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大先生、雷撃す。   作者: 蓑火子
永禄年間(〜1570)
208/505

第207衝 追撃の鑑連

 気がつけばかつて包囲した亀山城も通り過ぎ、敵の諸城を過ぎて郡内深くまで進軍中の戸次隊。宗像勢が陸の根拠地である蔦ヶ嶽城(現宗像市)に至る。先頭を快速する鑑連に追いついた備中は重大な情報を携えていた。


「と、殿!宗像大宮司殿は」

「敵を何人斬った?」

「えっ?」

「貴様、質問返しとは、偉くなったな」

「あの、その、未だ……」


 敵の返り血を拭いながら、ため息を吐く鑑連。


「貴様がいつ尚武で働きを示すのか、ワシは正直言って諦めている」

「も、申し訳ございま、ひっ」


 主人の手から、血でベタベタになった手拭いが飛んできて悲鳴をあげてしまう備中。小休止の鑑連は、


「で、敵将の一人がどうした」


と、どうやら話を聞く精神状態にはある様子、備中は恐る恐る報告する。


「いい、今、あの城に居るはずです」

「氏貞のガキがか」

「は、はい」

「どこから拾った話だ」

「ど、道中こ、降伏していた敗残兵からでして」

「ということは今現在安芸勢を運ぶ輸送船を指揮しているのは部下どもということになる。その情報の真偽は?」

「そ、それはなんとも」

「安芸勢にとっても輸送は重大事だ。寝返り防止で大宮司の身柄ぐらい手元に置いておきたくなるのでは?」


 確かにその可能性も念頭に置かねばならないだろうが、それは軍を指揮する武将ならではの考えであって筑前衆はまた別の考え方をするのでは、と思う備中。


「氏貞はガキだが、苦労の多いガキだ。船の指揮くらいできるだろう。それが城に居るという。理由が必要だ」


 懐疑的な鑑連に対し、備中はその情報が正確だという直感を、適切に伝えなければならなかった。鑑連の下で培ってきた振り回される側の感性が迸った。


「も、もう一つ、大宮司殿が城に戻った動機を探るとすれば」

「理由ではなく動機か」

「今、あ、安芸勢が撤退すれば、大友家に敵対した筑前諸勢力は取り残されることになります。その恐怖に駆られ、領域の結束を固めるため城に舞い戻った、というのは……」


 腕を組んだ鑑連、考えるに値する情報ではあったようでホッとする備中。ややあって口を開いた。


「あり得なくもない」

「は、はっ」

「ならこの城、どうする」


 鑑連は背後を見ずに、親指で蔦ヶ嶽城を指した。この場合、鑑連の当初の予定と自身の提案内容に大きな相違はない、と備中はこれまた直感を得た。


「使者を送り、お、脅しながら先に進むべきです。この先に安芸勢の集合拠点があるとして、それを撃破すれば筑前衆は戦わずして殿の軍門に下ることになるでしょうが……」

「氏貞が居ることを承知のうえ、示威的に進軍する、ということか」

「はい、そうすれば安芸勢撤退の後、大宮司殿も、殿の前に跪きやすくなるのではと……」

「ワシが氏貞を許すと、貴様は思うのか」

「えっ?」


 落着しかけていた提言への思わぬ問いかけに、思い切り戸惑ってしまう備中。瞬きをした瞬間、鑑連は悪鬼面と化していた。声なき悲鳴を漏らした備中へ悪鬼面曰く、


「これまで背反を繰り返してきた筑前衆においても、氏貞の罪は特に大きいぞ。それは秋月の罪に匹敵する」

「つ、罪」

「そうとも。安芸勢の輸送を請け負ったという罪だ。ワシらが間断なく戦争をしているのは、これがあるためだろうが。この裏切りがなければ、由原の灌仏会の頃には豊後に戻れていたに違いない」


 そもそも鑑連のような不信心な無頼漢が灌仏会に出るはずもないが、宝満山城の高橋殿を放置して、戦線を拡大させるようなことが、今の大友家にできるとも考えられない森下備中。後は目で訴えるしかなかった。哀れっぽい目線を宙に漂わせた。すると有事でもあるためか、効果があった。


「まあいい。久しぶりに貴様の口車に乗ってやる」

「あ、ありがたき幸せ」

「事と次第によっては氏貞を斬る」

「は、ははっ」

「そもそもの前提が当てずっぽうであれば貴様もだ」

「しょ、承知しております」

「ならいい」


 言い出しっぺの自分が使者にならなかったことは思い返せば奇跡である、と神仏の深遠なる配慮へ感謝をし、使者の入城を見守った。


 無論すぐの返事を期待していない鑑連は、蔦ヶ嶽城に居ると思われる宗像大宮司からの返事を待つまでもなく、進撃を開始した。備中も先頭騎馬集団の一員として峠を越える。



 夜が明けて、日が最も高くに登る前に、戸次隊は芦屋津へ到着した。


「クックックッ!敵は寡兵、尽く捕らえろ!抵抗する者は容赦するな!」


 その厳命によって、詰めていた安芸勢を尽く捉え、用意されていた物資を接収した。兵を吐かせて見れば、すでに幾らかの船団が周防へ去っていったが、まだ小早川隊の首脳部は未到達だという。


「船はそのままにしろ。安芸勢が上陸したら、直ちに攻撃だ」


 だがその日、安芸勢の姿は見えなかった。一方で、鑑連が来なくても良いと考えていたに違いない吉弘嫡男が少数の兵とともに到着した。


「チッ」

「……」


 遠慮なく舌打する鑑連。鑑連の酷い態度を無言の忍耐で凌いだ吉弘嫡男は、一つの書状を鑑連へ差し出した。それに目を滑らせた鑑連は、意地の悪い悪鬼面を剥き出しにする。


「クックックッ、あのジジイは懲りないな」

「……」

「鎮信、そう思わないか。悲劇再び、だ」

「は……」


 両者の重苦しい空気を前に目を泳がせる戸次隊幹部連。鑑連は、その書状を備中へ投げた。読み上げろ、ということですね、と心の中ではいはい、と呟いた備中、書状の先を見て声が掠れてしまう。


 そこには周防攻めにより大都会山口が炎上したこと、しかし安芸勢の迎撃によって隊長以下隊全員が全滅した旨、記してあった。


 鑑連が口にした悲劇再び、とは十年近く前に周防で滅びた義鎮公弟君のことに違いない。吉岡は豊前筑前を回収するために主君義鎮公の弟君を犠牲にした。そして今また、同じ目的の為に、将兵が犠牲に供された。全滅した周防攻めの将が大内家の流れを今に伝える貴人であることは、皆伝え聞いていた。


「これで名実ともに、大内家は終わった」


と、鑑連も含め、一同の哀惜は小さなものではないようであった。それが毛利家の台頭を既成事実として認めざるをえない時代の到来を意味すると、備中は大友家の将来に不安を感じたが、それもまた小さな感情ではないのであった。

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