第251衝 辞任の鑑連
元亀二年、冬の豊後臼杵。城下を進む戸次主従。
「久々の臼杵ですね」
臼杵どころか、豊後への帰国も高橋殿討伐以来だから、五年ぶりである。故郷に妻子が待っているはずの備中。そわそわするも、その方面へ鑑連はまるで関心がない様子。何とか向けてみようと試みる。
「鎮連様も立派になられているとか。頼もしいですね」
「ああ」
反応が鈍い。戸次弟の子にして自身の養子でもある鎮連が故郷を立派に守っている姿を見たくはないのだろうか。臼杵から西に道を進めば故郷は目前なのに……。
望郷の思い募るばかりの森下備中。その願いは鑑連には通らないまま、主従は吉岡の館の前に立った。
「あっ」
「通るぞ」
「は、ははっ!」
竹のように敬礼した馴染みの門番。ちゃんと通してくれる。鑑連の後ろで門番へ小さく手を振る備中。
「戸次様……」
「取り次げ」
「は、ははっ」
邸内では門番の兄が取り次いでくれる。相変わらずな吉岡邸だが、みなどこか元気がないようだ。
「殿、戸次鑑連様をお連れいたしました」
「ああ」
部屋に入ると、火鉢を前に広袖を重ね着した吉岡が座っていた。
「やあ鑑連殿」
「やあ吉岡殿」
控えのまで控えていようと備中が足の向きを変えると、鑑連の声が飛んだ。
「入れ」
「……はっ」
おずおずと入る備中。吉岡が老いた苦笑を示してくれるのが救いだ。
「はあああ、相変わらず急だな」
「戦場担当だと、急にもなる。要件を伝える。今、吉弘が掌握している立花山城だが、ワシが引き取る」
「引き取ってどうする」
「城を根拠に宗像郡を一部奪う。無論、安芸勢との和睦に影響しない範囲でだ」
「はあああ、性急だな。だが、そう急ぐこともあるま」
「急いだ方が良い。そなたの命、いつまで持つかワカらんだろう」
鑑連節が始まった。いや、すでに始まっていたと言うべきか。苦笑を重ねた吉岡、
「ワシは、長生きするつもりだよ?」
「そなたの命だ。勝手にすれば良い。が、吉岡家が今の地位を維持するには、理解者が居なくてはならんだろう」
「鑑連殿、そなたがそれを?」
「そうだ」
「我が愚息どもの後見を?」
「そうだ。それも遠く離れた筑前から。理想的だろう」
「確かに」
吉岡は笑う。
「理解者なら臼杵がいる。儂とあれは有無相通づる関係だ」
「そう思っているのは、そなただけかもしれんがな」
実に辛辣だ。このための、佐賀の陣でのやり取りがあったのか、と備中主人の一手に感激する。
「まあ、そなたがあの城を欲するのであればそれも良いが、臼杵が何と言うか」
「臼杵は何も言わん。親貞を消したことについて、悩んでいるからな」
怪訝な顔をした吉岡。
「どう言うことだ」
「そう言うことさ」
「親貞公は佐嘉武者に討たれたのだ」
「誰が討ったか、ワシは見ていた。無論、ウチの備中もな」
「ほう」
吉岡にちらと見られてドキドキする備中。その視線は老いても鋭い気がする。
「田原民部とそなたの名を出した時のヤツの顔といったら無かった」
「一体全体何のことか、儂にはワカらんが」
「ワカらないままでいれば良い。その方が後生安らかでいられる」
「……」
「ともかく、臼杵のヤツに選択権は無い。まあ、ワシが立花山に入った暁には、志摩と怡土の治安維持を手助けしてやっても良い」
しばらく無言になる吉岡。もはや臼杵弟は問題ではないという鑑連の言葉を反芻しているかのようでもある。ややあって、
「宗像郡か……大宮司の妹が人質でいる。無論」
「知っているさ」
「はは、あれはどうする?」
「娶る」
「えっ?」
「このワシが」
「ええ……」
唖然として顎が外れそうになる備中。先般、吉弘嫡男と話していた内容とは全く違うでは無いか。
「ワシ以上の適役がいるか?」
「探せば幾らでもいるさ。そなたは不適だよ、鑑連殿」
