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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
天正年間(1573〜)
310/505

第309衝 直覚の鑑連

 天正四年も年の瀬が迫っている。そんな中、小野甥が足早に執務する鑑連に近づいて報告する。


「宇佐の宮で火事だと?」

「はい。弥勒寺が焼失したとのこと。幸い死者は出なかったそうです。別当も無事です」


 寺社の火災は不吉の兆候だが、鑑連は神仏を怖れぬ者が誰か、推理を開始するが、


「失火ではないとしたら、誰が火を付けさせたか、だが」

「失火か火付かはこの際、大きな問題ではありますまい。この火災により、豊前の民衆の心が荒むのではないか、心配です」

「貴様……だが確かに、火を付けるなら、奈多の宮の方が動機が得そうだがな」

「逆に露骨過ぎるのでしょう」

「ふん」


 この話に備中は入っていっていない。近づこうとした所で話が始まったので、襖絵の反対側で待機し、聴くのみ。が、やはり不吉な出来事であるとは感じ、これが通常の感覚ではないか、と二人の不遜について天の咎めが無いか、心配になる。


「それで、田北大和守の動きは」

「復興に協力する、と宇佐の宮に申し出たそうです。噂では私財を投じて」

「クックックッ、ヤツめ。破産するぞ。義鎮に伺いを立てていないのか」

「これは噂です。そして義鎮公が、というより義統公が補償を拒否したという風聞が」

「拒否だと?バカめ、宇佐の宮を敵に回す気か?」


 吐き捨てる鑑連。が、これは鑑連が正しいだろう。寺社の支援と保護はその領域の実力者にのみ許された行為であり、責務である。


「田北大和様は、国家大友への反感が強まることを避けるために身銭を切ったのかもしれません」

「そんな噂が立つほどだ。田北も以後、やりやすくなるだろうよ」

「さらに噂が。田原常陸介様が、田北大和様の行いを称揚され、自身も必ず出資する、と宣言したそうです」

「これ見よがしに、か」

「はい。ある意味で、義統公の決定に対する田北大和様のご配慮が無に帰するということです」


 もう何年もお目にかかっていない田原常陸を思い出し、その笑顔を思い出そうとする備中だが、何故か、かの方の乾いた笑いのみ脳裏に響く。


「しかし、田原常陸介様に意図があるとすれば、義統公ではなく、田原民部様のご名声に傷を付けることが本意でしょう。で、でですよ。これもまた噂なのですが」

「妙な噂ばかり集めおって。貴様、しっかりと情報収集しているのか」

「はい。流言飛語が飛び交っております」

「それも噂か?」

「はい。とびきりの」

「クッ」


 真顔で宣う小野甥を直視していたのだろう、ツボに入ったのか思わず笑ってしまったらしい鑑連。


「クックックッ、またまた噂。流言飛語は秩序の敵なんだがな」

「その噂とは、田原民部様のご養子が吉利支丹宗門に傾倒しているとか、いないとか」

「ほう、興味深いが、初めて聞いたな」

「田原民部様は必死になって隠し通しているものの、ご養子の決意は強いばかりか、義統公と親家公が自派に引き入れようと躍起になっているとかいないとか」

「荒唐無稽のようだが。いや、それよりも貴様、ちゃんと言え。セバスシォンだろうが」

「ともかく、これらの噂が全て一部にせよ真実の現れとすれば、国家大友は危険を孕んでしまっていると言えるでしょう」

「備中」


 いきなり名前を呼ばれてドキリとする備中。気配は抑えていたつもりだが、バレていたようだ。か細く返答する。


「……はっ」

「年が明けたら府内へ行け」

「……は、はっ!た、田原民部様へ何か……」

「それもそうだが、大友宗家の連中の臭いを嗅いでこい。既に異常事態となっているのか、そうでもないのか」

「と、殿……」


 襖越しに小さな声で話をするので草の者になったような気になる備中、ついに主人鑑連の心に宗家への忠義の気持ちが沸き起こったか、と一瞬ほろりとする。しかし、そんなはずがないのだ。目を擦って、鑑連を見直すと、いつもの悪鬼面があった。何かを仕掛けようというのだろうか。隣に立つ小野甥は、かなり真剣な顔をしていたが、それがどのような感情に依るものなのか、備中には検討がつかないのであった。



 年が明けて天正五年、森下備中、府内の町を歩く。何やらピリついた空気の中、知った顔と目が合う。


「森下殿。お久しぶり」

「これは吉岡様の門番殿の兄上様」


 実に久しぶりである。この門番の兄は急にキョロキョロし始める。


「へ、戸次様は?」

「筑前に。今日は私だけです」

「そ、そうか」


 鑑連に張り倒されたのはもうだいぶ前である。余程心の傷になっているのだろう。


「誰に会いに行くのかね」

「と、とりあえず」


 吉岡家の家来を前に、お宅には行かないとも言えないもの。


「あっ、当家の使者がまだなら吉岡様へご挨拶を……」

「いや、来て頂いたよ」

「そ、そうですか」


 唯我独尊我田引水の主人鑑連も、常識として、正月に豊後の有力者巡りの使いは出しているのだ。無論、それを仕切っているのは自分たち近習衆であるが。


 嘘をついても仕方が無いので、主命というのは避け、来た目的を述べる備中。府内の空気を知りにきたと。


「さては噂のことか?」

「吉利支丹の、でしょうか」

「そうだ。筑前まで噂は行っているんだな」

「なんだか宗家に近い方々がみな、吉利支丹に心を寄せているとかいないとか」

「心を寄せまくっているそうだよ」

「そうなんですね」

「とどのつまりは寵愛争いさ。義鎮公に気に入られれば、所領も増える。生きる道も広がる。宗旨についてのことなんか、大半の連中はどうでもいいんじゃないか」


 これが府内の空気か、と備中は少し安心した。宗教の問題も、権力争いが真実の姿なのであれば、御し易いと思ったためだ。


「ま、戸次様に限って、吉利支丹にドハマりすることはあるまい。なんだか確信しているよ」


 その言い方が可笑しくて、思わず笑い合う両者であった。


「今度、ウチの殿が府内にご滞在の折には、ぜひ立ち寄ってくれ」


 この殿とは、地味だなんだとやや軽く見られている吉岡長増の倅のことだろう。門番兄のその話し方から、妖怪ジジイの息子は人柄は良さそうだ、との印象を受けた備中、照れながら返事をする。


「は、はい。あ、そ、そうだ」


 備中、姿勢を正し、頭を下げる。四年も前のことではあるが。


「よ、吉岡宗歓様のご冥福をお祈りいたします」


 吉岡家先代である長増の他界について、法名でそう伝えた備中の肩を、門番兄は優しく叩いて礼を伝えてくれた。

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