んでくる。だが、この無邪気な喜び、国家大友に仕える武士共通のものである。所変わって、立花山城の広間。日向攻めの戦果を噂する武士たちが話し合ううちに、自然とみな集まってくる。鑑連も上座に座らざるを得ない。国家大友の久方ぶりの勝報を彼らは喜び合う。
「日向を北と中央と南に分けるとすると、北部は早くも国家大友の支配下に入ったというわけですな。圧倒的ではありませんか」
「国家大友万歳ですな」
「衰微したとはいえ、伊東武士らが各地で蜂起しているとのこと。人の利があり、地の利を知り尽くした彼らが入れば、この戦、勝利も同然ですな」
天の利の有無についてはやや心配な備中。なぜなら、鑑連の機嫌がずっと悪いからだ。だが、同僚の勝利を喜べない仏頂面は、器の小ささだけを示しているのではない。今対決するべきは安芸勢だ、という確信があるのだろう。そこで、備中、水を向ける。
「さ、薩摩勢が片付けば、次は安芸勢ですね」
鑑連がピクと反応する。戸次武士らも乗ってくれる。
「織田勢はすでに播磨で安芸勢と戦を始めているという。今のところ、一進一退ということらしいが」
「安芸勢もさすがだな。あの織田右大将と互角に戦っているとはな」
「それは古い敬称だぞ。昨年、右大臣に任官したから、織田右府と呼んでいるぞ」
「そうだったな。しかし、大したものだ」
幹部連はみな織田右大将もと織田右府に好意的であるようだ。宗家の義鎮公が親しくしており、上手くいけば安芸勢を挟み撃ちにできるのだから、当然かもしれない。備中、もう一押しする。
「こ、この速さなら、薩摩攻めは案外早く終わるかもしれないですね」
「日向、大隅、薩摩を平定してから安芸勢を攻めれば、織田右府も国家大友の力を尊重しないわけにはいかないだろう」
「それもそうだ」
鑑連がピクピクと反応する。うーむ、上手くいかない、と腕組みをする悩める備中。
総じて、戸次武士らはこの日向攻めを歓迎している。無理もない。しばらく続いた平和の末、ようやくの戦なのだ。遅れていた出世の機会を取り戻す良い機会なのだ。だから彼らは口を揃えてこう言う。
「殿!来る薩摩攻めには、どうぞ我らが戸次家の参加を期待するものであります!」
「国家大友の力の何たるかをお示しできるのは、最強の武将である殿を置いてなし!」
「我らにお命じください!戦うべしと!」
若い武者衆から歓声を浴びせられ、不愉快千万の主人鑑連。見れば内田も向こう側にいるようだ。怒鳴り出したいのを堪えているようだ。歓声に頭を押さえる備中だが、それを小野甥が割った。
「関連して心配な情報もあります。田原民部様が、養子御の説得を試みているとのこと」
盛り上がりが一気に沈静した。やはり、小野甥は声の出し方からして文系武士とは違う。鑑連は満足気に応じて曰く、
「説得というと、吉利支丹宗から離れ、悔い改めて戻ってこい、と?」
「はい。それを、伴天連へ依頼したそうです」
「伴天連へ?」
呆れ顔の鑑連だが、話の主導権は鑑連と幹部連の手に戻った。ホッとする備中であった。




