第280衝 図南の鑑連
立花山城で過ごす何度目かの秋、土佐から急報がもたらされた。家老による主君押込が発生したということで、戸次家中ではその噂で持ちきりになる。
「既に一条殿は実権を奪われたという」
「昨年、家老を誅殺しているからな」
「じゃ、仕返しされたのだろうか」
立花山城中枢でも、同様に飛び交う噂。
「一条殿の女房は義鎮公の娘御だ。このまま行けば土佐出兵があるかもな」
「土佐攻めか!良い響きだが……誰が大将を務めるのかな」
「土佐は伊予の南だ。伊予攻めは佐伯紀伊守だった」
戸次武士らの会話はそこで止まる。間違っても自分たちの主君が四国方面軍を率いることは無いと、理解しているためだ。噂をしていた武士らも溜息を我慢して、自然散会していく。
「ワシが土佐攻めを務めるに至る余地があるか否か、検討するように」
「……はっ」
「……」
「……」
「……」
「え、ええと」
鑑連の命で広間に集められた幹部連。厳しい口調の指示を受けるが、なかなか話始めることができないでいた。どう考えても望み薄だからだ。
由布、安東、内田、備中は沈黙し、薦野が何やら言葉を探して呻いただけだ。目線で牽制し合うことすらない。鑑連、床を蹴って怒る。
「揃いも揃って地蔵か、備中!」
「はっ!?」
「意見を述べよ」
相変わらずこういう時の犠牲者は自分なのだな、と若い小野甥や薦野を横目に苦笑いする備中。ええい、もうハッキリ言ってしまえ、と備中曰く、
「む、無理かと」
「なんだって?」
「む、む、無理です!」
あまりの直言に衝撃の一同。
「こういう時に意見の一つも無いのか!」
「ち、違います!殿が土佐攻めの大将となることが、無理だということです!」
「無理なものか!この城は西にも北にも湊がある!そも貴様、先年、佐伯めの伊予攻めに片足を突っ込んできただろうが!」
「あ、それは、しかし……」
実に機嫌が悪い鑑連である。備中思うに、主人自身も、伊予攻めに参画することなど不可能だと悟っているのでは無いか。その上での不機嫌となると、正直付き合いきれない備中だが、一つ、異なる説得方法を思いつく。
「い、一条様は」
「なんだって?」
「一条様です、一条様!ゲホゲホ」
「一条がどうした」
焦って咳き込んだ備中、吃りながらも続けて曰く、
「一条様は家老衆に裏切られて、その力を失いました。義鎮公がそれを見て、何をお感じかについて、ぜひご留意ください」
「なに?」
手応えありだ。鑑連が予想もしていなかった視点からの発言に、咆哮のような振る舞いが止まった。幹部連も身を乗りだして、耳を傾け始めている。備中は自信を得た。
「よ、義鎮公は田原民部様をご重用です」
「だからなんだ。国家大友ではガキでも知ってる」
「今し、しばらく。こ、これはつまり、これまでの重臣を特別に用いていないということであり……」
「義鎮公には最古参の重臣を冷遇している自覚があるはず、ということですね」
「そ、そうです!まさにそう」
小野甥の爽やかな助け舟に大喜びの備中、鑑連も口を閉じている。
「ご親政を志している以上当然の成り行きですが、その上で隣国の事件を眺めた時、義鎮公のご心中はどのようになっているか……最側近以外は遠ざける、ということになりはしないでしょうか」
「なるほど」
また小野甥が頷いてくれた。そのおかげか、鑑連が質問を変えてきた。
「では、誰が土佐攻めを務めることになると思うか」
備中は勝負に出る。
「先ほどの理由から、佐伯様では絶対にないでしょう」
言い切った!眞……とした空気に自己満足していると、鑑連が突っかかってくる。
「だが、義鎮は佐伯を強く信頼しているのだろうが。これは貴様の観察の通りだぞ」
「た、確かにそうですが、佐伯様は追放帰りです。義鎮公は慎重なお方ですし、万が一をお考えになるはずです」
驚いた様子の安東、思わず声を上げた。
「待ってくれ備中。万が一とは、佐伯紀伊守が裏切ると?」
「いや、その、まあ……私はあり得ないと思いますけれども……」
「ほう、相変わらずの高評価だな」
「い、いえ。別に……」
鑑連に睨まれた備中へ、小野甥、今度は質問を投げてくれる。
「では、義鎮公は土佐にそもそも大将格を送らない、と?」
「は、はい」
「私もそれには同感ですね。今、土佐へ兵を送っても、土佐武士の反感を買うだけでしょうし」
「貴様……」
小野甥は、土佐攻めは無い、とまで言い切った。自分の見通しに疑問を呈された鑑連、怖い顔で小野甥を睨む。小野甥は全く気にせずに曰く、
「それにしても、日向佐土原の伊東家、土佐中村の一条家と、いずれも国家大友の御親類です。それがたて続けにこうも乱れるとは」
「作為を感じると?」
「いいえ。ただ、どこかで国家大友の威を示しておく必要はあるのではないでしょうか」
「ほう、戦争をせよと」
顔を歪めて嗤った鑑連は嬉しそうだ。
「永禄の頃は戦争に明け暮れており国力も疲弊していましたが、ここしばらくは年貢も好調とのこと。土佐や日向への出兵も、有意だと思います」
「では出兵運動をするか!」
主人に倣って笑う安東でも、心中の容はまるで異なるはずだ。義鎮公が戦争を起こすとして、戸次家を使うことはないと、やはり鑑連は理解しているのだろう。
鑑連の望む案が出ない中、議論もだれてくる。
視線を外した備中、廊下に武者がやってきて、小野甥に何やら耳打ちをしていることに気付いた。爽やかな表情を押さえた小野甥、姿勢を正し、一同に向き直った。そして静かに述べる。
「申し上げます。四日前、臼杵にて、吉岡様御逝去されたということです」
どこか現実みの欠けた小野甥の口調に、鑑連も幹部連もしばらく無言の行を続けるしかないのであった。




