第220衝 神埼の鑑連
昨年と同じ場所から戸次隊は渡河を開始。大友方で最初に肥前入りした隊となった。熊黒鹿毛に乗り武者たちに堂々たる威姿を見せつける鑑連へ、戸次武士たちは歓声をあげる。馬の世話を続けていた備中も、感無量であった。
戸次隊に北西の方面から横付けしてくる一隊があった。見ただけでそれが何処の隊かワカる備中、
「殿、吉弘隊です」
と好意に満ちた声で報告する。吉弘家と親睦を、とは備中が望み続けてきたことであるが、近年吉弘一族の鑑連に寄せる好漢度には極めて高きものがあると感じていたからだ。自分が主張してきたことが実現して、またしても感無量の備中であるのだが、
「殿、私、挨拶をして参ります」
「不要だ」
「……」
当の鑑連は吉弘一族への怒りを隠さない時もある。やはり、立花山城と岩屋城の城代の地位を奪われたことが未だ飲み下せないのだろう。
「と、殿。ですが」
「貴様が勝手に挨拶をするのは認めてやる。が、もう貴様の座は無いと思えよ」
「……はっ」
吉弘隊は適度な距離を置いたまま並走行軍を続ける。それは見事な動きであったが、打合せもしていないのにこれはしたり、と備中訝しく思っていると、ふと馬上の由布と目があった。
「……」
なるほど。恐らく由布が先方へ伝達の使者を送ったのだろう、と備中は確信し安心した。由布の配慮は見事で、もしかしたら自分と心が通じ合っているのかもしれない、
そうして進んでいると、戸次隊の後ろにも小隊がついた。橋爪隊である。
「橋爪隊がいやに距離を詰めてきていますが……」
「敵襲の情報でも入ったか」
すると、橋爪殿その人が戸次隊を訪ねてきた。
「戸次様におかれましてはご機嫌麗しゅう」
畏まった言い方にびっくりする戸次武士一同。思えば、そも橋爪殿は鑑連に対して他の諸将らに比べて良好な感情を抱いている様子であったが、
「橋爪殿、高橋鑑種殿は息災かな」
「はい、戸次様のお陰をもちまして、命永らえているようです」
と先の戦いの戦後処理について大いに感謝をしている様子である。高橋殿の助命を願い続けていたこの人物にとって、鑑連は恩人なのだろう。田原常陸の時といい、感激をしやすい性質の橋爪殿、頭を下げて曰く、
「厚かましくも、今日はお願いがあって参りました」
「何かね」
「この度の戦役に関することです」
「ほう」
義鎮公に近い立場である橋爪殿が一体何の用だろうか、と一同興味を深める。曰く、
「佐嘉勢相手に勝利は約束されているようなものですが、宗麟様から副将のご任命が未だありません」
「そのようだな」
「そこで、その任を戸次様が受けてくださるのなら、有志を募ってご推挙致そうと……」
幹部連もその提案にほほう、と関心する。なかなか思い切った提案だが、戦場に資すること間違いない。が、当の鑑連は無感動に曰く、
「いやいや。ワシなど不適当だ」
「いえ、戸次様しかおりません」
「我が方には勇将名士がひしめいている。もっと言えば、そなたでも副将の任を全うできるに違いない」
「いやあの、戸次様しか、お、おりません」
奇妙な譲り合いが続く。どうやら橋爪殿は好意故、鑑連は軽蔑故。熱が入っていない主人の猿芝居を備中は楽しげに見つめる。何をお考えなのだろうか、と。
結局、鑑連から副将就任の言質を取ることなく、橋爪は帰っていった。義鎮公の側近を追い払ってご満悦の鑑連は、
「あのお人好しめ。しつこかったな」
軽蔑強く嗤う鑑連へ、由布が曰く、
「……義鎮公の側近たちですら、副将の任命がない事に不安を感じているようですね」
「な」
「……この戦役、時間をかければそれだけ不都合が出てくるかもしれません」
