第275衝 悠遠の鑑連
備中、執務中の鑑連に近づいて曰く、
「殿、橋爪様からの書状が参りました」
「橋爪」
視線を動かさず、鼻だけ鳴らす鑑連。
「開けてみろ」
「あの、私信ということですが……」
「構わん」
「は、はい……ええ、と。では、失礼して」
備中はまず、巻きを開いて書の初めと花押を確認する。同じ筆跡であり、橋爪殿の直筆であることがワカる。
「は、橋爪様の直筆です。それによると、ご領地に良い桜があり、ご覧頂くため、お花見を催すので、もしも豊後国内にお戻りになる機会があれば、殿にもぜひお立ち寄り願います、とのことです」
日頃書状を改める仕事の多い備中は、文章から伝わる気のようなものを感じることができる、と文系武士らしく密かに自負している。この書状はその類のものだったが、主人鑑連はけんもほろろに、
「そんな機会は無いな」
備中、思い出した橋爪殿の善良な表情を後ろ支えに、踏ん張ってみる。
「は、はっ。ですが、目玉となる桜をぜひ見て頂きたいとのご希望が……」
「スミゾメだろ」
「スミゾメ?」
書状には書いていないが、
「ご、ご存じなのですか」
鑑連の博識は植物にも及んでいるのか、と一瞬驚いた備中。しかし、戸次家本貫の地である藤北から一つ山を越えればもう橋爪の地(現由布市)である。鑑連、過去を一瞥し解説して曰く、
「花びらに皺が寄っていてな。それが薄暗く見え、花全体がほんのり黒く見えるのだ」
「それは……珍しいですね」
鑑連の顔は、必ずしも関心皆無という様子ではないように見える。備中の見立てでは、鑑連は風流に感じ入る情を備えているはずであった。が、
「珍しいがそれだけだ。まだワシが十代の時分、先代の橋爪がよく自慢していた」
「じ、自慢」
それは、鑑連相手に危険すぎる行為ではあったはず。
「劣等意識を張り子の尊大さで隠す、嫌な野郎だった」
「……」
「この橋爪が追放された後、里の桜を世話するヤツも居なかったのだろうが、戦争も減った今、鑑実が庭いじりでもしてみたら桜が蘇った、という程度の話だろうよ」
「……」
負の気を纏う主人鑑連。これはダメかな、と確信してしまった備中だが、それでも食い下がるのは下郎の務めである。
「お、恐れながら……」
「ワシは行かんぞ」
「し、しかし」
「桜を見るために豊後へ戻るほど、暇ではない」
「で、では。名代でも」
「不要だ」
取り付く島もないとはまさにことのこと。こんな時、備中が相談する相手は小野甥である。
「……と、殿は全く関心をお示しでなく」
「あれで橋爪様は、社交的な方であり、顔も広いのです。豊後の諸将との親交を深める良い機会ではありますが、お言葉通り、不要とお考えなのでしょう」
「諸将はともかく、例の織田弾正との友好関係の維持について、殿は義鎮公と珍しく意見の合致を見ました。さらに関係を改善できればと思ったのですが」
小さく微笑んだ小野甥曰く、
「殿と義鎮公との関係について、我らには立ち入ることは適いません。手段が無いですし、なによりお二人には過去の厚みがあります。良くも悪くも」
「はあ」
「ところで備中殿。義鎮公はともかく、殿はどの高位の方とのご関係を温める必要がある、とお考えですか?」
「やはりそれは」
田原民部一択しかない。
「その上での話です。橋爪様が来る者拒まずの精神で、蘇りしスミゾメを披露する。義鎮公や御曹司も招かれるはず。これは規模の大きな会になるに違いありません」
「なるほど」
「その場に殿はおろかその名代すら不在と言うのは、如何にも挑戦的に見えませんか。では誰に挑戦しているのか。義鎮公、でないとすれば、橋爪殿でしょうか?それはないでしょう。橋爪殿はこうお誘い下さるように、殿にご好意をお持ちです。田原民部様を気に入っていない、と誰もがみなすのではないでしょうか」
備中にしては、鑑連以外の人物へ雄弁に語る機会はそうは無いが、自分より一回り以上若いこの人物を完全に信頼していたので、舌が淀みなく動くのである。また、小野甥は熱意に動かされるような人間でないところが、備中は気に入っていた。今回も、冷静な視線を維持したまま、備中の目を見て応えを返してくれた。
「では、名代の件、私からも殿に薦めてみましょう」
「あ、ありがとうございます」
「名代の人選ですが」
「小野様以外、いないでしょう」
愉快そうに笑った小野甥は、
「殿の名代であれば、一名では不足でしょう。二名で行くのも良ろしいのでは?」
顔を明るくした備中。小野甥が言うもう一人とは自分以外いないではないか。
「は、はい!私もそう思います!」
「では、そのように殿に進言してみましょう」
「よ、よろしくお願いします!」
やはり小野甥は傑物である。鑑連は薦野を傘下に得たことを殊のほか喜んでいるが、小野甥の気高さには及ばないのでは、と確信している備中、急ぎ家に戻り、出立の準備を始めた。
翌日、小野甥は内田を連れ立って、一路豊後へ旅立って行った。
「……」
登城してそれに気がついた森下備中、折れそうな心を支えるため懸命に笑顔を作り、いつもと同じように鑑連の前に参上するしかないのであった。