「ほう、なぜだね」
「……」
沈黙する吉岡。言わずとも、筑前における鑑連の権限が強くなりすぎるのは望ましいことでは無い、ということはワカっている。
「はっきり言えば、筑前でそなたが強くなりすぎては国家大友としては困るわけだ」
備中の顎がカクッと透明に鳴った。鑑連も吉岡も備中を見る。
「し、失礼いたしました……」
「……」
「ふっふっふっ」
笑い声を漏らす吉岡長増。
「鑑連殿、そなたの近習も驚いているようだぞ」
「どうでも良いことだ」
「そんなことはあるまい。そなたこれまでに備中の進言を道標にしてきたこと、一度や二度ではあるまい」
「なに?」
ああ、こっちに話を振らないで、と神仏にすがる思いの森下備中。吉岡は備中を向いて続ける。
「備中どうかね。そなたの主人はこう言っているが、近習としてどう思うか」
「ふぁっ!」
心臓の鼓動音に頭がいっぱいになる備中。
「聞かせてくれ、備中」
「備中、口を開くな」
「はあああ、まあそう言うな。備中」
鑑連と吉岡。国家大友化け物の二頭に睨まれて、体が麻痺した備中。しかし、舌だけは動く。呂律が回らずクルクル回っているが。
左を見る。主人が凝視している。右を見る。妖怪が笑っている。呼吸が止まりそうで頭が痺れてきた備中。気を失う前に、と凍った動きで平伏する。曰く、
「わ、わ、我が主人の言う内容こそ、こそ」
「うん」
「備中」
喉から声を絞り出す。まるで口から何かが出てくるのようであった。
「こっこっこっこっ」
何かとは何か?薄れゆく意識の中で、備中は鑑連の悪鬼面が飛び出してくる幻影を見る。
「っこ、国家大友の利益に資するものです」
悪鬼面の気を吐き出した備中、どこかでジャーン、と鐘が鳴る音を聞いた。鑑連が嗤っている。
「くっくっくっ」
「ああ……そうか備中」
なにやら残念そうな吉岡である。が、急に迫力が増した声を発する。
「なるほど。だが、立花山城には吉弘鎮信が入っている。あれの弟が入っている豊満山城とは対で重要な城だ。兄弟の良い連携を犠牲にしてまでそなたが持つ利があるとは思えん。儂は反対だ」
老いて病気気味であった吉岡に、本気が戻ってきたようだ。ニヤリと嗤う鑑連。
「大丈夫、ワシが上手くやってやる」
「これまで言うほど上手くできたことがあったか!」
「貴様……」
鑑連の目が座ってきた。
「貴様らの願望を受けて、色々なモノを始末してきてやっただろう」
「それはこちらとて同じこと。自分ばかりが施した側だと思っているのか!」
「能力のないクズどもをいつまで使い続ける気か!筑前はワシが上手く治めてやる!」
「鑑連、貴様にそれができるとでも?」
「できるさ。ワシが筑前の守護ならば、とうの前に宗像も秋月も首を示していた」
「大した自信だ」
「吉岡長増!貴様はそれに失敗し続けてきた!今日の日まで!そうだろうが!」
「儂の苦労も知らないくせに何を抜かす!ちちころすぞ!」
老いた吉岡が立ち上がり怒鳴った。体から湯気が上がっていてもおかしくない程の怒り。この人物をここまで赫怒させるとは、やはり鑑連は只者でない界隈でも随一なのだ。
怒りでぷるぷる震える吉岡を、鑑連は見上げて嗤う。そして伝えた。
「今日来たのは取引をするためだ。その内容はこうだ。引き換えに、貴様の倅の老中就任を支援してやる」
「何」
「ワシは筑前で大権を握るのだ。もちろん老中は退く。その上での話さ」
くぐもった声の吉岡。途端に体を纏う闘気が変わった。ストンと腰を下ろした吉岡。覗き込むような眼で鑑連の顔を凝視している。その様子は、まるで野良猫の仕種だ。
悪鬼と妖怪化け猫が対峙する狭間にあって、この会談はきっと上手く行くに違いない、と備中は確信を深めていた。両者は彼らが意外に思う程に、よく似ていた。




