第250衝 頼掌の鑑連
筑前国、立花山城。
「行くぞ」
「は、はっ!」
「何奴!」
「やかましい!」
「ぐわっ」
「戸次、ほ、伯耆守の一行でございます!」
「備中、もっと腹の底から声を出せ。ちっとも聞こえん」
「曲者め!」
「失せろ!」
「ぐわっ!」
「戸次!戸次伯耆守の一行で!ございます!」
「こ、これは戸次様」
「何を驚いている。行く、と伝えていたろうが」
「ま、まあ。つい先程、お使者から知ったばかりですが。急なことで」
「この城の門番はだらしがないな。鍛え直せ」
「……」
虎口に倒れる吉弘兵を蹴散らしながら鑑連は進み、勝手に陣屋の中に入っていく。どかどか廊下を歩む鑑連に必死でついていく鎮信、そして備中。先々に立つ吉弘家臣団、みな鑑連を避けて道を作っていく。
広間に入るや上座にどかっと座る鑑連。対して、脇に座る鎮信。それなのに顔に怨みの色は見えない。稀に見る人格者だ、と備中は感心する。
「ワシの手の者が制圧していた宗像領を、古く澱んだ元の持ち主に返還する」
「う、伺っております。亀山城主の首と引き換えになさるおつもりだと」
「もう首は手に入れたさ」
「はっ!?」
心底驚いた、下腹部から響く声だった。
「随分前に、豊後へ送ったよ」
「それはまた……」
「なんだ?」
「……いえ、脅威が一つ無くなりました」
座ったまま反り返る鑑連。
「ま、安芸勢が去った後、宗像勢との和睦は停滞していた」
「はい」
「それもこれも義鎮が佐嘉での道楽に、ワシらが付き合わされたせいであるが、ここいらでケジメをつけねばならんかった」
「はい」
「安芸勢との戦いとて、元を正せば国家大友に逆らいし氏貞の討伐が始まりなのだからな」
「亀山城主の首は、宗像大宮司に斬らせた、ということですね」
「そうだ」
「大宮司殿も、よく承知したものです。片腕を切り落としたも同然でしょう」
「あの氏貞というガキもクズだな」
「戸次様、大宮司はもう二十四、五にはなっていますよ」
「そうだったかな」
「はい、我らも歳を重ねるわけです」
思えば、備中が出仕を始めた頃、鑑連はまだ三十代だった。今やそれが還暦が近い。思わず深々と頷いてしまった備中、吉弘嫡男がそれを見て微笑んだ。
さて、吉弘嫡男はいくつだったか。三十路に入ったのか。探る備中を置いて、話は進む。
「あれは少し押されただけで、恩人を斬る奴だった。この評判、もっと広めた方が良い」
「はい」
「よって、もう少し押そうと思う」
また生首を掴まされてはたまらない思いの森下備中、顔をしかめた。
「しかし、薦野殿が引き上げた今、あまり交渉材料が豊富とは言えません。豊後府内に人質が居る程度……」
「それだよ」
鑑連はどうやら自分で見たこともない人質を使って何かをしようとしている。それが何か、先回りして考えてみる備中。
「人質、ですか。亀山城主の償いに、返還して和議を結ぶのですか?」
「貴様……」
吉弘嫡男を怖い顔で睨む鑑連。威圧され、さすがに怯む吉弘嫡男。
「ワシの考えが全くワカっていないな」
「も、申し訳なく」
「亀山城主の首を斬らせた時点で勝負は付いているだろうが。おい、備中」
「はっ!はっ!」
「鎮信がワシと話しているからといって、寝ていたワケではあるまいな」
「もちろん起きています!はい!」
「ならワシの考え、ワカっているだろう。鎮信に披露せよ」
「は、はい……」
「……」
「備中」
「や、やはり確認を」
「早くしろ」
「は、はい」
備中を気の毒そうな顔で見るのは吉弘嫡男だけではない。吉弘家臣団みながその面持ちだ。
「ひ、人質の中に、大宮司様の妹御が」
「そう言うことだ」
鑑連によって、備中の話はそこで打ち切られた。さりながら先行して思考しておいて良かった、と一息吐く森下備中。
「……あっ!」
鑑連がなんと言おうと、鎮信は勘の悪い武士では無い。すぐに気がついたようだ。