由布の提言は決して無下にはしない鑑連だが、
「義鎮めが恥をかくだけさ」
と珍しくも容れなかった。無表情な由布は、何か思案を重ねている様子だ。どうすれば鑑連に意地の張り合いを辞めさせるか、由布はまともな人間だからきっとそのことを考えているに違いない、と思いを巡らせる備中であった。
前年の佐嘉攻めで大友方へ降伏した諸城は先を争って降伏せんと、戸次隊を訪れる。彼らの不義理を鑑連は鉄扇を突きつけて問い詰める。
「おい、戦わずして降伏するのか」
「うちたちは戦いば望んでおらん。佐嘉ん棟梁ん宗麟様に何か失礼なことがあったんなら、詫びっべきは棟梁やて考える」
「一年前佐嘉方を裏切り、その後大友方を裏切り、また佐嘉方を裏切る。良心の呵責って知ってるか?」
「恐れ入りましてございます。佐嘉ん棟梁に非があるぎー、都度お諌めしてきたんやが……力、及ばず」
「今回もワシらに降伏するそうだが、ワシらが去れば、また佐嘉の棟梁に頭を下げるのだろう。そういう生き方、どうかと思うがな」
「力無き者ん地ば這う如き生き様ば笑うてくれん」
「クックックッ!どうだ満足か?」
「……」
降伏してきた土豪の相手をすれば、進軍に時間がかかる。そんな戸次隊の横を、抜けていく一隊がいた。それは、佐嘉城向けて意気揚々と進軍するのは義鎮公その人であった。それを見て、イライラを募らせた鑑連。毒を吐く。
「義鎮め。備中、あの姿を見ろ」
公は麹塵色の法衣を纏い、見るだけで品の良さが伝わってくるが、
「罪障消滅を願って、法衣姿で出仕されてはいかがですか?とでも誰か言ったのかな」
「ど、どうでしょうか」
「田原民部か、それとも石宗か。やはりワシの予言は当たりそうだ」
返事のしようがなくたじろぐ備中。と、そこに。
「戸次様。やはり武士は当世具足がよろしいでしょう」
話を聞いていたのか、弾んだ声で近づいて来たのは当世具足で身を固めた吉弘嫡男だった。作った陽声であること明らかだが、親睦を深めるつもりなのだろう。対して鑑連はピシャリと否定して曰く、
「貴様も来ていたか。隊を率いているのは親父だろう。具合はどうかね」
「はっ、お陰様をもちまして父の具合は」
「そんなことより、武者どもを統率するには大鎧が一番だ。貴様のその格好は最低だな」
配慮をぶった斬る鑑連に、その場の全員が絶句する。吉弘嫡男と言えば、昨年来の感謝があるのだろう、おずおずと頷くだけであった。
「な、なるほど」
「親父の病が再発するまえに筑前に帰ってはどうかね?」
「はっ、いえ。出陣は父の希望でして」
「病弱な親父のために、あの衣装持ちから陣羽でもねだってみろ。少しは見直してやるぞ。ん?」
「失礼、これは失礼。戸次様」
何故か橋爪殿もやってきた。主君義鎮公は遠くから見て噂するのが似合っているのだろうか。
「また来たのか」
「いえですね。今やその名も懐かしき立花殿は具足の上に陣羽織を羽織っていましたよ。博多風なのか、あれは酷く洒落ていて記憶に残っているのです」
「だまれ!」
「し、失礼いたしました!」
誰もが額を抑えて呻きたい、というような顔をする。鑑連の前で今は亡き立花殿の良き話が盛り上がるはずないのに。この橋爪という人物、空気が読めていない、と備中ですら心中の軽蔑を深めた。
吉弘家の者から今の筑前の話を聞くだけで、不愉快千万であるはずの鑑連、喝撃でその話題の流れも粉砕した。
鑑連がこの有様では、この戦役の行く末がとことん不安になる備中。平和な佐嘉の平野を呑気に進む義鎮公の一隊を見て、悪い予感に身をよじるのであった。




