第319衝 魂消の鑑連
「ワシは強くなりすぎてしまった」
「……」
「……」
鑑連の不可思議発言を前に、沈黙の小野甥と備中。
「だってそうだろうが。義鎮も、奈多のガキも、他国を攻めるのにワシに声をかけない」
「……」
「……」
鑑連の様子が少々おかしい気がする。憔悴しているようにも見える。
「伊予攻めはまあ良い。遊びのような出兵だった。土佐攻めも仕方ない。安芸勢への配慮もあったろう、このワシを出せるはずがない」
「……」
「……」
佐嘉攻めから八年、確かに全くお呼びがかからない。公式には義鎮公から相談も無い。非公式にも備中が知る限りは無い。知らぬ限りも無いのではないか。
「だが、縣勢は薩摩方。いわば薩摩勢のようなものだ。なのに何故、誰もワシを呼ばないの」
「……」
「……」
なにやら哀願が篭った調子になってきた。
「ワシは国家大友最高の武将と言われているのだぞ」
「……」
「……殿」
「備中!」
「ははっ!」
しまった。気遣い声が出てしまった事で目をつけられた。鑑連の声が怖くて平伏する備中。
「ワシは、やはり強くなりすぎてしまったのだろう?」
「はは!そ、そうかもしれま」
「ならばどうすればいい?安芸勢に突貫して負けて来れば、嗚呼あの男も人だったのだ、とお呼びがかかるのか」
「う、うーん」
「それにワシの言う事に誰も耳を貸さん。あれだけ本国に書状を送っているのに。みな、ワシを遠ざけておきたいのだ」
「それはまあ」
「何故だ」
「えっ」
「何故なのだ」
やはり今日の鑑連はどことなく芝居がかっていて、不気味だ。備中、三十年近い付き合いの中で、初見かもしれない。隣の小野甥はなにやら呆れ顔の様子だが。
「備中、答えるのだ」
静かだが、力強い問い掛けである。
「そ、そうですね。そこに殿がいたら好き勝手できないからではないでしょうか」
「なぜできない?したらいいではないか」
「そりゃ、怖いですし……」
「この顔がか?ならば髪剃り、髭落とし、入道の姿を晒しても良い」
「すぐ怒鳴りますし……」
「ワシの指導は愛の鞭だぞ。だが、それが人を遠ざけると言うのなら、見て見ぬふりもしよう。なんでもしてみせる」
絶対できない、と確信する備中。人の不始末を指摘し、えぐり、徹底的な自己批判を求めずにはいられないのが主人鑑連なのだ。ということは、これは……
「殿、見苦しきお振舞いはお止めください」
小野甥が二歩前進して言い放つ。
「戦場に出たいのでしょう?ならば義鎮公へ陳情なさいませ」
無言の鑑連。
「安芸勢を攻めたいのでしょう?なら直接、義鎮公へご提言下さい」
無言の鑑連。
「田原民部殿が政治権能から離れている今が好機ではありませんか。国家大友には不幸でも、殿には幸いなことです」
まだ無言の鑑連。はっきり言って、無言の行により恐怖を撒き散らしているのだが、小野甥は怯まない。
「おっしゃいましたね、なんでもしてみせる、と。なら、吉利支丹宗門に宗旨替えなさいませ。義鎮公は喜んで殿を迎え入れるでしょう」
「備中」
来た。短いが、地獄の釜を鬼が強打するような声だ。
「……はっ」
「この爽やか野郎の進言について、意見を述べろ」
「えっ、えっ?」
鑑連も小野甥も睨み合っている。両者備中を見ない。それなのにこの板挟み感は凄まじい。
「い、い、いや、その」
脳味噌が全く働かない。
「わ、私ではなんとも」
「黙れ。ワシに口答えするな。言え」
「……」
腹を括るしかない備中であった。
「……た、確かに、今は好機だと思います。義鎮公が吉利支丹宗門をどう捉えているかはともかく、南蛮寺と親しめば公と面会の機会も多くなりますし……た、田原民部様がお苦しい今、野心ある者はみな義鎮公に右に倣えをするのだと」
「ワシが吉利支丹か」
備中を挟んで睨み合い続ける両者と、左と右をキョロキョロと戸惑うばかりの備中だが、小野甥は鑑連の要領の悪さを詰っているのだろう、と気がついた備中。すると、
「クックックッ!」
「クックックックックックッ!」
「クックックッ、クックックッ、クックックッ!」
鑑連、大苦笑から一転、
「ワシに出来る筈がなかろうが!」
途端に、懐から鉄扇を投げ放つ。が、小野甥は既に動いており、鉄線を躱した。欄間、長押、鴨居を破壊した鉄扇が轟音と共に旋回し戻ってきて、小野甥に迫る。が、
パシ!
小野甥は振り返りもせずに片手でそれを受け止めた。
「おお!凄い!」
鑑連の鉄扇投げが初めて止められた。同僚の快挙に備中快哉を叫ぶ。一方の鑑連は驚いた顔をしており、その顔も備中には見慣れないものだった。小野甥、語気を強めて曰く、
「殿とて不死身ではない。ご自身の年齢をお考えになるべきです」
「なんだと?」
「かつての殿の投擲なら、私は受け取ることなどできなかったはずです」
無言の鑑連。
「殿は、何歳まで生きるおつもりか。それまでの間に、望むもの全てを得ることができるのか。よくよくお考え下さい」
改めて、無言の鑑連。
「戦場の勇者たちとていつかは死ぬのです。武田信玄も、毛利元就も、上杉謙信もみな世を去った。次が殿でないと、誰に言えましょうか」
そう言えば、上杉謙信の他界について告げる、博多の衆からの最近の書状を思い出した備中。これで将軍家と安芸勢はさらに不利になるだろうから、織田家の新都安土へ詣でに行くべし、というのが博多衆目の一致する意見だという。
「クックックッ」
剛毅な嗤いであった。
「備中、そいつの手を治療してやれ」
そう言い残すと広間を去っていく鑑連。その背よりも、小野甥が心配になる備中。鉄扇を握っている手を見てみると、甲の部分が妙にでこぼこしていた。
「ああっ!」
骨が幾つか外れているようであった。
「こ、これは酷い……い、痛みますか」
「ええ、激痛です」
そのせいか、常よりも爽やかな顔に見える小野甥であった。よく見ると顔から汗が噴き出ている。
「骨接ぎ活法は由布様が良くされます、すぐに行きましょう!」
「ありがとうございます。しかし、老いの影響を見積もった私の目は誤ってましたね」
それでも、悪鬼鑑連の前で一切物怖じしないこの同僚を、備中は誇りに思うしかない。これまで誰が、あの鉄扇を受け止めんと試みた者がいただろうか。鑑連とも、他の幹部連とも明らかに異なる思考をするこの人物が鑑連の側に立つことは、幸運であるはずである。無論、それを活かすも殺すも鑑連次第でしかないのだが。
由布の的確な治療により、小野甥の手が元通りになった日、豊後からまた知らせが届いた。曰く、縣勢の頭領土持殿が田原民部に斬られた、というものであった。