「妹を返還する際に婚姻を条件にして、その引出物として返還した土地を正式に譲り受ける、ということですか!」
「貴様にしては上出来だ。さらに妹も相変わらず人質として手元に置いておける。一石二鳥だ」
「そ、それは難しいのではないでしょうか」
「いや可能だ。妹の評判を知っているか?」
「い、いえ」
「宗像家に取り憑いた怨霊、この話、聞いたことがあるか?」
鑑連が怪談を口にするとは珍しい。が、吉弘嫡男は、彼にしては珍しく手で鑑連を制して、
「戸次様、その話は止めましょう」
「ほう、聞いたことはあるか」
「はい。ですから、お願い、いたします」
「クックックッ、ワカったよ」
備中は知らなかったので話を所望しようかと思ったが、鎮信の顔は青くなっていた。宗像の地の霊験あらたかなるを感じる思いになる。
「ともかくだ。その妹には嫁の貰い手が無い。事情がある」
「はい」
「大友血筋の武士で、引き取り手がいればと思ってな。鎮信」
「わ、私には既に家内が」
「そんなことは知ってる」
鎮信の微妙な鈍さに呆れ顔の鑑連。そう、吉弘嫡男は臼杵弟の娘を娶っている。
「鎮理が今の斎藤の娘を離縁して、というのは?兄貴としてどう思う」
「う、うーむ。他の方がよろしいのでは」
「だが斎藤家は家格から言えば格下だ。大義の前に気兼ねは不要だ」
「いや……すでに子もいますし……」
「言っておくがワシだってそうだからな」
嘘つけ、と心の中で毒突く備中。それにしても、平気で他家の事情に口を挟む鑑連に、備中はハラハラが止まらない。
「そういえば吉岡ジジイの倅はどうかな」
「いや、あの方にも細君がありますよ」
「妖怪ジジイの陰に隠れて地味すぎるな」
「ははは……しかし、ご老中周りは当然みな妻帯者。もっと若い者が良いのでしょう」
「義統がいた」
「そう言えばそうですな」
「義統の相手としてはどうかな」
「大宮司の妹は二十歳は超えているはずでしょう。義統様はまだ元服したばかりです」
「クックックッ、ガキには年上の女が良いんだがな」
「まあ、それは確かに」
ふと、おや、と思う備中。この不躾な話を展開する鑑連に、吉弘嫡男はちょっと愉しげに付き合っている。下世話な話が好きなのか?それはワカらないが、きっと鑑連のことが好きなのだろう、と感じるのだ。自ら進んで、鑑連に話を振ってもいる。
「田原民部の倅が殺されなければ、押し付けていたのにな」
「まあその、ご冗談を」
「クックックッ!」
鑑連もきっと、吉弘嫡男を好ましく思っているはず。だからこその無礼なる振る舞いの連発なのだろう。
「ところでこの城、ワシが預かることに決めた」
「はっ?」
「決めたのだ」
話を急転回させた鑑連。傍で聞いていて、目が点になる備中だが、吉弘嫡男は背筋を伸ばし、改めて平伏した。
「はっ」
備中は驚いた。吉弘嫡男は鑑連の要求を受け容れると言っている。
「異存は」
「無論、ございません」
鑑連は頷いたりはせず、吉弘嫡男をじっと見ている。一方の吉弘嫡男も、鑑連を見ている。それは睨みあいではなく、真意の伝心というべきもので、二人の男の間には、敬意が通じ合っているように、備中には見えた。
「よし」
「はい」
澄んだ声を返した吉弘嫡男へ、鑑連は彼にしては穏やかな口調で曰く、
「吉弘鎮信。ワシは貴様の能力への善報として、ワシの後任としての老中の地位を譲る」
「えっ!」
「老中は吉弘家初だろう。精進するように」
「あ、ありがたきしあわせにございます」
「気のない返事ではないか?」
「い、いいえ」
「この話、ご破算になることを警戒しているのか?」
「そんなことはござ、ございません」
「ふん、まあ見ていろ」
展開が速すぎてついていけない備中は、黙っているのみ。しかし、孤高の主人が意外な所で持った意外な師弟関係を前に、その野心を前にした危うさは薄らぎ、心和んでいくのを感じるのであった。




