第296衝 掩護の鑑連
「また来たのか。何用だ」
不満顔の田原民部。案内してきた家臣を鋭く睨んでいる。が、小野甥は取次に銀を握らせてでも、もう一度の面会を望んだのだ。もはや小野甥へ任せきりの森下備中、その背に隠れるように座る。その様子を見てとった田原民部、視線を小野甥へ定めた。
「何度言われても、戸次殿には申し訳ないが出る幕は無いぞ」
「いいえ、戸次鑑連殿に関する話ではありません」
小野甥の口調が違う。おや、と思った備中、田原民部も怪訝な様だ。
「どういうことか」
「田原民部様へのお話になります」
「要領を得ん」
「田原常陸介様は」
田原民部がピクりと反応した。近年、その名も懐かしい田原常陸は、未だ田原民部の競争相手である。小野甥が何を為すか、固唾を飲んで見守る備中。
「田原常陸介様は、秋月種実と未だ懇意にされているそうです」
「……」
「……」
少しの無言の行の後、田原民部、視線を外して曰く、
「両者の関係は婿と舅だ。不自然はあるまい。それがどうし……」
「田原常陸介様は、養子にとった右馬頭殿と、それこそ馬の合う間柄だとのこと」
「……」
「もう一人の婿でもあるわけですから。そして右馬頭殿のご実家ともご昵懇。無論、田原民部様ご存知の事でしょう」
「それが一体……」
「そう言えば、秋月家と右馬頭殿のご実家は血縁にあり、小倉の高橋鑑種は秋月の舎弟を養子にしていました」
「……」
頭がこんがらがってきた備中だが、二人はしっかりと意志の疎通ができているようだ。
「この強固な絆が虎の尾のようであるため、今、豊前の平和を担う田北大和守様は、拠点を宇佐郡から先に進めることができないのです」
「何が言いたい。急にどうしたというのだ。それが戸次殿に何か関係が?」
「田原民部様、私は国家大友の話の為に戻って参りました」
「そうか」
「豊前は国家大友にとって要の地です」
小野甥は言外に、田原民部にとっても、と言っているようだった。
「私が今述べたいずれかの者達の背後には安芸勢が存在します」
これは有形無形の事情からも真実だろう。
「百年前の話ですが、時の大内政弘公は、筑前豊前の土地を広く再確認し、結果見つかった闕所地を土豪らに広く宛行い、人心掌握しました。比するに今の国家大友はその逆を行っています」
豊後武士に与えすぎだと言うことだろうか。だが、それは主人鑑連も含まれることになる。小野甥の爽やかな表情の裏にある複雑な感情に触れた思いの備中。一方、田原民部は不快な表情を隠さない。
「小野、そなたよもや、宗麟様のご政道に言及しているのか」
田原民部の声が低くなった。十数年前に初めて目撃したこの方も貫禄が出てきたが、小野甥はそれに臆することはない。
「はい。言及しております」
「許されざる行為だ」
「言及は田原民部様に対してです。ご政道の推進者は田原民部様であると見做されているためです」
「私だと?」
「はい。ご老中の筆頭ですし、豊前の実力者田原常陸介様から軍団をご継承されている。至極当然でしょう」
「軍団はともかく、地位については先の吉岡様より引き継いだのだ。永禄の戦乱期の評定は、彼の方の采配によるものだぞ。どうして私が」
「他に人はいません」
「……」
小野甥の口調はさわやかなれど、込められた危機感は強い。言っていることは確かにその通り。義鎮公のご親政が始まると同時に、主人鑑連は筑前へ、田原常陸は田原民部の台頭に従い半隠居、吉岡も臼杵弟もこの世を去ったが、代わった者共はその子供たちの世代だ。
田原民部を筆頭とする老中衆も力強いとは言えない。佐伯紀伊守は軍事以外には口を出さない性格だし、鑑連がイヌと蔑む朽網は義鎮公の承知する事以外は関与しない。義鎮公との侮れない血縁を誇る鎮信は、反面政治的主張を押し出さない上に鑑連派だ。吉岡倅は偉大な父を持った半面、存在感が薄い。
となると、実力老中として志賀安房守が考えうる。家柄も良く、軍事内政共に実績があるのだが、父親に似てかさほど政治的指向が強くない。
老中衆の顔触れも変わった。備中でなくとも、吉岡、鑑連、臼杵弟、田原民部らが個性を競って鎬を削り合った永禄年間の激動を懐古するだろう。
「そして今日、私はご政道の推進者たる田原民部様に進言に参りました」
「なんだね」
「討伐です」
びっくり仰天の備中。そんな備中の様子を、田原民部は一瞥した後、苦笑した。
「豊前の反大友勢を討伐するのか」
「はい」
「安芸勢が黙ってはいないぞ」
「安芸勢の動きを、織田弾正が黙ってはいないでしょう。仔細はまだですが、織田勢が武田勢を完膚なきまでに撃破した、との知らせが来ています」
備中もその知らせは鑑連へ報告していた。が、遠い東での出来事にて、話題にも乗らなかったが、それを小野甥は田原民部に対して行っている。やはり非凡だ、と思わせてくれる。ところで、先ほどから話をしているのは小野甥なのに、田原民部は備中の表情も都度確認している。やはり小野甥の言う通り、この場における自分は鑑連の名代的存在なのだろうか。ちょっと嬉し気な顔になる備中だが、田原民部は視線を外す。そして、小野甥への反論を開始する。
「当家は織田弾正とは良好な間柄だ。そして安芸勢も、誼を通じていると数多くの報告が入っている。確かに織田弾正が東の安全を得た事は事実のようだが、それがすぐに安芸勢との関係悪化には繋がらないだろう」
小野甥の事だから、その判断材料を持っているのだろう。
「武田勢も一戦に敗れただけだし、東には越後上杉勢がいるというではないか」
「将軍家の動向をご覧ください」
なんと将軍家を持ち出すか、と小野甥の心臓の強さに備中心中頷いていると、田原民部からの視線を感じた。しまった、僅かながら心の形が動きに出たかもしれない。小野甥は続ける。
「武田勢が敗れた以上、東国を廻る複雑な同盟関係が一新されるのは間違いありません。将軍家は、ここに割って入り、織田弾正に対する同盟の再形成を必ず行います」
「確信をもって言うのだな」
「そうしなければ、将軍家は終わります」
「……」
「続けます。しかし、将軍家の調略は失敗する算段が高く、公方様は失望されることでしょう。そして次はどこを向くか。西です。きっと、安芸勢を頼るはずなのです」
「ちょっと待て。何故、将軍家の調略が失敗するとまで、言い切れるのか」
「誰もが織田弾正のような一人が率いる国家を形成できているわけでは、ありません」
「国家大友はどうだね」
田原民部の関心はここにあるようだ。小野甥は述べて曰く、
「織田弾正の国家に近いと感じます」
「近い、か。では近いだけで違うのだな」
「はい」
「宗麟様が見事に指導しているように思えるが」
「田原民部様や戸次鑑連殿が居なければ、そうでしょう」
「……」
中々際どい発言である。しかし、小野甥の弁論は田原民部を引き込むことには成功している。備中は傍観者として、熱を帯び始めたこの会談を五感に焼き付けようと集中を深めていく。




