第292衝 邪道の鑑連
「立花家督継承の件、義鎮がまだ認めないらしい」
頻繁にやり取り実施中である鎮信からの書状を手で弄びながら呟く鑑連。その苛つきが伝わってくる。安全のために森下備中、心の気配を消しながら対応する。
「贈り物は効果無かったので……」
「いや、あれはなかなか喜んでいたそうだ。特に薩摩勢の落とし物には飛びついて、やりまくっているとのこと。ま、茶器は希望した物が来たわけではなかったそうだが。クックックッ、しつこい野郎だ」
「九州探題から求められても件の茶器を吐き出さない博多商人の姿勢、問題かもしれません」
「まあな。ワシは全く興味の無い世界の事だからワカらんが、よほどの値打ち物なんだろう。それならば、武勇抜群とは言えない義鎮に差し出す気にもならんのもワカるがね」
そう言い、鑑連は書状を備中に渡した。見ても良い、とのことなのだろう。
「鎮信の調整力も大したことない」
とは言いつつも、鑑連の顔はいつもと変わりない。そこに自分のために骨折りを厭わない年下の人物への好意が見え隠れしている。鎮信の書状は率直な文体で表され、実は学のある鑑連好みの構成となっていた。
「で、では、殿は次の手を打つおつもりですね」
「そうだ。もう決まっている」
「そ、それは……」
世間を驚かす軍事行動が出てくるのではとゴクリと息を呑む備中。島津の公子襲撃計画だって、かなり大胆な陰謀であったのだ。
「ワシは隠居する」
「い、隠居」
思わぬ地味な意見に拍子抜けの備中。それに隠居は二度目。鑑連が一度目の隠居をした時、これまでの軍事行動を誰が予想しただろうか。よって、
「と、殿には前回の隠居の後に得た輝かしい武勲があります。もはや誰も信じない隠居になるのでは……」
「クックックッ」
不敵に嗤い続ける鑑連である。なにやら家来が考えに及んでいない高みから、嘲弄するが如しである。
「というわけで諸君。今日召集したのは重大な事柄を伝えるためである。それは、ワシこと戸次鑑連は立花家の家長の地位を退き、その家督を後継者へ譲渡すると決めたことだ」
一斉に騒つく幹部連。内田、薦野、若い世代の安東、十時らは顔を見合って、次いで様子を窺い合い、先行した情報を自分だけが持っていないのか否か、それを探りあっている。独り、小野甥は静かに座ったまま。こういう時の小野甥は明鏡止水の言葉が実に良く似合う。
などと思っていると、ふと視線に気がつく備中。内田が見ている。何かしでかしたかな、と身の回りを確認するが……異常は何もない。もう一度内田の顔を見ると、今度は広間に集まった幹部連全員が自分を見ていた。
「ひえっ」
集中した視線に動揺、狼狽、しゃっくりする備中であった。そんな家来衆の動揺を愉しむが如く、鑑連は続ける。
「大友血筋の家としては、我が戸次は長い歴史を持つ。立花は戸次より若干浅いが、まあ同じ程度だ。そして、あの立花鑑載はここ百年程前に分枝した家柄の者。宗家に近い血を持つが、一門衆の長老としての格式は戸次が圧倒的に優っている」
鑑連のこじつけ説明によくワカらないが、頷いておく備中。他の幹部連も同じように振る舞う。鑑連、幹部連を睥睨したまま、自信たっぷりに曰く、
「よって、戸次に彩られた立花の家督はその係累縁者が継承せねばならんが……となると、適任者はただの一人しか存在しないということだ」
幹部連の心中に緊張が奔ったようだ。ここまで来れば、立花の家督を継ぐ者は本国豊後の戸次家一門衆でないことは明白である。
「ワシの一人娘、誾千代に、立花の家督を継がせる」
やはりそう来たか。色めき立つ幹部連だが、誾千代に隠された事情を知る備中としては、主人の声が内臓にじわりと滲みる。
「異存ある者は」
独断決断の雄がる鑑連が家臣団に問う必要も無いことを問う。これは従え、という威圧に他ならない。手を挙げた方が良いのではないか、と葛藤する備中。手が震え汗が流れ、口から胃の臭いが漏れ漂う。手を挙げたい。挙げなければ。挙げるべきだ、家来としては。だが、手は動かない。袴を摑んで離さないのだ。なぜ、なぜだ。手よ、なぜ。手を、手を、挙げろ、挙げるのだ。うおおおお……
ふと、小野甥の視線を感じた備中だったが、独り芝居を辞めることがどうしてもできなかった。
「ではここに、立花家の家督は誾千代が受継ぐものとする」
決まった。決まってしまった。備中は体から力が抜けていくのを感じる。全身汗にまみれている。いやなべとつきだった。鑑連の明るい声が、頭上を通り抜けていく。
「将来誾千代の婿になる者が誰か。愉しみだ、クックックッ……」
殿、本当にそれで良いのですか、と叫び出したい備中だが、再び幹部連を睥睨する鑑連を見て、一見ヤケクソのようだが深い考えもあるのかもしれない、と考え至るに及び、口を閉ざすことを決めた。
備中は幹部連を見渡す。安東と十時と言った若い世代の二人はもちろん、すでに孫がいる内田の顔つきをも変わっていた。実は野心的だと備中が確信している薦野も、ギラついた目を構えている。その中でただ独り、小野甥の表情だけは変わっていない。この変化の無さは、特異的であり、人としてこうありたい、と備中は感心するのであった。




