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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
元亀年間(〜1573)
272/505

第271衝 雪晴の鑑連

 元亀の年が四年目を迎えた。戦争が無いとこうも時の経過が早いものか、と自身の平和に満ちた精神を祝福する森下備中。とはいえ東国からの情報には常に目を光らせていた。


「甲斐勢、遠江の地にて織田弾正の盟友である三河勢を撃破した、圧勝だったらしい」

「尾張の援軍も来ていたらしいがね」

「精強な甲斐軍団には歯が立たなかったということだな」


 武士たちが噂する話は全て承知済みの森下備中。何か先の動きを読めないか、各地から集めた書状を分析していると、内田がやって来た。


「精がでるな」

「うん。やっぱり中央のことが気になってね」

「遠いこの九州からな」

「我ら九州勢にとってこんなこと、都の内紛に首を突っ込んでいた大内義興公以来の緊張だろうね」

「だとしたら義鎮公は、周防の名君に匹敵する名声を得ているということか」

「ま、まあそうかな」


 二人がそんな話をしていると、薦野が顔を出してきた。こんな時、内田の後は安東がやって来るものだが、珍しいこともある。


「やあご両人」

「や、あああ」

「……」


 開けっぴろげな相手に、挨拶が妙に揺らいだ備中。と、返事をしない内田、どうやら生意気な、と思っているようだ。その反発をいなした薦野、備中に尋ねる。


「その後、甲斐勢三万は三河に入りましたか」

「まだみたいだな」


と内田。だが、備中の手にはその後を伝える書状があった。


「いや、左衛門。三河には入ったらしい。諸城の攻略が始まっている、とほら」

「どこからの書状だ」

「瑞峯院の坊さんから。都では、織田弾正はもう終わりだ、と噂が流れているって」

「織田弾正は美濃から動かないようですね。もう降伏するつもりなのでしょうか」

「ど、どうなんだろ」

「おい」


 利発な薦野に押され気味の備中を、内田が叱責する。新参者に負けるんじゃない、ということだが、性格ですでに負けている備中としては困惑することしきり。だが薦野曰く、


「義鎮公は殿の助言を容れられ、織田弾正との誼を深められたとのこと。ここは一つ、尾張勢の奮発に期待したいですね」


と程度を弁えた発言で場を落ち着かせるのだ。備中は、外連味芳しいこの若者へ嫌悪を抱くことはなかった。


 そこに遅ればせながら安東がやって来た。が、なにやら顔が険しい。


「安東様、どうなさいました?」

「不愉快な客が来たぞ。石宗だ」

「え」

「げ」

「?」


 顔を見合わせる備中と内田。一方、状況を掴めていない薦野。


「殿のお戻りは夕刻だ。あちこち歩き回れないように、それまで誰かが相手をせにゃならんな」

「で、では僭越ながら私が」

「備中」


 同僚に諂い笑いを返す備中だが、実は先方へ聞きたいこともあったのだ。頷いた安東は少しニヤついた顔で備中の肩を叩く。


「また啖呵きったりするなよ」

「は、はい」

「そうだ。今は殿が居ないから、誰も庇ってくれないぜ」


 内田も忠告をしてくる。丁度その時、遠くから独特の不快な笑い声が聞こえた。まさか、石宗に聞こえたのか。顔を見合わせ、いきなりうんざり、といった内田と安東である。



「はっはっはっ!やはり貴様が出てきたか」

「ど、どうも」

「戸次家も意外と人材が薄い」

「……」


 久々の石宗だが、何から何まで変わっていない。安定の不道徳振りだ。


「戸次殿はご不在のようだな」

「昨日から博多に行っています。夕方には戻る予定です」

「知っている。それがしも博多を経由して来たのだ」

「えっ、ならすでに殿とお話しを?」

「博多はついで。わざわざ筑前まで来たのは、この立花山城に用があったのだ。ところでだ備中」

「は、はい」

「そこもとの倅から預かった文書、見たよ」

「は、はい」

「結論から言ってやろうか」

「は、はい」

「はっはっはっ!それしか言えないのか、はっはっはっ!まあ、諦めることだな」

「無理……で」

「無理だね。まず戸次殿にその気が無い」

「し、しかし田原民部様はそうではないと、私は考えています」

「ほう、それほど親しかったか?」

「い、いや。親しいとかではなく、直感です。田原民部様は誠実な方ですし」

「そう。田原民部殿は誠実だ。だからこそ、宗麟様を必ず尊重する。決まってる。傲岸偏屈極まった戸次殿を優先する理由が?」

「……」

「彼は田原常陸殿と競っているが、戸次殿はこの豊前の実力者と、まあ懇意であると言える」

「えっ、そんな噂が?」

「そうだよ。表面ではともかく、戸次殿を警戒しているのさ。つまり備中、その見込みは見当違いだな、かあっ!」


 強烈に痰を吐いた石宗は、備中の心を嫌悪感で満たした。


「い、石宗殿はどちらの味方なので?」


 この質問に石宗、意外そうな顔で答えて曰く、


「言わずもがなだ」

「どっちですか」

「だから言わずもがなだよ」

「で、では天道のお徴はいかがです?かつて石宗殿は殿は天道に沿って歩んでいると言いましたよね。今ではどうですか?」

「……」

「お、御答えを。それとも、今、天道を行くのは田原民部様とでも?」

「小さいねえ」

「えっ?」


 これでもかと眉間に皺を寄せ、肩をすくめ、備中を虫けらのように見やる。


「今、ワシは人の行く末を占ったりはしないのだ。国家大友どころか、日の本六十六カ国の安寧のため、日夜戦っているのでね」

「……はい?」


 いよいよおかしくなったか、と訝しみの森下備中。が、石宗は続ける。


「その話のため、それがしはここに来たのだ。でなければ何故こちらから不浄穢土の筑前立花山へ足を向けるだろうか」


 酷い言い様だった。突として立ち上がった石宗、


「便所を借りるぞ」

「あ、案内します」

「いらんいらん!厠の臭いで場所などワカる!」

「そ、そう言わずに」

「いらんと言っとるだろうが!」


 駄々をこねる石宗に、近くで待機していた安東と内田が姿を現した。そして距離を詰めながら、凄みを利かせて語りかける。


「石宗殿、私たちが案内しましょう」

「途中、鳥の鳴き声も楽しめます」


 内田などは腰差物に肘を置いている。いざという時はやる気なのだろうか。鑑連以上に好戦的なその様子にドキドキする備中だが、両名とも、鑑連のやり方は骨身に染みているはず。無闇なことはしないだろう。


 ふと、石宗が自分を見る視線に気がついた備中。


「……」

「な、なんです」

「なに。戸次殿がそこもとを手元に置く理由を考えていたのさ」


 ドキリとする事を言われ、頬染める備中。


「つ、続けて」

「調子に乗るな」


 そしてピシャリと突き飛ばされ、その性格を思い出し始めた備中だった。


 石宗はふんぞり返って安東と内田に向かい顎で指図する。強い不快の気を発する両名だが、石宗の前と後ろを挟んで便所まで、ゆっくりとした足取りで案内をするのであった。

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