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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
元亀年間(〜1573)
247/505

第246衝 赤司の鑑連

 筑後国、赤司城(現久留米市)


 長く続いた戦いの後、鑑連は拠点を筑後においた。誰に請われた訳でもなく、鑑連がそれを希望したのだが、文句をつける者はいない。


「殿、問本城から必要な人も物も、全て引越しが無事完了しました」

「そうか」


 筑後川を北に移ってまだ間もなく、将兵が滞陣の疲れを癒している頃、備中は一つの知らせを鑑連へ持っていく。


「殿、本国豊後より良い知らせです」

「吉岡ジジイが死んだか」

「い、いえ。ご、ご懐妊していたという御台様が無事お子を……」

「そうか。女子か?」

「は、はい。女子ということです」


 なぜワカったのか、訝しむ備中。


「義鎮は多産だな」

「は、はい。御台様も健気な方だと」

「健気か」


 少し考えた鑑連、


「知ってるか備中。御台は義鎮が乞うて奥に迎えたのだ」

「そ、そうなのですか」

「その容色巧みさ国東一と評判だったからな」

「な、なるほど」

「その時、夫がいたのにだ」

「え!」


 驚きの備中。


「クックックッ、知らなかっただろう。ちなみに子供もいた。慇懃無礼な貴様に、容認できるか?」

「も、もちろんです」

「まあ、この場合、子が居ることは大きい。一度産んだのだからまた産めるだろうということだ。実際そうだった」


 備中の脳裏に、寂しげに国を去る入田の方の姿がちらついた。政争の犠牲となり、子を為さず追放されたあの日からもう十三年経つ。表情が顔にでることを避けるため、意識を鑑連へ戻した備中。


「義鎮公は、ど、どう交渉されたのですか」

「簡単なことさ。大友家督の名を出して、譲らせたのだ」

「げ……」


 富者でない備中、義鎮公の行いに嫌悪感を催すが、


「彼女はそれを喜んだというからな」

「ええっ!な、なぜ……」

「父も兄も、家族が皆喜んだからさ。無論、自身の野心もあるだろうが」

「……」


 備中も知っている。父とは奈多宮の宮司であり、兄とは田原民部その人なのだ。


「備中どうだ?その上での多産、やはり健気かね?」

「……」


 どうにも考え込んでしまった備中。聞いてみれば、自身の道徳で単純に測れる出来事ではなかった。悩める下郎の顔を見て、鑑連はすこし愉快げである。だが、


「や、やはりけ、健気だと」

「ほう。一周回ってもか」

「は、はい」


 今度は鑑連が考え始める。備中が単純に考えたこと、義鎮公と御台の婚姻はもう二十年近く前のことのはず。御台は子を伴って嫁いできた。それでいて、まだ子を為している。夫の為に、できる限り子を恵みたい、という思いによっているのではないか。


「と、殿」

「うん?」


 考え続けていた主人鑑連へ、自身思い至った事を伝えてみると、意外な答えが返ってきた。


「多産ということは、実際に夫婦の関係も良いのだろうな」

「は、はい。きっと、敬意と思い遣りが……」

「どちらか片方が強く懸想するだけでは、そうはいかんものだ」


 鑑連の常識的な回答に、驚いた備中、悪鬼のような主人にも、人としての感情が備わっているのだった、と喜びを隠せない。


「何をニヤついている」

「い、いえ。格段のことでは……」

「?」


と、そこに問註所御前が赤子を抱いてやってきた。備中、思わず体を硬くする。義鎮公夫妻と異なり、この夫婦に敬意と思い遣りが伝わっているか。


 御前の腕にいるお包みに抱かれた子が、備中を見て笑い、声をあげ、手を振った。


「そう言えば貴様、誾千代に気に入られていたらしいな」

「え!」

「誾千代を渡せ」


 柔らかく笑う問註所御前、誾千代を鑑連に渡すと、鑑連は子を備中に渡す。おっかなびっくりと、それを抱き上げる森下備中。


「あやせ」

「えっ?」

「ほら、あやせよ」


 腕の中の子が笑っている。実に可愛らしい。流石にあやすしかなく、備中不意に、変な顔をしてみる。それを見て、キャッキャ弾ける赤子の笑顔が眩しい。


「クックックッ!」


 鑑連の不敵な笑いに、問註所御前の笑い声が乗っている。良い夫婦をしている、部下の苦労も知らないで、と心中毒づく森下備中。ふと、赤子の目の虹彩が光った。誾千代の目の中に、虹がかかっていたように思えたのだ。


「備中どうした」

「い、いえ。そのおメメに……」

「おメメ?クックックッ!」


 その間抜けな言い方に、さらに微笑む問註所御前。母が笑えば子も笑う。悪鬼も笑うのだ。笑う赤子の眼を覗いてみると、もう虹は見えなくなっていた。


 そこに内田がやってきたらしい。障子の外から声がかかる。


「殿、申し上げます」

「なんだ」

「小野殿がお越しです」


 小野甥が来たという。亡き親貞公の隊の始末がついたのだろう。


「広間へ通せ。備中、来い」

「は、はっ!」


 鑑連が障子を開くと、内田が悔しそうな顔で備中を睨んでいた。備中は備中でそんな顔をされても困るなあ、という態度を示すと、内田が歯ぎしりをしたようで、妙な音が響いた。次いで、誾千代が大きく笑った。鑑連は内田へ命ずる。


「誾千代の相手をしていろ」

「わ、私がですか」

「そうだ」

「こ、この内田左衛門尉鎮次感嘆の極み……」


 勝ち誇った顔で備中を見た内田、古典的な術で誾千代をあやし始める。誾千代は喜んでおり、赤子には周囲の不和を消し去る力があるのかもしれない、とどしどし進む鑑連について行きながら、備中は独り言ちるのであった。

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