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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
元亀年間(〜1573)
246/505

第245衝 新手の鑑連

 鑑連が呼びかけた佐嘉城への攻撃は不首尾に終わった。追撃を受けた臼杵隊はさらに東へ後退し、もはや城の東側の包囲陣は形を為していなかった。結局、兵力が足りずに支援の兵を送れなかった西の梶峰城は佐嘉勢を支持する群に襲われ、落城した。


 もはや大友方にやるべきことはない。陣の空気は、口には出さねど、完全に和睦へ傾いていた。そこに、


「申し上げます!高良山よりお使者が」

「嫌な予感がするぞ」


 それは田原民部からの使者であった。差し出された書面に鑑連の目が走る。


「ぐっ」


 鑑連が小さく呻いた。仰け反ったようにも見えた。そのまま、しばらく時が止まる。備中も、使者も、他の幹部連も固まったままだった。足が痒くなってきた備中、爪を伸ばそうとした時、


しゅー


 それは鑑連の鼻息であった。溜息を嫌悪する鑑連は、胸のムカつきを抑えるために吸い込んだ空気を、全て鼻から放出したのだ。主人の異変に気がついた森下備中。そして鑑連曰く、


「田原民部からのこの提案……いや何でもない。ワシに異存はない」

「ありがとうございます」


 あっさりと承知した鑑連。やはりこの戦役が他者の主導である以上、こだわる理由もないのだろう。


「田原殿は高良山へ来ているのか?」

「いえ、本国豊後におります。ですが、高良山には宗麟様が配置された陣があります故」

「それで連絡が早かったということかな」

「はい。それでは急ぎますので」

「もう一つ、高良山に角隈殿はまだ御滞陣かね?」

「いいえ。真夏になる前に、豊後へ戻ったと伺っています」

「そうか」


 田原民部の使者が去った後、陣の空気は些か弛緩したようだった。佐嘉勢も和睦を望んでいる。第二次佐嘉攻めはこれで終わりとなるだろう、と皆が考えていたた。


 黄昏の中で、内田が独り言ちる。


「佐嘉勢も無傷ではない。勝者のないまま終わるのかな」


 内田のように、鑑連と備中の存念までは知らない者にとってはその通りだろう。だがしかし、吉岡と臼杵弟の陰謀が行われたとする立場に立てば、判断は一変する。この戦、国家大友における最大の勝者は、田原民部その人ではないか、と備中は考える。手を汚すことなく、潜在的な競争者になり得た親貞公を退場させ、現任老中筆頭吉岡の引退は目前のまま、臼杵弟は軍事上の失敗を負うこととなった。親貞公を失った義鎮公も、敗北したと言える。


「しかし……親貞公か。いきなり現れて、いきなり去られた。謎な御方だったな」

「……我ら一同、悼むべきなのだろう」


 鑑連の考えに従えば恐らく、臼杵弟の背後にいる吉岡は、田原民部と取引を行った。具体的にそれが何か、はなんとも言えないが、両者の握手は義鎮公を前にある方が自然というもの。ついに真の体制側へ取り込まれた吉岡。鑑連は臼杵弟へ、お前はハメられたと言い放ったが、今回最も損な役回りを演じるハメとなった臼杵弟へ、吉岡も何かの形で報いることもあるかもしれない。その吉岡が交渉する相手は、田原民部しかいなく、とすれば、それは田原民部による政権掌握そのものだ。


「ところで、今年の戦はこれで終わりだろう。果たして来年は、どことやり合うのか?」


 義鎮公は親政を志向している。その手足となるのが、田原民部であり、新たに老中となる朽網であり佐伯なのだろう。


「肥前で戦が続くか、それとも海を越えた伊予か、はたまた南の日向か」


 義鎮公にとって、掌握し辛い鑑連はさぞ目障りだろう。他方、田原民部にとってはどうだろうか。二人は何度か折衝を持っているし、以後も交渉を行う余地は大いにある、と備中は考えている。


「それよりも、筑前の抑えが肝心だ」


 和睦が成ったとはいえ安芸勢は健在だ。高橋鑑種や秋月勢への備えは欠かせないし、征服に失敗した佐嘉勢への警戒も必須となる。


「安芸勢がまた出てきても、最初から殿が全てを仕切れれば良いのですが」


 となると、誰かが筑前筑後に駐留しなければならない。筑後の豪族の妹を継室に迎え、すでに戸次本家から独立した存在である鑑連以外の適任者が豊後国内にいるだろうか。


「うんうん」


 今回の一件で、臼杵弟に筑前を諦めさせる案は既に鑑連へ伝えてある。脅迫により道筋も整った。両筑における義鎮公の代理人という公的な立場があれば、その実力によって長く続いた争乱にもケリをつけることができるだろう。戦続きだった戸次家この十数年の努力がようやく報われるというものだ。


「よし、これしかない」

「なにが?」


 幹部たちのおしゃべりを半分聞き流していた森下備中。鑑連の視線を感じた。備中を見ていた。すぐにでも提案したいが、他の幹部どもが邪魔だった。


「お、おそれながら殿……」

「ワカっている」


 その声に言い噤んだ備中だが、鑑連は確かにそう言った。幹部たちには伝わっていない。彼らは目をパチクリさせているだけだ。鑑連が全てを承知しているのであれば、差し出口も必要ないだろう。


「ワカってるとも」


 鑑連は常より冷たい表情をしているが、表に感情が現れてもいた。


「来て、また来て、獲るもの無く去る。付き合わされた身としては、この損失を回収せねばなるまい」


 この軽蔑の感情を、主人がどのように持て余すのか、または利用するのか、主家と自身の将来の展望を想像して、気持ちが愉快になる森下備中であった。



 肥前が夏から秋へと移る階調の中、大友方と佐嘉勢は和睦に至った。春から半年以上に及んだ佐嘉城包囲陣は解かれた。豊後勢は居心地悪く、肥前の国から引き上げていった

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