第283衝 寛容の鑑連
はや天正元年が過ぎる。鑑連が筑前・立花山城に入り、三回目の年明けだ。
松の内に筑前の諸将が立花山城を訪れ、鑑連へ挨拶をする姿も恒例となっている。
みな上下姿の正装であり、本来豊後臼杵へ参上して示すべき忠節を、義鎮公を模した鑑連に対して行うのだ。上座から土豪らを睥睨する鑑連は、まさしく筑前の国主のよう。威厳たっぷりの鑑連を飾るが如く、荒平山城主の小田部、鷲ヶ岳城主の大津留、そして岩屋城主の吉弘次男が座している。
鑑連の近習として、この景色を見た森下備中、簡潔美ある一場面に強く胸を震わせるのだ。この日を年初の秘かな楽しみにしてもいる。
ところで、ここに柑子岳城の臼杵家はいない。二年前の小競り合いで命を落とした後の落し前が済んでいないためだが、この事件について筑前国内で知らぬ者はない。事がどのような顛末を迎えるのか、人々は息を呑み見守り、そうして息を呑んだまま、すでに二年が経っていた。よって、この日も原田勢の登城は無いことが予想された。
そんな事を考えていると、裏方を担う内田が近寄り小突いてくる。
「準備はできたか」
「う、うん」
「ぼけっとするなよ」
客が来た。
まず宗像大宮司の登城だ。若き大宮司は鑑連へ深々と礼をする。
「謹んで新春のご祝詞を申し上げます」
さすがに鑑連の前であり、緊張気味の大宮司だが、儀式に文句のつけよは無い。鑑連からの言葉を受けた後、年賀の品を差し出し、畏まり退室する。この後、大宮司には、御家のため悪鬼に嫁いだ妹に会う時間が与えられることになっていた。全ては安心の予定調和である。兄は妹のその境遇を労い、妹は袖で涙を隠すのだろうか。ほろりとする備中。
感動の対面の如何はともかく、それもすぐに終わった。そして早々と立ち去った大宮司。いの一番に来たりて帰る。弘治永禄に刻み合った闘争の記憶は、そう簡単には消えるものではないのかもしれな。そんな若者の退出を不敵に眺める鑑連の後ろで、宗像方面での勇者薦野が目をギラギラ光らせていた。
次いで、宗像の東、遠賀郡の麻生勢当主が来る。この人物は安芸勢との戦いで終始大友方であった麻生鎮某を最終的に斃し武威を誇ったが、今や腰低く年始の礼を述べるしかない。
「新年を寿ぎ謹んでお慶び申し上げます。旧年中は並々ならぬご高配にあずかり誠にありがとうございました。皆さまにとりまして幸多き年でありますようご祈念いたします」
諂い笑いを浮かべ徹頭徹尾の平身低頭、のように備中には見える。宗像大宮司より湿っぽいからだろうが、十数年と国家大友の敵であった事実は事実。この笑みの背後にある国家大友への憎しみが消え去る日は来るのだろうか。
宗像、麻生と来たが、とびきりの大物が残っている。鑑連を敗ることで、類稀な武勇を示した秋月勢だ。
夜須見山での悲劇からすでに七年。秋月を許せる戸次武士は居ないが、と言って復讐心に駆られて無礼討ちを仕掛ける愚か者もなし。秋月の使者が到来すると、皆が目力一杯になり応対も自然と強張ったものになる。いつ事故が起きても不思議ではない空気だ。よって、さすがにと言うべきか、来訪者は当主自らではなく、今年も一番家老が勤めている。
「新春を迎えご尊家皆々様のご清栄とご多幸を心よりお祈り申し上げます」
顔を上げ身を正した後、
「千秋万歳!」
儀礼に適っていないが、この特例は互いに承知していることだ。そんな相手を咎めるでもなく、鑑連は城を去るその時まで礼儀を尽くした。備中は、主人が公式な場面に示す自制心に心の中で拍手を送るのである。ふと、鑑連の後頭部を見ると、血管が脈動していた。不快感を我慢はしているようである。
