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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
元亀年間(〜1573)
224/505

第223衝 回視の鑑連

「背後より敵襲!」

「えっ!」


 夜。見張りが叫んだ。陣内にておどろきとまどっている備中だが、あっという間に飛び出していった安東と内田はさすがといったところ。文系武士の備中はそんな二人をひとしきり賞賛した後、鑑連の顔を見る始末。しかし主人の表情は平然たるものであり、


「備中、馬を引け」

「は、はいっ、ははっ!で、ですが敵が」

「その敵を見るためだ。早くしろ」

「はっ」


 これまで色々あった主人鑑連だが、こんな有事にはその近くにいることが最も安全なのかもしれない、と独り言ちながらいそいそと熊黒鹿毛を用意する。鑑連は軽々と乗り、戦場を眺め始める。


「背後からだが、あれは佐嘉勢だな」

「かかか川を越えて背後に回ったのですか」

「この辺りはヤツらの庭だ、と誇示しているのだろうよ」

「なるほど……」


 備中は鑑連の次の言葉を待つが、馬を繰って戦場を観察するのみの主人。危機はさほど迫っていないのかもしれない。


「敵は寡兵!持ち場を死守!呼吸を整え迎撃せよ!」


 由布の太鼓のように轟く大声が聞こえてくる。戦場での由布は常日頃の寡黙が信じられないほどの気迫で、まさに武者の中の武者である。


 戦場の様子に安心した備中、ふと気がつくと、馬上の鑑連の手から火花が散っている。あっ、久々の小筒、と銃口の先を見るや、闇の中に不審な影があった。


 銃声と閃光が走ったとたん、不審な影は怯んだようであった。一瞬見えたその姿、黒装束はつけていない、足軽風の男だ。逃げ出そうとしている。


「とと、ととと捕らえ!」

「捕らえんでよい」


 その命令の理由までは備中にはワカらなかったが、佐嘉の女間者に命を奪われかけた過去を思い出し、追撃は不適当、と判断。。


「さ、佐嘉勢の間者ならば、殺しておいた方が良いかもしれませんが……」

「ほう、らしくないことを言うのだな」

「は、はい」

「だが、あれは佐嘉勢の間者ではない気がするな」

「で、では安芸勢!」

「ワカらん。ワシの命を狙う風ではなく偵察のみの気配だった。まあ、放置で良い」

「は、ははっ」


 内田が走り戻ってきた。


「今の銃声!ここにも敵ありや!?」

「無い。佐嘉勢の動きは?」

「はい、我らの迎撃により引き始めました」

「損害は?」

「負傷者はおりますが軽微!」

「確かか?」

「確かです。すでに由布様がご確認済です」

「よーし。敵の逃走経路について報告しろ」

「西の野原です。目下、安東様が追撃を」

「西?」


 少し難しい顔をする鑑連。


「敵襲が西肥前、東肥前の衆によるものである可能性は?」

「そこまでの確認は出来ませんでした」

「当て勘で。どうだ?」

「……いいえ、私は違うと考えます。恐らく迂回してきた佐嘉城の兵です」

「よし。秩序の維持に戻れ」

「はっ!」


 陣を飛び出していく内田。自身の戦場での振る舞いと比べれば、この同僚が非常に優れた武者であることがワカる。微妙に競う仲でもあり、密かに劣等感を抱いている備中だが、文系武士ならではの働きを示さねば、という気概は起こってくるというもの。


「殿。逃走経路の再確認はもう不可能でしょうが」

「状況から推理するぞ」

「はい」


 これだ。これこそが自分の仕事だ。高揚感に満たされた頭脳を備中は回転させる。


「一つに安東の追撃次第だ。あれは恐らく、こちら側の肥前衆が裏切りをまず疑う。内田とは異なる見解だが、よって戻るまで時間がかかるだろう。そしてワシは内田の考えが正解だろうと思う」

