第257衝 内緒の鑑連
筑前国、博多の町。お忍びで道を練り歩く鑑連主従。
「なんだ、思ったより復興してるな」
「は、はい。安芸勢撤退から二年が経ちましたから」
「もっと焼け野原が広がっていると思ったが、内田」
「はっ。博多の有力者たちは肥前の島々に蔵を備えているそうで、出したり入れたりは思いのままのようです」
「ではまた燃えても問題なしか」
「……」
辻を進む鑑連主従の前を、大八車が騒がしく通り過ぎる。砂埃が飛んだ後、鑑連の顔は怒りに満ちていた。
「おい。なんだ、あれは」
「さ、産婆が急いでいるようです」
「そうか」
産婆と聞いて鑑連の憤怒は去ったらしい。ホッと胸をなでおろす備中。
「活気がありますな。殿、今日はお忍びです。町年寄の動向を探って来ますので、あのうどん屋でしばしお待ちください」
安芸勢との戦いで博多に居る機会の多かった内田は町並みをそれなりに把握しているようで、元気良く人混みに飛び込んでいった。
「で、ではあちらへ。店主、これとこれを……」
うどん屋のお品書きに絵が描いてあった。ややあって、出されたうどんをすする主従。今年の春は戦争をしていない。珍しく平和なひと時に心癒される備中。
「内田贔屓の店でしょうか。美味ですね、殿」
「貴様、気が付かないか」
「えっ?」
「このうどん、絵と違うぞ。揚げが異常に小さい」
「さ、左様ですか」
「おい店主、こっちへ来い」
顔を出した店主の顔をいきなり鷲掴み、激しく机に叩きつける鑑連。市井の下郎への振る舞いに驚愕し、声も出ない備中。うどんを咥えたまま固まってしまう。
「足りない分は貴様の耳で勘弁してやろう」
「か、勘弁してくだされ」
ザグッ
「ふ、ふぐーー!」
悲鳴を聞いて正気に返った備中。
「と、殿!」
耳を押さえてゴロゴロのた打ち回る店主を見向きもせずうどんをすする主人鑑連。一種の無礼討ちだが、自分の主人はかくも非道な悪鬼だったか、と戦慄すら覚える備中であったが、とりあえずここから脱出せねばならない。他の客は逃げ出し、悲鳴を聞いた町人が店を覗いている。備中は主人の手を引いて脱出した。
走って辻を廻る主従だが、主人が下郎の手を振りほどく。
「こら貴様、何のつもりだ」
「あ、あれはいくら何でもあんまりではないかと!」
「詐欺は打ち首が原則だ。それを耳だけで許してやったのだから、ワシはつくづく寛大な男だと思うよ」
「し、しかし博多の町の刑罰は町年寄の掌握するところです。これは立花殿の時代からの伝統です」
「ほう、良く調べて博多に来たわけだ」
「え、ええ、まあ」
「立花は甘かったのだ。だから死んだ。ワシはそれを叩き潰すぞ」
主人が何を言っているか全く理解できない森下備中。ふと、背後に気配を感じると、柄の悪い男達が数人立っていた。不敵な笑みをこちらに向けている。
「おいあれは」
「ば、博徒のようですが」
「敵意剥き出しのようだ。無礼だな、斬れ」
「えっ!わ、私が?」
「貴様の他に誰かいるか?」
声が出ず、口をパクパクさせる備中。鑑連を指さしそうになるが、主人は意にも留めない。
「男になれ、備中」
「お、男ですぅ」
「いや、貴様は男ではない。武士のくせに人一人殺さず、何が男か」
「さ、さ、さ、さ」
「なんだ」
「さささ先ほどの騒動の報復なら、殿が、たたた戦うべき!で……す……はぃ」
戦場を上回る恐怖に、思わず言い切ってしまった備中。自身の金切り声に背筋が寒くなる。自分も凄い形相になっているようで、鑑連がそんな顔をジッと見ている。鑑連は無言のまま、男衆へ向き直り、路傍の石を掴むと男たちを殴り始めた。外す事の無い的確な打擲により、悲鳴と血を流しながら博徒たちは逃走した。鑑連は呆れ顔で振り向いて曰く、
