第304衝 高大の鑑連
「もし、大友家が将軍家の敵になるのなら、また豊前で戦になるかもしれませんね。その時、あの御仁は出陣するでしょう」
「まあ、そうでしょうな」
「皆さま。都では、戸次殿の評判は高いのですよ」
「ええ?」
「大友家最強の武将、と称えられています」
「冗談でしょう。そも、大友家は戦に強くはない。よく負ける」
「上杉謙信公や、信玄公の頃の武田家とは違う」
備中も、それホントですか、と質問をしたくなるが、ぐっと我慢し、話の続きに耳を澄ます。
「今や、西国一である安芸の毛利家の陰で目立ちませんが、豊後の大友家も大国です」
「毛利家は山陽山陰十一カ国ですからな。全国の六分の一を確保している」
山っ気のある声に導かれ、備中も指折り数えてみる。周防、長門、安芸、備後……備中。思わず笑みが溢れる。
「対する大友家は九州六カ国。動員できる兵力は半分なのでしょうか」
「この博多の町!」
でかい声の男はそう述べると、床をドンと叩いた。
「ここを押さえる限り、経済力では大友が上だ」
「ほう、貴方様が手掛けられた石見の銀山を持ってしてもですか」
「如何にも、如何にも」
備前、美作、伯耆、出雲、石見……追いついたが、十カ国である。あとは何処だろう。豊前のことを言っているのだろうか。確かに門司周辺は安芸勢の支配地であるが。丁重な声の男が話を元に戻す。
「では、大友家は優れた武将の力と経済力で、圧倒的物量を誇る毛利家に対抗できる、ということですね」
「いや、今日はお招き頂き本当に良かった」
「良い案が見つかったのかな」
「今の話、堺に戻ったら、重宝されるでしょう。何せ、織田殿に西からの大名が行動あれば、それは勝利間違い無しでしょうから」
「先行投資と言うわけですね。ならば、私も是非乗らせて頂きたいのですが、島井様、よろしくお願いいたします」
「この場にいる者で否と言うものはおらんよ」
「如何にも、如何にも」
しかし、国家大友の領域は豊後、豊前、筑前、筑後、肥前、肥後であるし。
「私も織田右大将の作戦は成功すると考えています。堺は南蛮船の終点、富の力は桁違いだ」
「だからあんたは博多を捨てたのかね?」
「捨てるどころか。吉利支丹の為の新たな町が出来れば、南蛮船も多くやってくる。そうすればあなたも忙しくなるでしょう。南蛮人だって、唐物を多く扱っている」
「まあまあ。皆様、そろそろあの御仁が到着する時刻です」
「そうだったな。あれは人の心を見抜く。せめて短い間だけでも、素直にしていようか」
「如何にも、如何にも」
ようやく話に追いついた備中、己が主人が、あれ、扱いでも、憤慨などしない。むしろ、云々と肯くのみ。
身構えた頭上の衆、しばしの沈黙が続く。
「まだ……のようですね」
「遅れているのかもしれん」
「私、見てきます」
「構わん」
「しかし……」
「不在ならそれはそれで、何か言いそうだ」
「如何にも、如何にも」
「では話の続きをしましょうよ」
「何の続きですか」
「織田右大将の。噂を聞きまして。なんでも、近江に壮大な城を建てるという。茜谷様ならご存知なのではと」
「天下が鎮まった記念に築城計画があるのは間違いありません。なんでも、七層に及ぶ天守が目玉の壮大な建築計画とのこと。堺はすでに、その特需で沸騰していますよ」
「完成は何年後かな」
「将軍御所だった二条城は三月の突貫工事でしたが、今度はご自身の居城です。三年はかかるのではありますまいか」
「茜屋さんが羨ましいな。目まぐるしい畿内に、私も行きたいものだ」
「如何にも、如何にも」
それに合わせて備中も、如何にも、如何にもと無言で頷く。
「宗麟殿も、臼杵に色々と建築されておりますが」
「あんた、規模が違うよ」
「如何にも、如何にも」
「ではいずれ、長崎にお越しください。新しく造られた湊なら、ご満足頂けるかと」
「何者かに焼かれる前に、ですな」
「何者かとは?」
「色々いるでしょうよ」
「まあまあ」
山っ気のある声と活舌の良い声がいがみ合うと丁重な声が仲介に入る。下で聞いている分には実に愉快な場面である。
「織田右大将の話の続きですよ。我々博多の衆も、誼を積極的に誼を通じておく必要があるのではないでしょうか」
「それはそうだが、どのようにかね」
「私如きでは良い案もないのですが」
「近江の新城に出資するというのは如何ですか。右大将には我らの銭など不要でしょうが、なに、貰って喜ばぬ人はいないはず」
