第211衝 孤飛の鑑連
初冬、宝満山城はついに開城した。謀反を起こしてから、二年と半年後の開城であった。長くこの峻厳な山城の主人であった高橋殿は、僅かな供を連れて陸路筑前を離れることとなった。それに従う高橋家臣団はほぼ無く、高橋殿が一万田家から従えてきた家臣らが、行く宛はあると主張する主人に従って落ち延びていく。敗将に配慮した鑑連が護衛の兵をつけようとすると、
「これが今生の別れになるので」
と橋爪殿が自らそれを買って出た。義鎮公の近習衆でありながら宝満山城開城に努めた功績を認め、それを許した鑑連だが、
「高橋め。かつて降伏した菊池の殿を始末したのがワシであったことを、思い出したのかもな」
と呟いた。それはやや寂寥を帯びた声であり、つまり主人には高橋殿を害する気持ちは無かった、ということだろう。
だが宝満山の攻城解決は、この戦乱の終結を意味する。備中の心は喜びに満ち溢れていた。問本城には、鑑連が公式に認めている妻子が待っているのだ。どの様な経緯があろうとも、女児であっても、鑑連にとって初めてとなる子だ。その顔が見たいに違いない。ウキウキした備中、早速水を向けてみる。
「殿」
「備中、内田を呼べ」
「は、はい。ところでようやく問本城へお戻りになれますね」
「いいから内田を呼んでこい」
「か、かしこまりました」
首を傾げる備中。戦も終わったのに、まだ鑑連の心は戦場にあるのだろうか。鑑連はやって来た内田へ命じる。
「これより弾丸並みの速さで博多の町へ入れ」
「はっ、安芸勢の扇動者を追い払うのですね」
「そうだ。追い払った扇動者の代わりとなって、安芸勢に近い商人どもを追い払え」
「お任せ下さい!」
元気よく退出する内田。次いで、安芸勢追撃以来、本隊に従っていた薦野を呼んで曰く、
「これより宗像郡に攻め入り、土豪らを襲って人質を取れ」
「はっ、承知いたしました!」
「人質は立花山城へまとめてな」
「……」
どうやらまだ戦争は終わっていない様子であり、まだやるのか、と心中辟易する備中であったが、警戒的でありながらも鑑連はご機嫌で、いきなり嗤いだした。
「クックックッ!筑前の動乱を鎮圧したのはこのワシだ!このワシ!備中、そうだな」
「えっ……は、はい!」
「この筑前、ワシが大いに切り取ってくれるわ!」
完全制圧後の筑前に対して、容赦ない統治者として臨む気概に満ち満ちている。
「豊前を制圧した田原常陸は志が低いから主導権を喪失した。が、ワシは違うぞ!恐るべき断固たるお屋形として、イヌどもを立花山の高みから見下ろしてやる!」
備中は戦争続きの中ですっかり忘れていたが、主人鑑連は権勢欲の権化であった。だが、義鎮公や吉岡が、鑑連のやりたい放題を許すとも思えず、戦場の外でも忙しくなるのか、と心に疲れるものを感じるのであった。
「殿、吉弘様の使いが来ています」
「使い?親父の方のか、倅の方のか」
「え、ええと、その」
「ふん、親父のか。最近珍しいな、通せ」
若武者がやって来た。
「よく来た。もう戦いは終わったがな」
「はい、誠におめでとうございます」
嫌がらせが通じず鑑連は鼻を鳴らした。
「で、親父殿のお加減は?」
「一進一退でしたが、最近良いとは言えません」
「そうか」
落ち着いた話ぶりのこの若武者を鑑連は知っている様子であり……おや、と備中は、親父殿という言葉で全て理解した。この若武者は吉弘殿の次男だ。
「この冬、父は本国へは戻らず、筑前または筑後で養生を致したく存じます」
「動けんのか。それほど良くないなら、大事をとって輿でも台車でも使って、豊後へ戻れば良かろうが」
「実は、父は来春の出兵の噂を耳にしてから、そうはいかんと」
「噂」
貴様の担当だろう、と備中を振り返る鑑連。終戦気分で噂の分析を怠っていた備中、背筋が寒くなるが、
「いえ、軍中に流れているものではなく、宗麟様近習衆から聞こえて来たもので」
という吉弘次男の見事な配慮に感心する。若いのにしっかりしている、と独り言ちる。
「また、肥前佐嘉勢を攻めるのだと」
「ほう」
その佐嘉勢から贈られた馬の世話をしているのは何を隠そう自分である森下備中。尻のあたりがむず痒く落ち着かなくなる。
「宗麟様もまた、高良山に入られるとの噂ですが」
「具体的ではないか」
「はい。故に、父も出兵に備えてこちらに残ると」
近習衆から前線の将になった吉弘殿の苦労が偲ばれるようである。
「それで吉弘殿はワシに何の用かな?」
「はい。父が養生するための城を斡旋して頂きたく」
「城か」
鑑連は正面の城を見上げる。一同は宝満山城の前にいるが、気候は厳しい。この冬、病人がこの城で過ごすのは厳しいのではないか。
「それは良いが、ワシに断る必要もないがな」
「兄が、そうするべきだと」
「鎮信が」
「はい」
「そうか」
鑑連が言葉少なげである場合、感情が揺れていることが多いと備中は知っている。吉弘嫡男は約束通り、この戦役で鑑連の手足となって働いた。それは父親の為であった。そしてまた、次男も父親の為に鑑連を頼って来ている。
「子らに慕われる。吉弘殿は幸せものだな」
鑑連の感情はその言葉に集約されていた。
「武蔵寺の領内に温泉がある。その近くには筑紫勢から奪い取った城もある。たっぷり養生するといいだろう」
「ありがとうございます。父、兄に代わり、御礼申し上げます」
「この戦い、鎮信は随分と頑張った故、ワシからも何かをせんといかんとは思っていたのさ」
「はい」
備中は主人鑑連の心情を考えてみる。鑑連の父は子を多く成したが体は弱く、戦場の人ではなかった。故にこの時代、栄達とも無縁であり、豊後の名門戸次家が冴えなかった理由もそこにあった。鑑連がそんな父親のことをどう考えているのか。この手の人情話に弱いところを見ると、悪鬼羅刹の心にも、感傷として残る何かがあるのかもしれない。
吉弘次男が退出すると、由布がやってきた。
「……二つございます。各隊より国許に戻る許可が上がっています」
「肥後勢と豊前勢は良い。筑後勢はまだ置いておけ。もう一つは?」
「……宝満山城に残った高橋殿の旧臣らが面会を求めています」
「怯えている様子は?」
「……すでに城から出ておりますので幾らかは」
「よし、では宝満山城の中で会ってやるか。登るぞ」
「……はっ」
高橋殿が去った後も動きを止めない鑑連を見て、備中は遠そうな休暇恋しさにため息をつきそうになる。ふと顔を上げると、鑑連がやや悪鬼面で睨んでおり、ため息は完全に腹の底へ引っ込むのであった。