「貴様、ワシに仕えて何年だ。二十有余年だろう。いやはや、だな」
「あ、ありがとうございました」
とりあえず感謝しておく備中。そこに博徒と入れ替わりで内田が戻ってきて曰く、
「殿、町年寄の所在を確認しました」
「向こうは気づいているか」
「いいえ」
「よし、踏み込むぞ」
「はっ!」
博多郊外、承天寺(現福岡市博多区)。
寺では茶会が催されていた。鑑連は、内田が指さした博多の町年寄の前に立つと名乗りを上げ、教訓を垂れはじめる。強烈に。
「永禄の始めと終わりでこの町は燃えている。気の毒なことだ。しかしこの町は本当に燃えやすいようだ。ワシは文献を紐解いてみたが菊池、少弐、大内、大友とこの町は毎度毎度良く燃やされている……貴様ら懲りない奴らめ」
沈黙が支配する。鑑連悪鬼の形相にて曰く、
「笑え!」
乾いた笑いが場を漂う。以後、鑑連の独壇場となる。
「さっきの貴様らの台詞、なんだったかな。ええと、確かこうだ。『朝鮮貿易に際し対馬の証明仲介を必要としなかった菊池家と大内家の時代が懐かしい。菊池と大内、双方の家督を継承したはずの大友家が朝鮮に交易を断られるとは、五条五倫を旨とする朝鮮王朝に、徳の欠けたるを見抜かれているからでは?』おい備中、貴様も聞いていたな」
「全くご高説ありがたい。筑紫、立花、毛利、そしてワシら大友と蝙蝠のように付き合いを変える妙手、とても真似できるものではないからな」
「結局貴様ら商人は金に忠誠を誓っているということをワシは承知している。よってワシら顧客は貴様らにとってどちらかといえば獲物なのだと言うことも、もちろん承知している。このことを忘れるなよ」
「はっきりさせておく。貴様ら博多商人どもが消え失せても、筑前には芦屋津がある。豊後には府内がある。肥後には高瀬がある。畿内には堺があり、四国には宿毛もある。ワシらが戦争をするに困ることがあろうか」
「貴様らが最も嫌う事象は何か、考えてみた。すなわち答えは不確実性だ。と言ってその不確実性を突かねば大成功など夢なのだろうな。確実なのは、ワシに逆らえばただではおかないということだ。ワシは前任者とは違うぞ。甘く見るな!」
「いいか!ワシに従わなければ、この町いつでも灰に戻してくれよう!その後、肥前の秘密の蔵も尽く焼き尽くしてくれる!」
「吉弘が指示していた茶器供出の件。ワシは頬かむりをしてやっても良い。ワシは九州探題とは異なり、私有財産の権利をなるべく尊重したいとも思う。無論、条件付きでだがね」
「では特に命じる。一つ、大友に敵対する者どもとの付き合いを断て。一つ、筑前の主はこのワシだ。何事も怠りなく立花山城へ報告をせよ。まずはこの二つだ。怠りあれば、ワシは改革者として再度来博するであろう」
茶会に参加していた商人たちは色を失い、全員腰を抜かしていたようだった。就任あいさつとしてここまで衝撃的なものは古今絶無であろう。鑑連、満足気に退出し、その威圧の為、同じく色を失っている内田に指示を出す。
「あの町年寄とはどのように知り合った」
「は、はっ!臼杵様の隊に参加している頃、物資供給の役の中で」
「腐っても博多の男だ。まずワシを認めまい。あれに無礼を詫び、心を慰めつつ、怡土・志摩の臼杵勢とどのようなやり取りをしているか探ってこい」
「はっ!」
内田は寺院の中に戻って行った。これはしばらく帰ってこれまい、と備中は内田の多忙を温かく見守るしかない。門をくぐった鑑連主従。と、またまたその前を大八車が通り過ぎた。
「あれはなんだ」
「ひ、飛脚です」
「ならいい。城に帰るぞ」
帰路にあって、鑑連が博多の衆との対決を望んでいるのか、筑前統治の口切りとするつもりなのか、容易には判別がつかない森下備中であった。




