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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
天正年間(1573〜)
304/505

第303衝 接待の鑑連

 その日、備中は軒下で息を潜めていた。良い歳をしてこんな危険な任務は悲しさをそそるが、無論、主人鑑連の命令によるもの。拒否などできないのだ。頭上では、内談が始まろうとしていた。年始の挨拶の後、丁重な声が響く。


「皆様、今日は茜屋さんがお越しです」


 誰かが間に入ってきた。きっと茜屋という人物なのだろう、と備中自らの頭脳に留めていく。そう、この日の任務は草の者のそれであった。


「茜屋さん。遠路よくお越しくださいました。今日はその腕前にお縋りします」

「なんの。島井様の依頼を断る事などできませんからね」

「如何にも、如何にも」

「今日も我ら下の田舎者に、都の事など教えて下さい」

「それよりも末次さん、新しい湊は如何ですか。南蛮渡来の品々がひしめいて、末次さん笑いが止まらんでいると、堺では皆が噂しています」


 上がった歓声に乗って、照れ照れとした滑舌の良い声が謙遜する。


「あの訳のワカらない南蛮人だが、品は良いのです。金銀を産み出すものばかり」

「しかし、長く続きますか。たまにしか現れない南蛮船を待って商いをするなど、困難も大きいのでしょう」

「白水さん。あんたが固い商売の唐物扱いを掴んで離さない為、こうするより他に無いのです」


 備中の頭上で笑いが溢れた。どうやら、五、六人が集まって来ているようだが、残念ながら、この上は畳となっており、継ぎ目も無く目視は出来ない。


「それに大村の殿様は南蛮人を保護していますから、今は危険も少なく、安全に事業ができるのです」

「つくづく先行投資は大切だと思いますよ。私など、あの芦屋津の損害、ようやく挽回したばかり」

「ああ、あの御仁による」

「そう、あの御仁、による損失です。全く、迷惑なことです」

「ならば白水さん。今日、苦情をたっぷり述べれば良い。これからここに来るのだから」


 そのでかい声を聞いて、鋭い備中は勘が走った。彼ら話題の人物は、自らが主人戸次鑑連その人に違いない。白水さんと呼ばれる声が、山っ気のある声を顰めて曰く、


「はは……いやいや。命失ってまでとは思いません」

「この博多も、その御仁が山上から睨んでいると聞きます」

「ええ?堺で、ですか」

「もちろん。みな、博多がまた燃えやしないか、心配しているのです。と言っても、大友宗麟殿は大徳寺の上客ですから、その筋からの話ですが」

「あの御仁はとんでもない人格の持ち主だが、ここしばらく筑前は平和だな」


 大きな声の持ち主は、どうやら鑑連を一部評価しているようだ。茜屋さんという人が返して曰く、


「なるほど。聞くのと見るとではやはり違う……そう、大友家と言えばあのお話はどうなったので?」

「と申しますと?」

「楢柴の件」


 この話、当然備中には心当たりがある為、耳が冴え渡っていく。でかい声曰く、


「ご安心を。まだ立花山にも、臼杵にも取られていません。別の茶器を生贄に差し出したのです。そうだったな」

「如何にも、如何にも」

「さすが島井様。田舎大名の走狗如きに、天下の名品を渡してはなりません」

「あなたに比べれば、我らも田舎者ですがね」

「これはしたり。この場に居る者、誰一人そうは思っていないでしょうに」


 頭上で一際大きな笑いが溢れた。しかし、これは義鎮公家臣の鑑連のことを言っているのだ。噂の的になる主人の悪徳をどう評価すれば良いのか、戸惑う備中である。


「茶器と言えば、臼杵越中守が一品をお持ちでしたね」

「越中守が死んだ後、大友宗麟が召し上げました。そうだな」

「如何にも、如何にも」

「酷い事をなさいますな」

「天の咎め、あるかもしれません」

「末次さん、それは吉利支丹の教えですか」


 座が騒ついた。大きい声が嫌らしく響く。


「あんたがご宗旨を替えられたと?それは知らなかった」

「ご宗旨の話は、またいずれ」

「これは……どうも事実のようですな。しかし、南蛮人と取引をするためにご宗旨の話は避けて通れないことは皆ご存じの通り」

「如何にも、如何にも」

「今日は遠路はるばる茜屋さんも来ているのだ。立花山の鬼が来るまでの間、話を聞きたいものだが」

「ま、いいでしょう。宗旨替えは方便です」

「あんたのことだ。そうでしょうなあ」

「まあまあ白水さん」

「方便でも、十字を切り、神妙な顔つきで祈れば、伴天連は満足するのです。そして伴天連が満足すれば、南蛮人がやってくるのです」

「言葉は通じるのですか」

「日本の言葉も、何番の言葉も、上手い下手があるものです」

「じゃああんた、何か言ってくださいよ」


