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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
元亀年間(〜1573)
223/505

第222衝 元亀の鑑連

 その春、永禄から元亀へ、元号が改まった。京からの便りを戦場で知る戸次武者たち。


「我らにとって戦続きの永禄は十三回目にして改まったか」

「だがね、都でも事情は同じらしい。聞けば止まない戦雲を払うため、公方様から御上への言上による改元だって」

「天下の静謐を守る将軍家も大変なのだろう。が、我らは勝てばそれでいい」



「チッ、この位置は全く戦いに絡まんな」

「はい。吉弘隊、臼杵隊や肥前の衆は幾度か城壁に仕掛けておりますが、我らは未だ」

「義鎮め。ワシを後詰として使うつもりか」

「しかし敵の守りも堅いようです。もう何度目かの攻勢を跳ね返しています」


 鑑連は幹部連を従えて嘉瀬川向こうの戦場を睨む。川を挟んだ隣には、吉弘隊が陣を構えており、鑑連はさらに左岸側を向いて鬼の形相だ。


「吉弘め。病人のくせにでしゃばりおって」

「……吉弘隊の動き、常よりも滑らかです。命令も行き届き、行動に一貫性と持続力が増しています」


 由布の分析に対して鑑連は肯定しながらも嗤う。


「実務を倅に委ねているのだろうよ」

「ほう、鎮信様にですか」

「どう見ても、戦場での才能は倅のが上だ。間違いなくな、クックックッ。だからとっとと隠居すれば良いのだ」

「い、隠居されても殿のように戦場にお出になる道も、あるのかもしれません」

「クックックッ!隠居してますます強くなるのはワシくらいなものだ!」


 確かに益荒男ぶりでは鑑連の右に出る者はいないだろう。


「そう言えば、高橋勢の旗も見えますな」

「む」

「……兄に従って懸命に戦っている」

「吉弘一門の美しき兄弟愛ですね」

「吉弘殿は嫡男、次男と才能のある後継者に恵まれていますな。備中もそう思うだろ?」

「えーと……」


 自然とそう話す幹部連だが、備中のみ、その話題から離れた。男子の居ない鑑連の妬み嫉みを刺激することを恐れたのではない。筑前岩屋城を横取りした吉弘一門への怒りが爆発することを恐れたためだ。案の定、鑑連は思い出したように曰く、


「備中、吉弘は挨拶にもこないようだが」

「な、何度か殿が追い返してしまわれましたが……」


 場に沈黙が広がる。どうやら鑑連は忘れていたようだが、


「それでも続けて顔を出しに来るくらいの誠意がなければならんだろうが」

「は、ははっ」


 警戒していたのに、主人の矛先が向いてきた。これは危険だ。


「備中、挨拶に来させろ」

「ええっ!」

「吉弘の者どもめ。誰のおかげで今の名声があると思っているのか!」

「で、ですがそんな……」

「備中、ワシと吉弘一門、友好を深めよとはそもそも貴様の口から出たことだろうが」

「……」

「いつまでワシが奴らを扶持してやらねばならん。ん?いつまでこちらが負担に耐えねばならん。ん?次こそは奴らが負担する番のはず。それが親睦を深めるということではないのか貴様!」


 いきなり激昂する鑑連。言い出しっぺは貴様、とまで言われ、それを否定する度胸と修辞力を備中は持ち合わせてはいなかった。



「と、というわけで参りまして……」

「それはご苦労なことだった」


 実に気の毒そうな顔の鎮信である。老いと病で衰えた父に代わり、前線での指揮に汗し、労苦を知った顔をしている。急な来陣、無理な依頼に時間を割いてくれる鎮信は人格者だ、と備中は心中目の前の人物を祝福するしかない。


