第253衝 鬼仏の鑑連
豊後での用事を済ませ、筑後に戻ってきた鑑連主従、春を予感する肌良い風を背に赤司城に戻る。鑑連から幹部連への説明は行われなかったため、みな備中を頼るもの。まず、内田が近づいてくる。
「戻ったな。藤北の様子はどうだった?」
「鎮連様はお元気そうだったよ。故郷の衆も一様に」
「帰郷は五年ぶり位だろ。家族には会えたか?」
「久々にね。息子も大きくなっていたが、何より母の老いを感じたよ……」
「備中、倅を殿に出仕させないのか?」
「まだ早いかな……なんて」
「殿は筑前で策をお考えなんだろう?功績を立てさせる機会は与えてやれよ」
相変わらず上昇志向の強い内田に辟易する備中。確かに倅のことは気にしないでもなかった。だが、あの鑑連に仕えさせて良いのか、と思わないでも無いのだ。このように何やら親切な内田だが、何となく怪しい気配を感じた備中。
「秘密の情報は無いよ」
「えー……」
またまた、という顔をする内田だが、
「本当だよ。殿と義鎮公と会談の場に、私はいなかったし」
吉岡との会談には座を連ねていたが、あの会談の話を言えるはずもなし。舌打ちをして去って行く内田の後、安東がやってくる。
「相変わらずの上昇志向だが、悪いことではないぞ」
「まあそうですね」
「何か面白い話はあるか?」
「いや、さしたる事は……」
「殿が臼杵に行ったのだ。大した事あるに決まっている」
「殿と義鎮公の会談に、私は同席していないので……」
「そうか」
内田程ではないが、安東とて上昇志向が強いことを知らぬ備中ではない、同僚の質問を上手くいなすのも近習の勤めであるが、由布などは、
「……無事戻ったか。ご苦労だった」
この粋なる優しさが心に染みる備中であった。
鑑連は義鎮公とどのようなことを話し合ったか、備中にも明かしてくれていない。無論、備中も気になるのだが、臼杵の城から出てきた鑑連は上機嫌であった。悪い結果ではなかったに違いなかった。
より春が進んだある日、立花山城から吉弘嫡男が赤司城にやってきた。そして鑑連は幹部連を招集した。
「立花山城に移る」
自信たっぷりに、現立花山城主の前でそう宣言するのだ。鑑連の顔には根回しは十分、という自信が漂っていた。次いで、吉弘嫡男が義鎮公からの書状を読み上げる。それによると、立花山城に戸次家が入った後、吉弘家は本国豊後へ帰還するという。信じられないような内容だが、当事者たる吉弘嫡男が告げる以上、列席者が何かを述べたりすることはない。それでも宗像家に関する項目に話が及ぶと、全員が狼狽してしまう。無論、吉弘嫡男も含めて。
「えー、えーと」
「どうした鎮信」
「いや、その」
「何も問題は無い。続けろ」
「……はっ」
モジモジする吉弘嫡男。
「戸次伯耆守は……む、宗像氏貞妹を迎え」
「声が小さい」
「はっ!これにより大友家と宗像家の仲を」
「まあそういうことだ」
余りにぞんざいな扱いに全員絶句するが、森下備中のみ、自分も間々やられる非道な扱いに心微笑む。それ以上に、主人鑑連が側室を迎えることに意外であった。鑑連の実務を取り扱うことの多い自分が知らなかったということは、義鎮公とのギリギリの駆け引きの中で行われたのだろう。それにしても還暦も近いと言うのに……。
「備中、何か言いたいことがあれば遠慮しなくていいぞ」
「はっ!?め、めっそうも……」
鑑連の目は発言を要求している。こうなっては虎の子発言を出すしかない。
「じゅ、じゅ、じゅ」
鑑連、吉弘嫡男、幹部連、みな備中を注目する。
「じゅ、従来の統治方針では……ち、筑前は安定しないのなら……りょ、良策かと」
「本心か」
「ほ、本心です」
「貴様のその目は疑わしい」
「ほ、本心です!み、みなさまそうですよね!」
居並ぶ地蔵のような幹部連に話を振る森下備中。卑劣な手法だが、鑑連の視線が彼らに移る。
「わ、私もそう思います!」
「殿!」
内田と安東は見事阿った。由布は黙っているものの、これで良しとする備中。テコ入れを策する。
「筑前は吉岡様と臼杵様の時代から、殿の時代に変わったということですね」
「変わったのはそうだが、奴らの時代が終わったことを忘れるな」
ようやく安堵する備中だが、吉弘嫡男が鑑連を窘めるように曰く、
「それでも世人は、豊後二老と褒めそやします」
「けっ」
それを吐き捨てる鑑連。公平を求める声よりも、豊後二老への嫌悪が勝ったようだ。主人の激発を恐れた備中、急いで鎮静に取り掛かる。
「じ、実は殿も三老とされることもあるんですよ。ご存知ですか」
「クズどもと一緒にするか!」
「い、いえ。若干構成が異なりまして臼杵様と吉弘様と殿です」
「同じだろうが!」
鑑連の激しい毒突きに吉弘嫡男が傷ついたような表情をする。しまった、失敗したか、こんなことで折角の戸次・吉弘の良好な関係が壊れてしまってはこれまでの忠勤が報われない。
備中が汗を流していると、会話を打ち断つように使者が飛び込んできた。ホッとする備中とは対照的にその武士は顔面蒼白であった。さらに見れば、吉弘家の者だった。
「おや」
「と、殿!やはりこちらでございましたか」
「どうした。父上の所に忘れ物でもしたかな」
「お、恐れながら」
鑑連を見て口ごもる使者。それでいて主人を探して飛び込んで来たということは大きな異常事態が発生しているのか。
「戸次様、少々失礼します」
吉弘武者は、廊下まで下がった吉弘嫡男の耳元に口を近づける。たちまちの内に吉弘嫡男の顔が険しくなり、動揺をしているようだ。
「鎮信、早く親父の元へ戻れ」
「はっ!?」
「聞こえただけだ」
鑑連の地獄耳は戸次家中の者しか知るまい。事情を突かれて惑乱する吉弘主従へ、鑑連は厳かに尋ねる。
「で、いつから具合が悪い?」
「……佐嘉攻めが終わった後から」
「豊後に帰還しない理由は、体調か」
「はい」
「では、貴様の親父はまだ御笠の温泉で養生中ということか」
「はい……」
吉弘嫡男の声は弱い。父より戦上手と衆目の一致があっても、吉弘家の台頭は鑑理が義鎮公の信任を得たことによる。それが失われたとき、吉弘一門はどうなってしまうのか、言い知れぬ恐怖があるのだろう。
「見舞おう」
「えっ」
「夕方には着くだろう。備中、馬を引け」
「ははっ!」
備中は、主人が吉弘嫡男を通して父の気持ちを強くしているのだろうと、万感胸に迫る思いになる。子が父を想う時、それを目の当たりにした鑑連の心は深切になるのだった。




