第272衝 清流の鑑連
鑑連の帰城を待つ森下備中と招かれざる客。すでに内田が厄介者の来訪を連絡をしているはずだが、備中は今しばらく破戒坊主の接待を続けなければならない。便所から戻ってきた石宗に自分から話しかけてみる。
「と、ところで。例の文書をお届けした使者に失礼はありませんでしたか?」
後ろに両手を広げ、だらし無く横になっている石宗は、面倒くさそうに顔を上げた。
「備中、あれはそこもとの倅だろ?」
「は、はい」
はっきり言うと、私の息子の出来はいかがでしょうか?聞きたいことはそれのみだ。親の気持ちと近習の考えが混ざり合って、気の利いた言葉が中々出てこない。石宗曰く、
「不出来な親父よりは落ち着いていた」
「そ、そうでしたか」
息子の評価を一端でも得ることができ、安堵の備中。
「へえ、嬉しそうだな」
「そ、そうですか?」
「そうだよ。そこもとが如き下郎近習も、人の父親の顔をするのだな」
「い、石宗殿のご子息は?」
「ははっ!この世の森羅万象全てが息子であり、同時に父でもある……」
「ああ、そうですか」
石宗が禅僧の如き言葉を弄すると、胸が悪くなる備中だが、ふと、突っ込んでみたくなる。
「では石宗殿の敵も、子であり父なのですか?」
「ははっ、そうかもな」
真面目に問答をする気は無いようだ。が、何も話さずしてこの人物と同じ部屋にいるのは苦痛でしかない。一生懸命に口を開く備中。
「と、殿の今の関心ごとは都の動向です」
話題を提供する。
「博多に行かれているのも、町年寄から情報を得るためでして」
もう一つ提供する。
「石宗殿は、関心はありませんか?」
「……」
反応がない。さらにつついてみる。
「都には憧れますね。上洛すれば、よりよい生活を得ることができるかもしれませんし」
「じゃあそこもとは、なぜ国家大友に居る?」
乗ってきた。慎重かつ、相手を飽きさせないような話を心がける備中。
「ま、まあ私は戸次家で働いているので……」
「何故かね」
「えっ?」
「下働きでも、将軍様や織田弾正の系列に仕えることだってできるだろう。何故戸次殿の下に居続ける?」
「えー、ええっと」
思わぬ反撃にたじろいでしまう。
「森下の家は名門とでも?」
「い、いえそんなことは。ですが、殿の家は紛う事なき名門です」
「まあそうだな。認めてやる」
「縁あって仕えているのですが、それだけでなくもしかしたら、苦労して都に上がるより、こちらに居た方が楽に稼げる、と頭のどこかで考えているからでしょうか……」
志の低さに我ながら情けなくなる備中に、爆笑が飛ぶ。
「はっはっはっ!持たざる下郎の哀れなる考えとはまさにこのこと」
さすがにカチンと来た備中、やりかえす。
「あ、あんたねえ。最初会った時は、あんたこそ持たざる下郎だったくせに、よく言うよ」
「そんな昔の事は忘れたよ、ははっ」
「二十二、三年前のことですよ」
「はっはっはっ!」
「我が殿が、津賀牟礼城を攻めるか攻めないかの頃」
「知らん知らん!」
「あんただって、都を目指さずに豊後府内で一旗上げるつもりだったのだろう。よくもまあ人の事をとやかく言える……も……の」
気がつけば石宗の顔が鬼瓦のようになっていた。まずい、よく見なくても憤慨している様子。石宗が何事かを叫ぼうと、喉を振わせた刹那、
ガラッ
障子が開いた。鑑連その人であった。
「これは石宗殿」
「と、殿!」
「む」
危うく泣かされ兼ねなかった森下備中。最高の時宜で戻ってきた主人鑑連へ向け、感謝の意を目で捧げる。そんな鑑連、備中を無視して石宗の前に座る。
「遠路ご苦労なことだ。豊後からでは骨が折れただろう」
「いや全くその通りで」
「ところで、何かあったかね。臼杵は平和だと聞いているが」
「臼杵は平和ではありませ」
「私的な相談事かね。では話を伺おう」
「う、臼杵だけではなく府内についても」
「義鎮公や老中どもでは話にならんと言うことか。重い案件のようだ」
「お、重く。国家大友だけでなくこの神州六十六」
「では森下備中。まずは貴様が石宗殿からよくよく話を聞いておくように。報告は明日で良い。ワシはまた出かける。戻る日時は追って伝える」
「はっ」
「へ、戸次殿?」
「では石宗殿、御機嫌よう」
「あ、あ……」
鑑連は廊下をどしどし進んで出て行った。流水の如し話し方、清流もかくやの受け流し。それでいて稲妻のような疾さ。鑑連は石宗の相手をしたという形を残して去って行った。
「はっ」
「は?」
「はっはっはっ!」
石宗の高らかな馬鹿笑いが立花山城にこだまする。国家大友に仕える高僧の表情は心底困った人のそれであった。
「なんだこの応対は」
「はあ」
石宗は顔を歪めたまま、キッと備中に向き直った。
「こうなったら仕方がない。森下備中、それがしの話しに付き合ってもらうぞ」
「ええ……?」
「主人の命だろうが」
「ま、まあ」
命令となれば仕方がないのであった。
「では、手短に……」
「話を始めるのに、酒肴の用意もないのか」
「……ちっ」
「ははっ、今、何か聞こえたぞ」
「……すぐに用意させます」