「それよりも、宗麟殿を通して出資すれば、一挙両得ですぞ。それに右大将は吉利支丹びいきですから、折衝を私が引き受けても良い」
「あんた、神屋様も差し置いてですか」
「ほらほら、諍いはそこまでで。織田殿が莫大な財を持つとは言え、銭はいくらでも御入用のはず。また、吉利支丹に肩入れをしていたり、大徳寺絡みで宗麟殿と親しいのも確か。ここは堺の今井様にお取次ぎをお願いするのが一番ですよ」
「今井宗久殿か」
「石見の銀山の商売敵ですな」
「うるさいぞ」
「如何にも、如何にも」
「線引きを確定させれば、むしろ協力できるでしょう」
「織田右大将が毛利殿と争うとなれば、それは叶わん」
「これは投金としても捉えることをお勧めします。織田殿が毛利殿を打ち破れば、対等な関係ではなくなりますから」
西国を股に掛けた壮大な話に、備中ついていけずに欠伸が出てしまう。
「し!今、何か」
頭上の声がピタと止まってしまった。これはさすがにバレたか。まずい、逃げなければ。そろそろと這う動作を取る備中だが、
「そこか!」
山っ気のある声が轟いた瞬間、備中の目の前に竹槍が飛び出てきた。思わず両目が寄ってしまった備中。見れば、竹先は焼き固められてあった。頭の上では大騒動になっていた。
「手ごたえは!」
「び、微妙!」
「畳返しを!」
竹槍は畳の継ぎ目を突き破っていた。そこに誰かの指がかかった。もう終わりだ、と絶望感に内臓がずり落ちそうになる備中。その時、
「何をしている」
あの御仁の声がした。間違いない性格の悪さが声にありありと現れていた。穴の指も止まり、頭上の騒動も見事に停止した。誰もが呆気に取られて無言の中、主人鑑連の意地の悪い声が響き渡る。
「茶室に竹槍とは。クックックッ。狙いはワシかね」
「め、滅相もない!」
ズボと竹槍が抜かれた。穴から茶室の明かりが差し込んで来た。まずい、とバレないよう動きを止める。上に鑑連が居るのだ。覗き込む勇者は居ないだろう。お付きの内田の声も聞こえてきた。怒鳴り声だ。
「竹槍を元の場所に戻さんか!」
「は、はい。直ちに」
「ほう。天井の梁が竹槍になっているのか。面白いな」
なるほど。茶室に刀を置くのも無粋。しかし危機には備えなければならないということか、と備中も主人と同じく感心する。
「諸君。あまりと言えばあまりな年始のご挨拶。痛み入る」
「戸次様」
一番大声の、というより荘厳なる声の持ち主が侘びを入れ始める。
「不審な気配がしたもので」
「だからワシだろ?」
「お許しください。下郎の侵入を許したのかもしれません」
「毛利の間者かもな」
「え」
「ちゃんと言い訳を考えておいた方が良い。茜屋」
「へえ」
「ワシが戸次伯耆守鑑連だ。遠路はるばる良く来た。今日は堺の話を聞きに来たようなものだ。よしなに」
「承知いたしました」
上手い。さすが主人鑑連、初見の人物を見定めて、第一印象で味方に引きずり込んだようだ。
「どれ。この下を覗いてみるか」
鑑連の傲岸な足音が近づいてきた。備中がえっ、と思う前に畳が開かれた。実に上手い角度だが、鑑連の顔のみが現れた。目と目が合った瞬間、備中の体は出口へ向かって勝手に動いていた。そして鑑連の大声が響く。
「方々、誰もいないようだがな」
「そ、そんなはずは。た、確かに気配が」
「やはり、ワシを刺そうと?白水貴様、いい度胸だな!」
「ど、どうぞお許しを」
「芦屋津の一件、まだ根に持っているということか!」
「いいえ!何一つ!はい!」
「言い訳してみろ!」
「はいぃひいぃ」
「それとも神屋。貴様の差し金かな?」
「お疑いが過ぎますぞ」
「良く聞こえなかったな。もう一度言え。ワシの目を見てな」
「あ……」
「どうした!嘘偽りではないのなら、言ってみろ!言え!言えないのか!」
「わ、我らに邪心は何一つ……」
「神屋貴様ワシを睨むか!無礼なヤツめ!」
「あ、いや、その」
鑑連が掌で鉄扇をバシバシ叩く打音や、振り回したりして、空震がビリビリ伝わってくる。そして雷のような怒鳴り声だ。博多の大物もたじたじする他ない今ならば、動いても問題はあるまい。
「ワシより吉弘や立花が良かった、と顔に書いてあるぞ!」
「ご、ご、ご無礼の段、平にご容赦いただきますよう」
大正解、と主人の勘の鋭さに舌を巻きながら、博多の衆に対する強迫が威力を発揮しているこの好機に、備中は脱出に成功したのであった。