「しかし困ったな。宗麟様からは間断なく攻めろとのご指示が来ていてね。正直、戸次様に挨拶をしている余裕が……」


 困り顔の鎮信である。確かに、一度でも鑑連の前に行ってしまえばなかなか帰陣できない可能性がある。それを危惧してもいるのだろう。


「それでは備中殿、とりあえずは私の弟を送る」

「よろしいのですか。弟君も隊を率いておいでです」

「何、高橋隊は上下の結束を深める目的で出陣しているのだ。それぐらいは良いだろう。父の名代は私なので、その私の名代という立場だ」

「な、なるほど」

「私が至らないばかりにご不便をおかけしている。よしなにな」

「はっ!」


 しばらくして吉弘次男が戻ってきた。兄から言葉をかけられると、すぐに備中へ向き直り、近づいてきた。


「戸次様へのご挨拶、私で務まるか不安ですが精一杯頑張ります」

「お、お手数をお掛け致します。では」



 鑑連の前で平伏する吉弘次男。


「鎮信はそなたを送り込んできたか」

「戸次様のおかげさまをもちまして、兄は宗麟様からの指令をこなす日々を得ました。前線で働ける名誉、何もかも戸次様のご配慮によるもの、と日頃より兄だけでなく父も話しております」

「そなたはどう思うかね?」

「同じように思っております」

「それは結構」


 思ったより穏やかに話が進みそうでホッとする備中。が、激流は急に起こるもの。


「そなたの兄は臼杵殿の娘を正室としているな」

「はい」


 そう言えばそうだ、と備中は大友家中の複雑な婚姻関係に頭の整理を行う。


「ワシは臼杵殿の慎重がそなたの兄に影響するのではと心配をしている。なんといっても、戦場における臼杵殿の活躍を知る者、この鎮西には皆無だ」

「臼杵様は冷静な中にも激情を秘められた方とお見受けします」

「冷静と激情か。これは相反するようだが共存可能な概念だ。ワシを見ればワカるだろう」


 両腕を広げて悪鬼面となる鑑連。一方の吉弘次男は、若者らしくなく落ち着き払って曰く、


「戸次様は容赦なくお振る舞いになる時と、極めて思いやりを示される時がある、と兄は常日頃述べております」

「ほう、鎮信がそのようなことを」

「兄にとっては戸次様臼杵様、どちらも手本として日々精進しております」


 おお、と幹部連はみな感心する。相手を立てて、兄をも立てる。本心から思っていなければ、出てこない言葉ではないか。


 鑑連も、吉弘次男の回答に満足を得たようだった。


「手本とするならワシのみにしておけ、と兄貴に言っておけ」

「承知しました」

「戦場へ戻れ」

「はい」


 思ったより早く終わった、と安堵した備中だったが、主人には追撃の癖があることを、すっかり忘れていた。後ろを向いた吉弘次男に鑑連、声をかけて曰く、


「鎮理」

「はい」

「クックックッ!」


 いきなり悪鬼が邪悪に嗤う。


「鎮理だと?貴様は鎮種ではないのか?」

「……」

「答えろ」

「はい、仰せの通りにございます」

「かつてワシはこの流れで貴様の親父の顔面に喝をくれてやったことがある」


 今、その話をなぜするのか、とハラハラが止まらない備中。


「知っているな」

「はい、兄から聞いております」

「夜須見山のお礼参りだった」

「当然のことだと思います」

「永禄十年のあの夜、貴様は何処にいた?」

「父、兄とともに、あの戦場に」

「であれば貴様も同罪だ」

「はい」

「貴様も兄貴も親父も、ワシに債務を負っているということだな?」

「はい」


 二人の会話のほか、陣内は静まり返っている。全員が茫然自失としているからだけではない。このような事態にあっても、吉弘次男が微動だにしていないためだ。誠に冷静沈着な若者である。


「それに比べ、ワシこそがあの高橋鑑種を降伏に追いやった者。あの立花鑑載を討ち取った者だ」

「はい、承知しております」

「それが貴様が高橋家を継承しただと?誰の許しを得たか!」

「宗麟様の御命令によって、です」

「知っている。だからワシの功績を横取りした貴様ら吉弘一門は、ここでは全く歓迎されん」

「ご無理のないことと、存じます」


 無理のないことなのか、と驚く備中。明鏡止水で虚心坦懐な若者は惚れ惚れするほど晴雲秋月だ。


「ではその肝に命じておけ。鎮理。負債は必ず返さねば、とな」

「はい、必ず」

「今の言葉の重さを忘れるなよ」

「はい」


 鑑連の問いかけに対して律儀に揺るぎ無く返事をした吉弘次男。


「つまみ出せ」


 自ら進んで由布が応対する。無論、つまみ出したりなどはしない。せめて、と礼節を整えて吉弘の陣へ送り返すのであった。


 一方の鑑連は文句を吐けて気が晴れたのか、しばらくはご機嫌な日々が続いた。

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