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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
天正年間(1573〜)
291/505

第290衝 周到の鑑連

「殿、参りました」

「内田。知っての通り、島津の公子が筑前に入った。身分を隠してな」

「はっ!」


 姿勢正しく笑みすら浮かべて返事をする内田に、鑑連は何も隠さずに伝える。


「豊前への道は安東が抑える。内田、貴様はこれより花尾城の麻生へ挨拶に行き、薩摩勢の通行を見張れ」

「承知!」

「安東とは異なり目立つ道を行く貴様に多くの兵は付けることはできないが、薩摩勢はそれなりの数がいる。見つけ、戦う時は麻生勢を使え。その時はワシの名を大いに使っていい。皆殺しにするのだ」

「殿の名声が高まりますな。義鎮公もまたお慶びに……」

「戯言は成功してからだ」

「はっ、では!」


 弾丸のように飛び出していく内田。それを見ていた薦野が前に出る。


「殿。私は宗像方面を固めて薩摩勢の通行を見張りたく存じます」

「増時、薩摩勢が博多路を進むと思っているのか」

「万が一程度には。また、この城を眺める間者はあるかもしれません」

「そうか?クックックッ、まあ、この城を眺める者尽く素性検めを行うこともできんからな」


 薦野の提言は却下された。次いで、小野甥が前に出る。


「殿。私を小倉城へ行かせて貰いたく存じます」

「ほう。高橋の所へ」

「薩摩勢は周防へ渡るために、高橋を当てにするはずです」

「だが、ヤツは薩摩勢の伊勢参りを知っているかね」

「知っていようといまいと、薩摩勢が来れば、黙って通過を許すしか、今の高橋にはできないでしょう。係わりがあれば、裏切りの証として処断される可能性もあるためです」

「つまり、ワシらが小倉に居れば、生かすも殺すもこちら次第、ということか」

「はい」

「も、もう一つの可能性もあると思います」


 これは備中の声だ。他者の会話への割り込みを極端に嫌うはずの自分の声を聞き、自身の知られざる大胆さに我ながら驚く備中を、鑑連は観察している。


「言ってみろ」

「高橋さ……い、いえ。高橋鑑種が進んで薩摩勢を保護するということです」


 小野甥が備中をじっと見ている。説明を待っているのだ。備中は、かつて鑑連が高橋殿と幾度か会見した時のことを思い出して、言葉を丁寧に紡ぐが如く所見を述べる。


「こ、根拠は、た、高橋鑑種は、ぎ、義侠心には不足していない方だった、ということで……」


 今は亡き義鎮公弟君を補佐し、甥の橋爪殿を補佐し、立花殿を謀反に立ち上がらせた人物でもある。が、鑑連も、小野甥も、薦野も無言だ。焦った備中、結論から述べる。


「つ、つまり小倉城に手を出せば、安芸勢が黙っていない、ということになりませんか。そうすれば、国家大友における殿の御名に傷がつきます。高まるどころではありません」

「なら備中、貴様が薩摩人だったとして、門司を目指すにはどの道を通るか」

「こ、国家大友を潜在的に憎む人々の下を。秋月領、城井谷、豊前松山城、といった。宗像大宮司殿も、麻生殿も、今や毎年この城へ登るようになられた方です。外から見れば信用に値しないのでは」

「秋月は?」

「家老を寄越している秋月はぎりぎりの際にいるのでしょう。そして、豊前の衆はその必要が無い。島津の公子が意識しているのはあくまで殿です」


 薦野が反論する。


「しかし備中殿、遠い薩摩の者たちが、筑前の事情を知っているだろうか」

「そ、それはワカりません。ただ、私の直感でして……」

「でだ備中君。貴様の考えはそれとして、高橋への対処はどうする」

「え」


 備中の提案は、薩摩勢が頼るだろう高橋鑑種に手を出せば安芸勢が黙ってはいない、だからこの件は見過ごすべし、というものであったが、鑑連へは伝わらなかったようだった。どうしよう、と困っていると、小野甥が手を叩いた。