「私もです。当て勘ですが」

「ワシは経験に裏打ちされた論理的思考によって、だ」

「は、はひ」


 恐れ入ったフリをする備中。論点を佐嘉勢が何を考えているか、に絞る。


「佐嘉勢は、義鎮公が殿を中心に据えていない、とは気づかないでしょう」

「ほう」


 嗤う鑑連。やや自嘲的な感情が見える。


「佐嘉勢は間者を活用する方だ。知りようはあると思うがね」

「ですが大友方最高の武将である殿が出陣していながら用いられないなど、常人は思わないはずです」

「常人の貴様が言うのだから、間違いはあるまいな」

「あ、あ、あと先の間者です。あれが佐嘉の者でなければ、今の奇襲も情報の収集を兼ねていたのではないでしょうか」

「ふん」


 佐嘉の間者か、他所の者かはワカらないが、僅かに横を向いた鑑連曰く、


「かもしれん」

「この佐嘉攻め、今の戦いで全ての隊が戦闘をしたことになります」

「だからなん、いや、違うぞ備中」

「えっ?」

「情報の収集についてだ。それを間者でなく武士どもがする。今の佐嘉勢、きっと裏切者が相次いで他の余裕が無いためだが、攻撃の鋭さと引き際の速さ、完全に狙った奇襲だったぞ」

「狙った……あっ、まさか!」

「そうだ。敵はこの陣に大将がいると踏んだのだ」

「そしてそうでないことに気がついて、すぐに引いた……」

「クックックッ。今の佐嘉勢、きっとあの時の夜須見山の秋月勢と同じ気分だろうよ」


 空を見上げる鑑連。星が瞬いている。


「晴れてはいるがな」

「で、では急ぎ義鎮公に言上を!」


 仮に義鎮公がこの戦場で討たれれば、国家大友はどうなるのだろうか。後継者はいても、宗家の力が失墜し、有力者同士の内乱になるかもしれない。


「クックックッ」


 それとも主人鑑連にとってはその方が都合が良いのだろうか。であれば義鎮公に報告はしない、という道を選ぶかもしれない。心配になる備中、注進を為す。


「こ、今回いわゆる本営はまだ高良山にあり、戦役の主催者である義鎮公は戦線を視察する為、吉弘様あるいは臼杵様の陣に寄寓を続けています」


 鑑連であれば、これだけでワカってくれるはず、と備中は主人を信じてみる。すると、


「いまどちらの陣にいるかワカらんが、敵の狙いを知らせてやるか」

「は、はい!」


 主人を信じて良かった、と笑顔になる備中。そんな下郎にやや照れたような鑑連曰く、


「行ってくる。貴様は残って由布らに今の推理を伝えろ」

「はっ!」


 鑑連は幾らかの手勢を連れて嘉瀬川を渡って行った。幹部連の確実な働きにより戸次の陣は混乱も無く秩序を維持していた。



 朝、鑑連が戻ってきた。なにやらずっと嗤っており、


「クックックッ」

「お、お帰りなさいませ」

「義鎮め、嘘をついて体調が悪くなるとは、わりと善人なんだな」

「う、嘘?」

「間者についての心当たりを聞いてみただけだがね」

「……」


 一瞬考えた備中だが、あっという間に前後の事情がつながってしまう。


「え!」

「他言無用にしておけよ」

「し、しかしその!その……」


 まさか義鎮公が主人鑑連に間者を放っていたというのか。疑心を持たれるに至ったのは、鑑連の性格のせいだろうが、口には出せない森下備中。


「佐嘉勢の奇襲について伝えたら、震えてたよ。それで豊後へ戻る気になったらしい。先の件と合わせて、顔が青くなったり白くなったりしていて、見ものだった。クックックッ」


 義鎮公が豊後へ戻る。しかしこの佐嘉攻め、そもそも義鎮公が開始したもの。始末をどうつけるのか。


「で、ですが、義鎮公が豊後へ戻るとなると、逃散する兵どもが増える恐れが……」

「なに、雑兵どもが居なくなればかえってやりやすい。兵糧物資全てがタダではないのだからな」

「ふ、副将の任命は」

「無い。各々協力して事に当たるべし、とさ」

「そ、それは……」

「吉弘と臼杵への配慮だろうよ。我儘を通す姿勢は悪くないがね」


 しかし戦場の指揮命令系統は宙に浮いたままになる、ということである。誰が肥前の諸勢力へ指示を出すのか、誰が軍略を決めるのか、義鎮公は全てを放り出して独り安全地帯へ帰る事になる。


「……」


 だが、義鎮公の安全を優先した主人が間違っていたと備中には思えない。この二律背反を鑑連が予想していたのだとしても。


「ふん」


 小さく鼻を鳴らした鑑連。主従は行き場のない同じ感情を抱え、ぼんやりと嘉瀬川の流れを眺めていた。

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