中小城主の来訪が続く中、肥前衆で唯一、筑紫勢当主がやってきた。これもまた若く、来訪者の中で最も若い。筑紫勢は永禄の頃に斎藤隊との戦いで父当主を失った後、その仇を通して国家大友に服従している。正室も斎藤殿の娘を娶らされ……そういえば、この最若者は妻を通して吉弘次男の義兄弟にあたる。
「鎮理、ワシの前に平伏すよう、勧めたのかね?」
「いいえ」
「ふん」
鼻息を鳴らした鑑連だが、これは侮辱ではなかろうか、と備中ハラハラする。平伏する筑紫の若者を前にしてのこの態度、この小僧は判断すら十分でない青二才、と見下したも同然ではないだろうか。筑紫殿が固いながらに挨拶を始める。
「皆様におかれましては、お健やかに良き新年をお迎えのこととお慶び申し上げます」
若く澄んだ声である。さらに続けて曰く、
「昨年中は多大なるご支援・ご厚情を賜り、誠にありがとうございます」
「まて」
「はっ」
「ワシがそなたに対し、特別に何かを施したことはない」
「……」
「臼杵殿との人違いではないかな。ご家来衆へよくよく話を確認することだ」
年始の挨拶にケチを付ける鑑連に対し、無言で平伏する若き筑紫殿。その痛々しさに溜息を溢しそうになる森下備中。
「時に昨今の佐嘉勢の動きをどう見るかね?」
「はっ、龍造寺隆信の動き水面下では活発であり、肥前の諸城は靡いて」
「佐嘉勢が和睦を破るとすれば、必ずその方の所領を通過する」
相手の話を遮るいつもの鑑連節である。若き筑紫殿はそのままの姿勢で言葉を飲み込んだ。
「基肄養父は国境の要だ。肥前のな。認められたくばまず功績を立てろ」
「はっ」
若武者は無感情に下がっていった。幾らか緊張をしていた宗像大宮司とも、卑屈な麻生勢当主とも異なるその様子に不穏な気を感じた備中、主人の狙いを理解することができないでいた。
「小野」
「はい」
「勝尾城の監視を強めておけ」
「はい、承知いたしました」
「筑紫のガキが佐嘉勢と同調する気配を見せれば直ちに兵を送り、これを滅ぼすぞ」
「筑紫殿は斎藤殿の婿です」
「だから?」
「斎藤殿は臼杵様と親しく、この方々が殿を制止することは必至です」
「なら貴様は、勝尾城が佐嘉方についても容認するのか?」
「確たる裏切りの証拠が無い以上、早計は禁物です。国家大友の重臣と縁組を交わしているのですから、心配には及びますまい」
鑑連は、小野甥に言い放つ。
「貴様はワシの考えがワカっていない」
「いえ、要衝の地に力なき人物がいることがお気に召さないことは、ワカっております」
無言になる鑑連。どうやらその通りの様子だが、備中なら、力が無い上に鑑連が嫌っている臼杵に近い人物、と補足するだろう。あるいは他の城主の手前、本音について踏み込まないだけなのかもしれない。と、ここで吉弘次男が発言する。
「勝尾城を当方に引き寄せるのであれば、筑紫殿は私の義弟に当たります。お任せください」
「それはそれとして。鎮理、貴様があのガキを唆したのでないとすれば」
「はい」
「入れ知恵は斎藤がしたのかもな」
「あるいは臼杵様がご希望かもしれません」
「あいつめ。何か企んでいやがるな。皆、よく聞け」
地蔵にように座っているだけの小田部、大津留が顔を上げた。筑紫殿の退出で、年始の挨拶はもう終わりだろう。鑑連が内向きの話を始めた。
「連中が国家大友の支配に心から承服しているはずはない。そこにこそ、国家大友にとって、ここ立花山城にワシが座する価値がある。クックックッ」
一体何を話し出すのか、一同、あまり良い予感は感じていない様子だ。
「何事も漏らさず、決して報告を怠るな。でなければワシの居るこの筑前に必要はない。そうだろう、大津留」
「……はっ」
この人物が臼杵弟の弟の弟が滅亡を眼前で見過ごしたヘマを、鑑連は二度と繰り返すな、と言外に指摘している。見れば、小田部、大津留の両名も、先ほどの筑紫殿とさほど変わらない表情をしているように、備中には思えたのであった。