「ああ、基本的なことを忘れていた。秋月の弟の一人が高橋の養子として、小倉に居ます。薩摩勢が秋月と接触すれば、筑前の情報は筒抜けになります」

「む」

「では、その前に斬りますか」


 薩摩勢が秋月勢と接触する前に斬るとなれば、筑後川右岸でやるしかないが、


「……」


 どうしたって目立ってしまう。吉弘次男も、自身の担当領域付近での凶行を歓迎するはずがない。


「やはり勝負を打てるのは、安東様のみ、ですな」

「殿。しかし安東様の後、次の手も用意するべきです。私が山伏に身を扮して彦山に待機します」


 先走る内田を抑えるように薦野曰く、


「それだと隊を組むことはできませんぞ。単独での暗殺になる。危険です」

「構わん。仮に安東様追撃を免れた場合は」


 そう自信をもって語る内田を、手で制したのは鑑連だ。


「それではお前は生きて帰ってこれまい。別の手を考えるとしよう」

「と、殿……」


 無茶を却下されて、それはそれで感激して目が潤んでいる内田。随分チョロいなあ、と備中呆れつつ曰く、


「今、豊前に力を持つのは田原民部様ですね……」

「……」

「……」


 一同沈黙をせざるを得ない。田原民部の協力を仰ぐことは、鑑連は決してしないだろう。これは備中にとっては残念なことだが、野蛮無作法な薩摩勢の出現は、鑑連の精神状態を測る良い機会である、とこの時すでに確信していた。戦場に恵まれない鑑連にとって、この追撃は好機でもあるはずであったから。



 結局、鑑連は小野甥も薦野も出撃させず、安東の武威に頼るしかなかった。そして数日後、


「申し上げます。安東様より、薩摩勢についてご報告です……成功せず、とのこと」

「間に合わなかったか」


 内田と薦野が悔し気であるのを余所に、小野甥は冷静に述べる。


「秋月の関所の動きが想定より速く、追いつけなかったようですね」

「で、では、秋月は島津の公子と繋がっていたことになります。それが予めの事か、急なることか」

「山猿の癖に、情報には通じているようだな」


 備中は、高橋殿に島津の公子の身柄と引き換えに国家大友への本格的な復帰を促すことを提案すれば良かった、と小さな後悔を胸に灯した。一手誤ったことは間違いなく、もはや高橋殿の下には秋月からの情報が飛んでいるのだろう。


「備中。事の次第を書に認め、鎮信を経由して義鎮に伝えろ」

「よ、よろしいのですか?」


 伊勢参りを闇討ちするつもりだったが失敗したなど、不名誉の誹りを免れないのではないか、と心配する備中だが、


「連中が筑後で騒動を起こしたことも忘れずに書いておけよ」


 なるほど。それならば、薩摩侍の非を鳴らすことができるだろう。鑑連はすでに島津の公子の事は諦め放念したようで、


「小野、立花の倅は来ているか」

「はい。五体満足で」

「では呼べ」

「はっ」


 その日、鑑連は立花家の家督を、立花鑑載の嫡男から正式に譲り受けた。すでに戸次家の家督を甥の鎮連へ譲っている以上、立花鑑連と名乗るべきなのかもしれないが、


「立花家など、もはや消滅した実体を伴わない見せかけだけの家名を名乗った所で、看板倒れになるだけだ。それに立花より戸次の家の方が、より大友の源流に近く、由緒正しいだろうが」

「し、しかし筑前の諸将は立花名字にこそより親近感を持っているのではありませんか」

「クックックッ、それを言うなら立花の名は古き大友の象徴でしかないと、ワシなら思うがね」


 というわけで、立花家の家督を相続した鑑連だが、相変わらず戸次伯耆守鑑連を名乗るのであった。

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