第208衝 場数の鑑連
名島の社で逃した小早川隊の通過を虎視眈々と待ち伏せる鑑連、海を睨み続けている。が、船団の姿は見えない。
肩肘張り切った鑑連は恐ろしいほどに空気を震わしており、備中には容易に近づけない。響灘を前に屹立する鑑連に自ら近づく者は、もっぱら恐れを知らぬ小野甥となっていた。
「戸次様、船団は島を巡り周防へ抜けたのでは」
「どうかな。この芦屋津を飛ばし、十分な補給ができるとも思えん」
「我らに見つからずに周防へ抜けるとなれば、存外容易なのかもしれませんよ」
つまり小野甥は、小早川隊追撃から手を引くべきだ、と言っているのだと、備中にも理解できた。では追撃を中止し、何をするべきか。利発な若武者は選択肢を鑑連へ提示する。
「仮に、敵船団を取り逃がしているとして、取るべき道が二つあります」
「ふん。門司まで行くか、宝満山まで戻るか、だろうが」
「はい。門司を攻める場合、城の奪取までは可能でしょうが、筑前が落ち着かない限り、維持は困難を極めると思わねばなりません」
「城を奪回しても、安芸勢がまた理由を見つけて攻めてくると?如何にもな想定だな」
「それもありますが、宗麟様はこれ以上の戦線拡大をお許しにはなりますまい」
鑑連と小野甥の会話をひたすら無言で聞いていた備中には、反論しない主人の様子に違和感を覚えていた。おとなしすぎるのだ。小早川隊を逃してしまった、との確信に至り、意気の消沈を招いたのか。
鑑連が方針を明示しないまま夕方になると、臼杵隊が追いついてきた。といっても数が少なく、とても戦闘続行できる兵力ではなかった。
「あ、あれしか残らなかったのでしょうか」
「……それはあるまい」
「ですよね……」
「……思うに、臼杵様には戦以外の目的がある」
「……」
「……」
「殿を引き返させるための説得……」
「……私はそう思う」
由布とそんな会話をしたことを、戸次の陣で思い出す備中。眼前では、陣を訪れた臼杵弟による自説が展開されていた。
「宗麟様の調略の結果、安芸勢の主力部隊は周防へ去った。残る敵の重要拠点は立花山城と宝満山城のみ。我々の為すべきことは、速やかにこの二つの城をその手に取り戻すことである」
鑑連が戦下手と罵る臼杵弟の弁舌を、備中は初めて目にした。淀みなく理知的な言葉運びのどこかに秘められた激情を予感させるその口調は、戦場での戦果を忘れる程に説得力が備わっている。
同席していた吉弘嫡男が発言する。
「ここまで死屍累々、安芸勢は撤退したとみなして良いでしょう」
その口ぶりから、臼杵弟の意見へ完全に同意している。吉川隊の殲滅はできなかったが、追撃戦で得た大きな功績を誇れる立場にある、と自信満々だ。上手くやれば、鑑連の支配下から脱することもできる、と企む様な表情も垣間見える。どうやら鑑連の言う通り、父親よりはよほど能動的な人物であるようだ、とは備中の識別眼である。
「戸次殿、猶予はあまり無い」
「戸次様」
それでも鑑連の発言を待たざるをえないのだ。立花山城だろうが宝満山城だろうが、鑑連抜きでの降伏勧告に意味がないことは百も痛感しているはず。最実力者の発言を乞うような二人に対し、密かに溜飲を下げる備中。そんな自分の顔を、鑑連が凝視していることに気がつく。咳払いし、顔を深く下げて誤魔化す備中、主人が不敵に嗤った気配を感じた直後、鑑連の声が発せられた。
「宗像勢はどうするかね?この戦の懲罰が必要だと思うが」
「筑前から安芸勢を追い払えば、自然と我らが軍門に降るのではないでしょうか」
吉弘嫡男のその意見に、戸次隊の一同も異存は無かった。鑑連はどうだろうか。ドキドキしながら発言を待つ備中。
「では今日中に宝満山へ戻り、包囲を再開する」
おかしい、穏当すぎる、と首を傾げる備中。いつもの攻撃的な戦略が鳴りを潜めている。
「立花山城については、先の不祥事もある。安芸勢には退去を促し、受諾があれば離脱を認める。それでいいかね?」
「異存は無いが、宗麟様のお許しが必要だろう」
