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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
天文年間(〜1555)
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第20衝 哄笑の鑑連

 大友家の新たな本拠地、義鎮邸周辺に、主だった家臣一同が集まり、賑わいを見せている。火災を免れた吉岡邸へ使いに来た森下備中へ、


「よう苦労人。鑑連殿のご機嫌は如何かな」


と吉岡長増が気さくに話しかけてくれる。備中、数少ない息抜きができると、用事があれば些細な事でも喜んで買って出る。


「はっ!主人は、浜の風が肌に合うので絶好の気分、と申しております」

「あの御仁は本当に大嘘つきだな。お主も苦労するだろ」


 ああ……と悶える備中。どうか次の言葉は、我が家で働かんか、であってもらいたいと願わんばかりに。無論、何もかも弁えた長増はそんな事は決して口にしないのだが。


「今からわしが書き記したることをよく見て、それを鑑連殿にのみ、必ず伝えられよ」

「は……はっ」


 要はそれ程、重要な内容だ、という事だろう。そして、そんな機密情報を自分に託してくれる。感激しながら長増の筆を注視する。その内容は、不道徳かつ野心極まるものであった。


 苦労人である年長者長増は、険しさを隠したつもりでもその心を見破ったように曰く、


「まあどういうわけか、このような時勢となっている。この先生きのこるためには、知力の限りを尽くさねばならない、というわけだ。鑑連殿は承知しているだろうがね……漏らさず覚えたかな」

「……はっ」

「結構。では戻りて伯耆守に伝えられよ」


 長増はその紙を丸め掴むと、口を大きくなんと開いて飲み込んでしまった。驚愕のあまり動けぬ備中へ、もぐもぐし終えると微笑とともに語る。


「これで今、知る者はわしとお主だけ。後はお主が伝えた人物だけだ」



 奇人ぶりに当てられたのか、急ぎ戻った備中は主人に面会を申し込む。今やその申次として、誰に対しても高圧的な内田だが、備中を前に最も威圧的である。


「殿はお疲れじゃ。取り次ぎ可能な日を、わしからそこもとへ伝えるじゃろう」


 こんにゃろ、気取った喋り方をしやがって……と思っていたら、その背後より鑑連がやって来た。


「備中戻ったか。釣りに行くからついてこい」

「はっ」


 もはや条件反射の返事である。取り残されそうになった内田が一歩出る。


「殿、私も……」

「だめだ」


 取りつく島も無し。恨みがましい内田の視線を背中に感じながら、釣りに出かける主従だが、竿も仕掛けも持たずに海岸へ。無論、釣りなどしない。長増からの伝言を報告しようとする備中を手で制した鑑連。スッと刀を抜いて、いきなり備中の人差し指を小さく、しかしやや深く刺した。


「ひえっ!うえっ」

「そこの岩に書け」

「ええっ!」


 とんでもない要求にびっくりしながらも、自分でも不思議なほどに素直に書き始める。血がドクドク流れるが、波際にいるのだ。油断しているとしぶきが文字を消してしまう。


 震える指で血文字報告を終えると、口をパカ、と開いた主人鑑連。深い声で嗤い始めた。内臓にズンズンくる、とてつもなく大きい響であった。



「指が痛い……」


 痛む指を縛って町を歩いていると、石宗が近づいてきた。なにやら不機嫌で、


「はっはっはっ!」


 怒りの形相で笑う石宗にびっくりして知らんぷりの備中。遺憾ながら、先方から絡んできた。


「備中。わしは義鎮公お抱えの咒師だぞ。挨拶をせんか」

「あんた性格が豹変してるんじゃないか」

「備中!」


 怒鳴られたので、仕方なく従う。


「はい、角隈殿……その義鎮公とご一緒ではないんですね」


 ギロりと睨んでくる石宗。


「公は異教の僧に会いに行かれたのだ。よって、わしは同行を拒否したのだよ」

「ついてくるな、と言われたんじゃ……」

「はっはっはっ!」


 大笑いしたかと思うと、いきなり声を小さくして聞いてくる。


「その異教の僧は医術の心得もある、という事だが、うーん、天気の予知だけでは勝てぬのかなあ……」

「さあ……しかしその僧、医術の心得があるなら、私も傷を見てもらおうかな」

「なんだ、指を怪我しているのか、見せてみろ。こりゃ刀傷じゃないか」

「まあ……」

「しかも、傷が擦れて広がっている。妙な負傷をしたものだ。だが、こんなものは舐めれば治る」

「え……うわっ!」


 傷をベロンベロン舐められた備中は驚いて手を離そうとするが、石宗の力は強く、離せない。天下の通りにあって、そのまま異形の禿げ坊主に指をしゃぶられ続けるという異常事態に、周囲からひそひそ声が聞こえてくる。


「も、もういいですから」


 なんとか指を引くと傷口と石宗の口との間に唾の糸の橋が架かった。刹那、森下備中はそこに光る虹を見た。奇妙な光景である。


 舌を引っ込め口を拭い顔を上げた石宗は、


「ははっ、複雑な苦悩の味だ」


と訳のワカらない事を言う。


「天道に従えば何処かに咲く大輪の花を見ることができるぞ。お前は邪教に染まるなよ」


 その背中を茫然と眺める備中。人の往来が指舐めを忘れた頃、正気を取り戻した備中、とにかく手を洗いに行く。残る石宗の歯と舌の感触が気持ち悪い。


 戸次邸に帰ると、既に話が広まっていた指舐め事故について、同僚衆に散々冷やかされ、笑い者になった備中。悔し涙を浮かべた瞳で、他家からの仕官の誘いの夢を見るのであった。

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