第274衝 極諌の鑑連
夜が明けると、石宗は鑑連の帰りを待たずして立花山城を去ると言う。無論、引き留める者はいない。
「真っ直ぐ臼杵へお帰りになるのですか?」
「臼杵ではやる事がないから戻らん」
「豪邸で贅沢三昧すればいいじゃないですか」
「ははっ、豪邸はともかく、贅沢はこっそり楽しむからいいのだ。そこもとのような下郎にはワカるまい」
「はあ」
「それに、宗麟様はそれがしのために幾らでも時間は割いてくれるが、なかなか頷いてはくれんから」
「そう言うものですか」
少し遠い目をする石宗。が、すぐに正気に返り曰く、
「御曹司は家督を継いだら府内に入ると聞いている。響灘から周防灘まで見物したら、海沿いに府内へ戻る。ではな、戸次殿によろしく」
鑑連は、昼には戻ってきた。早速、石宗に関する報告を行う備中。石宗を無視したかったらしい鑑連は、
「クックックッ、まるで御主人にフラれたイヌだな」
「は、はい」
「よほど吉利支丹が憎いようだが、それが吉利支丹でなくてもやはりヤツなら同じ感情を持つだろうよ。つまり出世の敵に対する態度だ」
「はい」
「というわけでこの件は放置だ。宗門の醜悪な争いに首を突っ込む必要はない。なんであろうが、治安を乱す者これを許さず、だ」
「はっ!」
「後は?」
「佐伯紀伊守様への悪口が、大変ふるっておりました……」
ピクリとする鑑連。
「坊主はなんと?」
「殿と同じく、自分も佐伯様を気に入らないのだ、と」
「ワシが佐伯を気に入らないと、誰が言った」
「わ、私は言っておりません。石宗殿が。こ、これまでの経緯もあるからではと」
「貴様、余計なことは言っていないだろうな」
「は、はい」
「本当か?」
「恐らく、いや、そのはずです」
疑惑の凝視の鑑連。路線転換を試みる備中。
「そ、それにしても、義鎮公は佐伯紀伊守様を甚くお気に入りのようではあります」
「石宗のような阿諛便佞の徒が、危機感を覚えるほどにか」
「は、はい。あ、思えば……」
「ん?」
「もう、二十数年前ですが、肥後攻めの折に、石宗殿は佐伯様を批判しておりました。我らの眼前で」
「そうだったか?」
「何か因縁でもあるのでしょうか……」
「ふん、どうでも良いことだ」
関心があるのかないのか。鑑連が佐伯紀伊守をどの様に考えているのか、ワカらなくなる備中であった。
「他は?」
「た、田原民部様についての発言が」
「なんだって?」
「田原民部様は誠実な方だと……」
「あのクソ坊主め、血迷ったのか」
「いえ、馬鹿にしたような言い方で」
「なんだ。真っ当な感想じゃないか」
「さ、左様ですか」
「しかし、どんな文脈で奈多のガキが出た?」
「あっはい。佐伯紀伊守様が田原民部様と懇意にされているという」
「それは貴様の発言だろう?」
「はい」
「貴様が伊予の陣で見て感じたことだろうが」
「は、はい」
「奴は否定したか?」
「い、いいえ」
「では、貴様が見て感じたことは、的を射ていたということか。奇跡的にな」
「……」
報告を終え、広間に一人座る備中は考え続ける。
博多の町を擁する筑前は国家大友にとって極めて重大な国である。上がる税収、入る情報、高まる名誉は最大のものだ。
その筑前を統括する鑑連もまた、国家大友にとって重要極まる人物である、はずである。
だが、老中筆頭の田原民部は鑑連と結ぼうとはしない。義鎮公お気に入りの佐伯紀伊守と誼を通じている。
理由は一つ。田原民部の今は、義鎮公あっての今だからだ。誠実か有能かに関わらず、田原民部は義弟である義鎮公の意に反することはしない。吉岡が引退し臼杵弟が凋落した今、この情勢は変わらない。
国家大友を巡る、一つ別の重要な要素である吉弘嫡男は、これもまた義鎮公のお気に入りである。従兄弟同士であるし、何よりある一人の女を知り合う仲だ。
森下備中、懐の紙を取り出す。
田原親賢 筆頭、義鎮公代理担当
臼杵鑑速 外交担当
志賀親度 豊後南郡、肥後担当
朽網鑑康 豊後北部、筑後担当
佐伯惟教 義鎮公直轄水軍担当
吉弘鎮信 豊前担当
記された重臣の名前をなぞっていると、義鎮公が御曹司へ家督を継承することは予定通りのことである事に篤信する。誰もが義鎮公と何らかの繋がりがある。備中、それを書き加えてみる。
田原親賢 妹が公の御台様
臼杵鑑速 娘が公の養女
志賀親度 離縁した妻が公の養子
朽網鑑康 兄が鑑連に敗死
佐伯惟教 追放帰り
吉弘鎮信 側室を公に提供
先例に従い続けるのであれば、老中の定員は六名である。であれば、例えば、御曹司が自身の信頼できる人物を老中にしたいと願った時、身を引かざるを得ない状況に追い込まれるのは誰だろう。
「伯父となる田原民部様はあり得ず、臼杵様は最近振るわない、志賀様は大禍なし、朽網様は老いてるが信任厚い。佐伯様は飛竜乗雲の如し、鎮信様も飛竜乗雲の如し……」
考えても一人しか思い浮かばない。
「臼杵様かな……」
だが、代替えで老中となる人物が思い浮かばない森下備中であった。




