第286衝 違算の鑑連
夏。鑑連の下に届けられた書状を一人検分する備中。最近の日課となっており、鑑連の陰謀が展開されているため、それを知る備中だけが作業にあたる。しばらくすると、鑑連がやってきた。
「どうだ。そろそろ反応はあったか」
「臼杵にて義鎮公のご兄弟が不仲である、という報告が」
「あそこの不仲は昔からだろ。反応とは言えん」
「そ、それが親家公が吉利支丹に強い関心を示されているという……」
「それだ!それが反応だ」
それはどうかな?と疑問の備中だが、話を続ける。
「こ、これは如何でしょうか。田原民部様が養子とされた親虎公も、南蛮寺に足繁く通っているとか」
「義鎮が見繕ったガキか」
「は、はい。京の都から招聘したという……親家公も親虎公も、義鎮公の容認の下のことだそうです」
「クックックッ、妙なものだ」
「は、はい。私もそう思います。大徳寺は禅宗のお寺なのに……」
「大徳寺は義鎮にとって最大の都の社交場だが、ヤツめ、禅寺を南蛮寺に変えたいのか?クックックッ!で、田原民部の様子は?書いてあるだろう」
「……すこぶる不機嫌であるそうです」
「クックックッ!」
鑑連が田原民部に対して打った手とは、大した事ではなく、一つの書状を送ったのみである。その内容は、博多の南蛮寺で伴天連と話あったこと、そしてその談話を通してその説がも持つ合理に感銘を受けた、というものだ。まるっきりの嘘っぱちだが、
「やはり奈多のガキは潜在的な競争者だな。ワシはあんなガキ相手にせんが、向こうはそうではないようだ」
鑑連のこの直感は、あるいは事実かもしれない。妹が義鎮公の正室であり、時代を担う後継はその妹が産んだ子、甥と伯父の関係なのだ。それでいて老中筆頭の地位を占めている田原民部が武勲絶倫の鑑連をどう見なすか。
「警戒する相手として以外、見なせないのかもしれない」
「うん?なんだって?」
ついつい独り言ちてしまった備中。諂い笑いでごまかすが鑑連は許さず、
「吐け」
「は、はい」
存念を吐いてしまう備中。鑑連は嗤い、自信満々に言い放つ。
「ま、ワシは気がついていたがね。貴様がワシと田原民部の友好を築こうとしているとな」
「そ、それは」
「吉弘の時に上手く行ったから、今回もそうだろうと思っていると。まさしく下郎の考え」
満足気に胸を張り、鼻から野獣の如き息を吹かした鑑連、
「貴様のその考えは今日、終わりにしろ。絶対に相容れぬものも世の中にはある」
「……」
「返事は」
「は、ははっ」
残念無念の備中だが、では今の閉塞を打破する手段が何か、気になってくる。それさえあれば、自分があれこれ余計な心配をする必要もないのだから。備中のそんな表情を感じ取った鑑連曰く、
「相容れぬ者は遠ざけさせる。この際、吉利支丹宗門がその役目を果たすだろうよ。クックックッ!」
自分から手を下さず成り行きが望む道を設えるというのは鑑連にしては珍しいやり方である。だが、その正しさを証明するかのように、臼杵からの知らせが次々に入ってくる。
「申し上げます。臼杵からの情報によると、南蛮寺で説法を聞く者、後を絶たないとか」
「一条のガキの他にもまだ意志惰弱がいたか。で、面子は?」
「ええと、ま、まずは吉岡鑑興様」
「妖怪の倅が南蛮の邪宗に染まるとはな!」
「ご、ご宗旨替えの有無は不明です」
「まあいい、で、次は」
「く、朽網様」
「老いぼれイヌめ。次」
「橋爪様も」
「さもありなんだな。次」
「……」
「おい、次だよ」
「ええと、その」
「どうした」
「よ、義統様も、熱心に説法を求めるお一人とのことでして……」
「クックックッ、別に驚くに値はしないだろう」
「えっ?」
「国主たる父親に言われれば、そりゃ行くさ」
「し、しかし次代を担うお世継ぎもとは……あ」
「どうした」
「鎮連様のお名前も」
「あの馬鹿者。何していやがる」
「きっと、殿が博多の南蛮寺を訪ねたという話を聞いてのことでしょう」
「なぜ鎮連が知っている。奈多のガキが言い触らしたのか?」
「いえ、きっと伴天連殿でしょう。殿の来訪を利用したのだと」
「む」
「……」
「チッ、ただでは転ばないということか」
「殿、続報が」
「うん」
「朽網様のご子息が吉利支丹宗門に宗旨変えをされたとのことです」
「それは親父が許したんだろ、自分と同じイヌになれ、とな。で、老い先短い朽網自身については?」
「ええと……いえ、格別な事は」
「イヌはイヌでも年を食っている分、自分は踏みとどまったか」
「しかし、ご老中衆のお一人がご嫡子の宗旨変え。影響は大きいかもしれません」
「クックックッ、いいぞ。もっと燃え上がれ」
「……」
「と、殿!またもや続報です!」
「備中、大袈裟に驚いているだけなら、貴様はワシに対して不実を働いていることになるがな」
「う、臼杵様が伴天連殿へ教えを乞うた、との報が!」
「なんだと!」
「臼杵様の館へわざわざ義鎮公が伴天連殿を伴ってがおいでになったとか」
「あのプッツン野郎が……信じられんが、それで……ヤツは改宗したのか?」
「そこまでの情報はございませんが……」
「それが重要なのだがな」
「ほ、他には、臼杵様は体調が優れぬ日々が続いているとのことです」
「ふーむ。つまりだ。病気で弱っているところを義鎮に押しかけられた、というのが正解かな」
「お、教えを乞うたというのは誤報ですか」
「あるいは虚報だ。それが何のためかだが」
「田原民部様へ揺さぶりをかけるためとか、でしょうか」
「あり得そうだ。しかし、吉岡、臼杵と落ち目とはいえ永禄期の重鎮家がこぞって吉利支丹に行為を寄せるのだ。奈多のガキが陥落する日も近そうだ」
「はっ」
「次の報告は、奈多のガキが説教を聞いて改宗した、というものかもな。」
だが、その知らせはいつになっても届かない。
平和と停滞の中で日々が過ぎ、天正二年も暮れになった頃。
「あ、殿」
「貴様、今の気安さはなんだ」
「し、失礼いたしました。また続報がありまして」
「ついに来たか。阿諛の使徒ども、尽く改宗したか」
「いえ。田原民部様、石宗殿を連れ立って、義鎮公へ諫言申し上げたそうです」
「諫言」
「はい」
「諫言だと?」
「はっ」
「奈多のクソガキがか?」
「はっ!吉利支丹宗門を好まぬ者どもにとり、田原民部様は期待の一番星となっているとのこと……」
書状を読み上げる備中へ、鑑連が何かを語ることは無かった。鑑連の計算が外れた事は明らかだが、自身の人を見る目は確か也、と森下備中、心中のしたり顔を隠すため、明るい表情を主人へ示し続けるのであった。