「猶予はない。取りたければ勝手にお伺いを立てれば良い」
臼杵弟へぴしゃりと言い放つ鑑連。この戦線、まだ大将は鑑連なのだ。
「そして最後になるだろう高橋だが、降伏を受諾すれば、腹を切らせて家名は存続させる。拒むようなら宝満山城を総攻撃とする」
「それこそ、宗麟様のご許可が無ければ動かない」
臼杵弟の二度目の釘刺しに対して、鑑連は相手を見もせず、しかし軽蔑を露わに不快感を告げる。
「前線の諸事について、ワシは決裁権を委ねられている。よって、事後にどう処分するかは義鎮公が決めれば良い」
常と様子が異なっていても辛辣さは健在である。両者の険悪な空気を払うべく、若輩である吉弘嫡男が、この芦屋津をどうするか、立花山の安芸勢の降伏の可能性についてなど、無邪気を装い質問責めにする。このような配慮を吉弘嫡男は父親から学んだのだろうなあ、と備中が独り納得していると、
「高橋殿の罪状は明らかとは言え、降伏と助命が為される余地もあるのでしょうか」
と再び危うい線に触れる吉弘嫡男。鑑連はこれに対し、
「高橋の罪状は、謀反の事実に加え、もう死んだが立花鑑載を引きずり込んだ行為、そして安芸勢と結んでいたことだ。救いの余地は無い」
と断言する。吉弘嫡男も頷くだけだが、臼杵弟が静かに、
「佐嘉勢を扇動した罪も裁かねばならない」
と述べた。備中はおや、と思った。もしかしたら連携もあったのかもしれないが、佐嘉勢が高橋殿と通じていた明らかな証拠は無かったはずであったからだ。鑑連も気になったようで、再確認を始める。
「佐嘉勢が高橋と通じていた証拠があるのか」
「証拠?高橋の騒動に合わせて佐嘉勢も騒ぎを起こした。この事実だけで十分では」
老中でもある臼杵弟の投げやりな言い方は、感情的だと備中は感じた。そう言えば、筑前志摩郡で臼杵隊は当初土豪らに敗れ、さらにその土豪らは佐嘉勢に攻められ降伏した、という出来事を思い出した。激情を秘める臼杵弟は、佐嘉勢を恨んでいるのだろう。
「クックックッ」
いきなり嗤いだした鑑連に沈黙する一同。鑑連は臼杵弟を凝視して曰く、
「臼杵家の面子を守るため、今度は佐嘉勢に泥を塗るのか」
「おい、なんだって?」
沸然たる様子の臼杵弟。目がギラギラ光り、周囲の者の背筋を寒くさせる。高橋攻めの陣中で、内通していた秋月の家人を斬殺した折も、このように感情を爆発させたのだろうか。が、鑑連は言葉を緩めない。
「聞こえなかったか?では今一度言ってやる。私怨を晴らすために主家を動かすとは大した忠誠心だな、と感心しているんだよ」
「聞き捨てならんぞ伯耆守!」
「越中守様!」
「鑑速、下がれ」
立ち上がった臼杵弟と微動だにしない鑑連の間に、吉弘嫡男が半身を差し込んだ。陣内の空気が急激に張り詰める中、見れば、臼杵弟の背後に控える臼杵武士らはいつでも刀を抜ける様な体勢になっていた。が、戸次家の面々は誰もが自然体のままであった。無論備中も。皆、主人鑑連の武力を承知しているためであろう。この勝負主人の勝ちだ、と備中は独り言ちた。
「森下備中、今、何か言ったか?よく聞こえなかったが」
臼杵弟の鋭い指摘が入り、心臓が止まりそうになる備中。口を無言でパクパクさせていると、小野甥が爽やかに口を開いた。
「まあ腹を召される口実は多い方が良いでしょう」
「口実とはなんだ!」
「越中守様……!」
猛る臼杵弟を留める吉弘嫡男の口が、お控えください、と言いかけた気配を見逃さなかった備中。吉弘嫡男は鑑連支配からの解放を企みつつも、心情的には臼杵弟寄りで無い様子で、戸次家と吉弘家の連携を願う備中は人知れず安心するのであった。
「クックックッ、まずは目前の片付けるべき事案から取り掛かるとしよう。後のことはそれから各々考えれば良い。それで良いかね」
頷いた吉弘嫡男を見て、臼杵弟は憮然としつつも小さく同意した。芦屋津で行われた戸次、臼杵、吉弘の合議は、やはり武士の世は、前線での勝利の実績こそが発言力となる、という現実を見せつける結果となった。