 と、滑舌良い異国の言葉が聞こえてきた。無論、備中にはワカらない。


「で、なんといったのかね」

「クソに塗れた娼婦の倅め、イヌのように海に沈めてやろうか?」


 余りの不浄さに、座がどよめく。備中もその不道徳な発言に眉をひそめる。


「伴天連とやらは一体何をあんたに教えているのか」

「如何にも、如何にも」

「これはカピタンから教わったんですよ」

「ああ、そう」

「あと、こういうのも」


 また滑舌良く、何か発音された。今度は座が爆笑に包まれた。


「今のはなんと?」

「金玉!」

「それもカピタンですか」

「はい。こうすれば、鉄砲に当たらなくなるそうです」

「ならば、あの御仁が到着したら、皆でやりましょう」

「それは良い」

「如何にも、如何にも」

「意味もさることながら、仕草がまた……」


 座がさらにさんざめく中、茜屋と呼ばれている男が話題を変えた。


「商売の話ですが、安芸の毛利家は近く戦をするかもしれません。とびきりに大きな」

「大きなとなると、西と東の相手ですが」

「東。織田信長殿です」

「当然、根拠を述べてくれるのだろうね」

「無論です。紀伊を出た将軍家が、播磨を西に抜けたという噂があります」

「しかし、噂は無数にありますぞ」

「その通り。他にも、将軍家は海路讃岐に入ったなどと言う話もありますからな。それでも、仔細は省きますが、この情報信頼して良いと思う」

「ですが、将軍家は安芸を目指しているとは限らないのでは?豊後を目指しているのかも……」


 豊後と聞いて少しドキドキする備中だが、茜屋は否定する。


「間違いなく、安芸です」

「昨年より、前関白様が薩摩にいる。これはやはり、織田弾正、いや右近衛大将と言った方が良いか、その指示によるものなのか」

「はい。目的は、将軍家の指示を聴き流すよう、念押しをすることだったようで」

「如何にも」

「将軍家の指示、つまり織田殿に対して立ち上がれ、ということか」


 これは戸次家中で言われていることと同じである。身分卑しい商人たちだが、中々鋭いな、と感心する備中。しばしの無言の中、ぼそぼそ声が口を開いた。


「如何にも、如何にも」

「右近衛大将任官はあらかじめ予定されていたとのことです。官位の上では、織田殿は将軍家を凌駕した。この土産話を持って薩摩に入られたのでしょう」

「薩摩人は前関白の来訪にそれは感動すること大きいものがあったそうです」

「その来訪も、豊後が最後になるようだ」

「宗麟様と織田殿の仲は、都でも有名で、良好です。時間をかける必要もなかったのでしょう」

「つまり、大友家は将軍家の敵ですな」


 なるほど、世間一般にはそう見えるのか、とまたまた感心する備中。丁重な声頭上で曰く、


「ではこれから来るあの御仁は……」

「さよう」

「白水さんの言う通りな」

「こんな時にだけ私の名を出さないで下さい。間者でも潜んでいたら、大ごとですよ」


 ドキリ、と動揺し、ぷぴと屁が小さく漏れた備中。また座が笑ったため、何とか露見せずに済んだ。品のある声、これは茜屋という人物だが、曰く、


「しかし何故、戸次殿をお招きに?」

「さすがに没交渉ではまずかろうと思ってな」

「没交渉なのですか」

「まあ、こちらからは、ね」

「あんまりですからね、あの御仁」

「如何にも、如何にも」

「口が開いて、脅迫と侮辱以外の言葉を聞いたことがない」

「だから、宗麟殿にも嫌われるのですよ」

「如何にも、如何にも!」


 座が大爆笑する。ああ、そんなこと言ってると悪鬼が来るぞ、と彼らが気の毒になる備中。


「ですが、筑前の最重要拠点を任されている人物です。良い所もあるのでは?」

「あったとしても、立花殿を殺したのだ」

「如何にも」

「良い方でした」

「礼節を重んじ、思いやりがあり、どこか洒落た方でした」


 懐かしの名前に心を寄せたのか、座はしんみりとなる。備中も、立花殿と交わした最後の言葉に思いを致すと、涙が出て、洟も出てくる。今は、鼻をすすれない備中、流れるままにする。


「しかし、島井様。別の茶器を差し出した後、催促はないのでしょう?ならば、全てを承知の上のことなのではありませんか」

「如何……ううん」

「そも、宗麟殿は何故立花山城にあの御仁を配置しているのでしょう」

「元は今は亡き吉弘伊予守が入る事になり、事実一時そうだったものを交換した、という噂がある」

「私は無理やり取り上げたのだ、と」

「いやいや、永禄の戦の後、吉弘殿は身罷られただろう」

「つまり?」

「末次さん、南蛮の言葉で毒とは何と言うの?」


 末次さんの滑舌の良い声が、何やら異国の響きを発した。いくら鑑連でもさすがにそれは無いですよ、備中でも抗議したくなる酷い会話である。茜屋さんが話を元に引き戻す。

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